秋元親衛隊のために

こんばんは。
4年のミチガミです。

現在私は『アキモ』の撮影にカメラマンとして参加させてもらってます。
タイトルは『アキモ』で合ってるのかな・・・。
カメラは個人的に一番難しい役割です。

撮影自体は残すところあと1シーンなんですが、そろそろ雪が降りそうで心配です。

タイトル通りこの映画の主役は秋元なんですが、秋元を愛する親衛隊のみなさんのために秋元の写真を公開します。

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<ストーカーの秋元>

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<寄り目の秋元>

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<ドーナツ越しの秋元>

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<下々と秋元>

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<木漏れ日と秋元>

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<コスメ元>

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<接写の秋元>

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<変な秋元>

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<まりもっこりな秋元>

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<ぼんやりと秋元>

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<悪意と秋元>

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<秋元>

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<おまけ 悪徳業者に勧誘される左合>

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<おまけ 画になる高峰と左合>

完成が楽しみですね。
なお、この映画は事実に基づいたノンフィクション映画です。

ミチガミ

「ダイ・ハード2」レビュー(池田)

ダイ・ハード2(原題:Die Hard 2)

予告編

1990年アメリカ

監督:レニー・ハーリン

脚本:スティーブン・E・デ・スーザ、ダグ・リチャードソン

原作:ウォルター・ウェイジャー

製作:チャールズ・ゴードン、ローレンス・ゴードン、ジョエル・シルヴァー

音楽:マイケル・ケイメン

撮影:オリヴァー・ウッド

出演:ブルース・ウィリス、ボニー・ベデリア、ウィリアム・サドラー、デニス・フランツ、フランコ・ネロ、ジョン・エイモス、アート・エヴァンス、フレッド・ダルトン・トンプソン他

あらすじ

前作の事件から1年後のクリスマス。マクレーン(ウィリス)は妻ホリー(ベデリア)を迎えにバージニア州のワシントン・ダレス空港にやって来た。だが、南米の麻薬王の解放を目的にテロ集団が空港の管制機能を乗っ取り、上空の飛行機が着陸できなくなる。このままでは燃料切れで墜落は必至。マクレーンにとって最悪の夜が幕を開けた。

レビュー

隔絶された高層ビルを舞台に、世界的にヒットした『ダイ・ハード』(ネット上でよくある「学校がテロリストに占拠されたら」の妄想ネタのきっかけはこの映画なのでは)の続編。監督はマクティアナンからレニー・ハーリンにバトンタッチ。

本作の舞台は真冬の国際空港。前作のような閉塞感は無い。空港の仕組みや様々な役職など、裏側が見られて面白い。ウォルター・ウェイジャーの小説『ケネディ空港着陸不能』を原作としている。前作の原作小説とはつながりはない。

前作はマクレーンに非協力的な人物が多かったが、本作は協力的な者が多い。対照的なのは空港警察のロレンゾ署長(フランツ)。マクレーンと何度も口論を繰り広げる。

前作の人物も引き続き登場。マクレーンの妻ホリーは降りられなくなった飛行機の中。同じ機内にはTVリポーターのソーンバーグも。相変わらず傍若無人で、終盤で余計なジャーナリスト精神で多くの人々をパニックにする。ロサンゼルス市警のパウエルは序盤のみ。ケーキ菓子”トゥインキー”がまた出てくる。

今回の敵は元軍人だらけの戦闘集団。強い奴らばかりでマクレーンがボコボコにやられまくる。相変わらずSWATが噛ませ犬。

その分敵の死に方はグロさが高まって痛々しい。ベルトコンベアーに巻き込まれたりつららが刺さったり。クライマックスの主翼上での肉弾戦の最期は…初見の時、怖かった。

←どう見ても人形

面白いが、1作目は超えられない。終盤でどんでん返しな展開があり意表を突かれる。前作では少なかった民間人の死者数が本作でドーンと跳ね上がる。そこを批判する意見が多い。北野武曰く「オレの映画よりダイ・ハードの方が何百人も殺してる」

豆知識

・予算7000万ドル、全世界興行収入2億3954万ドル、ブルース・ウィリスのギャラ750万ドル

・なかなか爆発しない手榴弾、強力すぎるジェットエンジンなど、リアリティ完全無視の演出が目立つ

・中盤の銃撃戦シーン。テロリストの一人が『ターミネーター2』で悪のターミネーター、T-1000を演じたロバート・パトリック。ジェームズ・キャメロンの目に止まって役を得たらしい。シュワルツェネッガーとはいい勝負だったのにブルース・ウィリスにはあっさりやられていた

←この役で一躍有名に

【秋新歓ブログリレー企画】私の履歴書(宇治)

 

 

こんばんは。映研5年北大経済学部5年目4年の宇治拓摩です。

例会にはあまり出れない(出れない)ので、まだちゃんと話したことがない一年生も多いのではないでしょうか。

それでは手始めに、私の映研での5年間をざっとおさらいしましょう。

 

 

【Chapter.1】 期待に胸を膨らませた1年生(1年生!)

