こんにちは!北大映画研究会・秋新歓ブログリレー第5記事は僕こときゃないが担当します。
北大文学部2年、映研も2年目。最近の悩みは生活習慣の崩壊が止まらないこと、ハマってるのは四千頭身のYouTubeチャンネル。ここ最近欲望の赴くままにカラオケに行くのでデフォルトで金欠です。だいたい週一でまねきねこに居る。
さて(満足)、秋新歓のブログでしたね。とすれば最初に書かなきゃいけないのは映画研究会についてだと思うので、まずはそこから。
映画研究会に入ってます、と言うとだいたい飛んでくる質問があって、
「えっ、映画を研究してるんですか?」
というやつなんですが、これはネーミングからのミスリード、要するに答えは「いいえ」です。ゴリゴリの映画通たちが夜な夜な激論を交わすヤバヤバ集団ではないので安心してください。
北大映画研究会は、北大や近くの藤女子大学などから集まったひとたちが、映画という共通項で限りなくゆるっと繋がったサークルです。
主な活動は「映画を作る」ことですが、そのほかにも部員同士で一緒に映画を観に行ったり遊びに行ったり、まあ色々してます。
部員はそこそこ多い方ですが、それぞれ関わりたい分だけ関わっているので同調圧力とかはまったくありません。秋から入った人も普通に馴染んでますし、正直だれが秋入部かなんて割とみんな忘れます(俺だけ???)。
映画を作るって具体的に何してんのかわかんない、という方も多いと思うので、そこをちょっと補足しておきますね。
映画研究会で作っているのは「自主映画」と呼ばれる、商業目的ではない映画のこと。音楽したり演劇したり、そういうものを通して自己表現するのと本質は変わらないものだと思います。
具体的なプロセスとしては、「ストーリー(脚本)を考える→(出演者決めなど)撮影の準備をする→撮影をする→編集をする→完成」という流れになっています。カメラの扱い方とか、本当に基本的な技術みたいなものはあれど、難しいことは何もありません。(より詳細な話は僕が昔書いたコチラのブログ記事を見てね)
僕自身は創作が好きで映画づくりに興味を持って入ったんですが、映画を観るのが好きな人、感想を語り合いたい人、あるいは単純に映研の雰囲気が気に入っている人など、いろんな人がいます。
懐の広いサークルなので、ちょっと気になるな〜と思っているなら、学年とか大学とか、馴染めるかな〜?とか、あれこれ迷うより新歓に来ちゃった方が早いです(ココ大事)。スケジュールなど詳細はこのホームページのトップや映画研究会のTwitterにも載っているので、チェックしてみてくださいね!
さて(満足)、なんだっけ。
そうそう、映画の紹介ね。
映画に限らず僕が好きなのは恋愛、青春、人間ドラマといったジャンルで、映画研究会ではわりと少数派の好みの部類に入ってる気がします。自分が書くものも自然と暗くなりがちで、主人公にデカイ葛藤を背負わせて散々苦悩するシーンを延々書いたりします。SなのかMなのかわかんねえよ。
今日はそんな僕の趣味嗜好が醸成された土台というかきっかけみたいな作品である『ソラニン』について書きたいと思います。なんかいろんな声が聞こえてきそうだけど恥を捨てて書くぞー。
言わずと知れた浅野いにお先生の漫画を原作に2010年に三木孝浩監督・宮崎あおい主演で映画化された本作は、バンドマン崩れのフリーター・種田と東京で暮らすOLの芽衣子のお話です。人間ドラマ映画あるあるですがストーリーを説明しづらいんで、予告編を貼っておきますね。
めちゃくちゃ切り捨てた言い方をすると「徐々に大人になっていく自分を受け入れられない若者たちの不安定さを描いた物語」といったところでしょうか。この作品はそういった時期のリアルな心情を見事に切り取っています。
というか単純に言えば、めちゃくちゃ刺さるんですよ。
僕自身は中学時代に漫画を読んで、その後すぐ映画も観たのがこの作品に触れた最初だったんですが、当時音楽を本気でやっていたので、芽衣子に本気で音楽をやるよう迫られた種田の「一緒に死んでくれんの?」という台詞が大好きでした。