風に長い赤毛をなびかせ私は試される大地、北海道大学の正門に立っていた。

4月の北海道は思いの外寒い。レディースのTシャツワンピにJeremy Scottのレギンスという格好は、北の地ではいささか浮いているようであった。

そんなことには気も留めず7cmのヒールを鳴らしながらメインストリートを颯爽と歩いていく。入学前に一つ心に決めていたことがあった。

「適当な友達を作らない。」空疎なくせに雰囲気の友情や繋がりを重んじる昨今の大学生にだけはなりたくない。心の奥底では人気ドラマ「オレンジデイズ」のようなザ☆青春物語に対する憧れを認めつつも、その感情を押し殺し、どこか臭い臭い臭いぷんぷん臭う大学生感に嫌悪を抱こうとしていた。

「俺はカッコいい一匹オオカミになるんだ。」

 

その決意は固く、クラスメイトとの顔合わせであるオリエンテーションにて繰り広げられたメアド交換大会では、交換した瞬間にアドレスを消去するというウルトラC級の大技を連発していた。今思えば大変に驕慢な態度でスカした野郎である。

 

サークル選びは迷わなかった。新歓に足を運ぶと真っ先に目に飛び込んできたのは金髪でモヒカン、まさに「タクシードラーバー」のトラヴィスと同じ髪型をした巨漢だった。淡々と進められる例会、新入生に全く媚びない先輩達、明らかに社会に適合出来ていないような人々。そんなアウトローな人たちが集まり映画、本、音楽、セックス、各々が好き勝手に好きなことを話す、その温かな雰囲気は魅力的だった。

当時、サークルの同期は自分よりも5歳年上の気さくな男、福本君と腰に届く程の長さまで髪を伸ばした佐賀の二人だった。友人というよりは、ただサークルにいる人というイメージだった。学校では相変わらずクラスでは友人が出来ず、授業もサボりがちだったが、持ち前の要領の良さを発揮し(試験で隣の知らない人に2000円払いカンニングさせてもらう等)なんとか単位という試練を乗り越えていた。

 

ある日、授業中に堪え難い虚無感を感じることがあり先輩を飲みに誘った。心が荒れていた私は酩酊するまで焼酎を鯨飲し、支離滅裂なことを話しまくった。確か、川端康成の文学はフランス映画的なんだ!など訳の分からないことを喚いていたと覚えている。先輩達はそんな酔漢に嫌な顔一つせず、笑いながら話を聞いてくれていた。

 

気が付くと先輩の家に横たわっていた。吐き気を催すような異臭が立ちこめている。起き上がってみると自分の寝ていた所に吐瀉物の湖が広がっているではないか。部屋を見渡すと吐瀉物にまみれた林檎や食物が散在している。やってしまった、と感じるより先に先輩が笑いながら言った。「昨日は飲んだからなぁ。母さん送ってくれた仕送りもゲロまみれだな。まぁいいよ」彼は全く責める意思はなく、純粋に気にしていないようであった。

その時、何とも言えない心地よさを感じたのを覚えている。

「人に対する寛容性」それがこのサークルの一番好きな所だ。誰に対しても拒む事無く、特別気を使って接するでもなく、多少度が過ぎたことをしても受け入れてくれる。学生のうちは背負う物が無い。それ故、「やってはいけないこと」というのもそれ程は多くは無い。一度社会に出てしまえば、社会人としての禁忌はたくさんあり、学生気分では過ごす事が出来ないだろう。だからこそ今くらいは、多少羽目を外したことをしてもいいじゃないか。一度きりの学生生活、タブーにまみれていたらつまらないじゃないか。

 

この事件以来、サークルで飲む時には真剣に、真摯に酒を飲むことにしている。もちろん誰も酒を強要しないし、飲むペースは個人の自由である。しかし、私は出来る限り酔いつぶれるまで飲みたいと思う。こんなダメな先輩ですら快く受け入れられ、居場所を作ってくれるサークルなんだということが伝われば嬉しい限りである。

 

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【Chapter.2】~【Chapter.5】割愛

また気が向いたら書く事にします。

 

それではまた。

宇治

 

 

 