音楽の道で食っていけなければ生きている価値なんかないと本気で思っていたそのころの僕はそれを代弁してくれた種田にめちゃくちゃ憧れて、だから種田が物語の中でたどる運命も、はっきり言って超カッコよく思えたし、そのあとの芽衣子の姿も本当に素敵に見えました。客観的に解剖できる余裕もなく、「険しい人生でも夢を追い続けることの美しさを描いた物語」として当時の僕には刺さったわけです。
そういう好きすぎる作品って僕はあんまり見返さないタイプなので、漫画本は家にあるし映画はAmazonプライムに入ってるのに、まったく触れずにいました。最初に観たときの思い出を汚したくない!みたいな心理です。
本当に数年ぶりに漫画本を手に取ったのは、先月帰省していた実家の本棚に単行本を見つけたときでした。暇って怖い。
ページを繰ると、内容は当然あのころのまま変わらないのに、どこか他人事のような感覚になりました。
昔はその焦燥感や夢へのひりひりした感じがリアルに感じられた種田が、ただ無責任に彼女や周りの人、社会を無視して音楽にしがみついているだけの男に見えてしまったり。こうなったらお終いだという目であのころ批判的に見つめていた芽衣子の心情が反対に手に取るようにわかったり。登場人物たちが何かを追い求める姿はいいなあと感じるけれど、自分とは違う世界の人間みたいに思えてしまったり。驚くほど冷たい目線を彼らに送っている自分がいたんです。
時間とはこうも人を変えるものなのかと少し哀しくなりつつ最終頁まで来ると、その後ろに「#29」と題された回が続いていることに気づきました。
本作『ソラニン』は、2017年に「新装版」として従来の単行本2巻分を一冊にまとめ、さらにスピンオフ短編「はるよこい」と、芽衣子や登場人物たちのその後を描いた「#29」という後日譚を付したバージョンの単行本が刊行されました。僕が読んでいたのはその「新装版」のほうで、高校時代に買ったものの後日譚があまり好きになれずそのまま実家に置いていったんですね。
一応、読んでみることにしました。
本編から10年後の世界を描いた「#29」は、劇的なことが起こるわけでもなくただ淡々と登場人物たちのその後を描きます。
「『夢』を諦めきった僕らは『険しい人生』を進んでいくのだ、という悲劇がこの物語の〆になるのだとしたら悲しすぎるだろう」と昔の僕は反発したんですが、今度はどうもそうは思えなくて、これはこれでいいかもな、とどこか納得してしまったんです。
結局、僕が種田のようなまっすぐさを失ったからだろうなと思います。生きていればいろいろ挫折したりする中で彼のような、昔の僕のような尖り方はそのうち変更せざるを得なくなるものでしょうし、実際僕にとってはそうだった気がします。
そういうことを「丸くなる」と言うのかもしれないし、「大人になった」とか言われちゃったりするんだろうなとも思います。いま昔の自分に会ったら多分速攻でぶん殴られる気がするし。
ただ「でもさ、それはそれでよくないか?」と思ったりもするんです。
別に夢を諦めたからといって人生は続いていくし、昔のことはいずれ忘れるし、大事なものを失っても大体はそのうち大丈夫になって、懐かしい思い出に変わっていくもので、それってそんなに悪いことじゃないんじゃないかというか、だからこそ僕らは「ゆるい幸せがだらっと続」く日々を生きていけるわけで。芽衣子だっていつまでも過去に囚われているわけにはいかなくて、こうやって昔のことなんてなかったかのように生きていくことは悪いことじゃないだろう、と思ったり。
そういう形で彼らが、僕らが生きていくのはすごくポジティブなことなんじゃないかと思ったりして、あーまた殴られそうだなと思ったりしました。
いや、やっぱり丸くなったな。
恥ずかしーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。なにこれ。就活とかでこれ読まれたら不利になりそうなレベルだな。
書きたいことをとりあえず書いていたらこんな風になっちゃいました。読んでくれた方はありがとうね。もし同じ穴の狢の方がいればぜひ新歓へ来て語り合いましょう。
さて!長くなりましたがここらで失礼します。次の新歓は10/16(水)の上映会!映画研究会が作っている自主映画を実際に見ることができる数少ない機会なので、ぜひお越しくださいね!
それではまた!