【秋新歓ブログリレー企画】心の旅は良い曲です(小海)

ごきげんよう映研3年の小海と言います(吉高由里子の声で是非脳内再生してください)。昨年度は副部長までやっていながら今までほぼブログを書いたことが無い屑野郎なので一文字一文字とても緊張して打っております。すみません。何を書けば良いのか、うん、こんな時はチューリップ「心の旅」を聴きながら心を落ち着かせよう!「ああだから今夜だけは君を抱いていたい」…なんて良い歌詞なんだ!この曲とっても良い曲ですのでオススメですよ。いつかチューリップが歌うような青春として今の自分の大学時代の姿を思い出すのでしょうかね、なんかそんな日が来と思うと泣けてきます…どうでもいい話をずっとしてますね、はい本題に移ります笑

僕が映研でどんな立ち位置かというとですね、実は金曜の例会に行けない部員なんです。今独り暮らしでは無く学生寮に住んでるのですが、その寮集会と映研の例会がどうしても時間がかぶってしまうんです、辛い。でも水曜日に撮影技術研究会というものを北大映研の部室で自主開催していまして、まあこここで色々な部員とは会える訳です。まだ始まって日が浅い撮影技術研究会ですが、撮る予定の映画の打ち合わせとかをけっこうまじめにやっていて、時が経つ毎にどんどんと充実した内容になっています。例会と違って任意の参加ですが、このブログを見ていて北大映研に入りたいと思っている人も是非興味があったら来てみてください。楽しいですよ。

さてさてそんなことをやっている背景もあり、ここではあんまりみんなが触れないような撮影技術・映画制作の面白さを紹介しようかなと思います。

僕が映画を撮ってみたいなと最初に思ったのは忘れもしない高校1年の夏、家族で行った温泉宿で黒澤明の『七人の侍』を観た瞬間です。それまで映画がどう作られているだとか作り方次第でどう変わるかなんて考えてみたこともなかったですが、やはり世界のクロサワ、僕の中の感情を動かしました。けれどだからといってよし映画を作ろう!とすぐ思った訳では無く、映画が作られる背景を意識して観るといつもより面白いな〜くらいしか考えていませんでした。

初めて作るきっかけとなったのは高校3年の夏。高校の学祭で何か出し物をしたいと数少ない友人と考え、辿り着いたのが映画制作でした。コメディの短編を作ろうとスタートした初めての映画制作でしたが、現実は厳しいものでした。カメラにしても音声にしても、編集にしても、役者(スタッフがみんな友達少なかったんですね笑)にしても思い通りにいかない。映画は簡単に作れない。そう思い知らされたような経験でした。学祭では一番良かった出し物をした団体が投票で選ばれて表彰されるんですが、僕たちの団体の得票数はちょうどスタッフの人数でした。映画のように人生はうまくいかない。再び思い知らされたものです(笑)でも終わってみると二度とこんなことやりたくないという嫌気より、楽しかった!という思いが強く残ったんですね。また撮ってみたいなと思える、そんな失敗だったと今では思います。

大学に入って、映研に入って、もう3年生という立場にまでなりましたが、未だに映画を撮りたいという思いはあの高校3年の時の延長のような気がします。次はもっと自分らしく撮りたいな、思った通りの映像を撮ってみたいな、そんな思いです。

映画制作をする監督の気持ちはどんなだろうと映画を観ていて思うことがあります。僕は映画をつくるというのは、画家が絵を描いたり、ミュージシャンが楽器を弾いたり、小説家が文章を書くような創作活動の一つだと考えます。画家が絵の具や筆を持つように監督はカメラや音声、照明といったものを使って作品を創っている。ただ画家は一人でできるけど映画は一人でできないから、また別の難しさがありますが…。

映画はその監督の眼だと思います。眼は見えているものをそのまま全てを記録しようとはせず、脳が見たいものや意識しているものを抽出して記録しようとします。それと同じで、作品にはその監督の見たいもの、意識しているものがおのずと出てくるものです。ああこの人には同じ世界がこういう風に見えているのか、それを覗くのが僕はとても好きです。どう頑張ってもプロと同じクオリティでは作れない学生の映画などは、そういった眼を探すのが大きな醍醐味なのかなと思ったりします。

北大映研は人も増え、毎週色々な映画の打ち合わせがされています。打ち合わせも含め撮影は忙しいものです。時間もたくさん取られます。でも映画制作を通して得られるものは大きいです、本当に。撮影をやってから映画を観ると、映画の楽しみ方がまた変わります。映画の偉大さとかこういう風にして撮りたい!と思った監督やスタッフの気持ちがよりシンパシーを帯びて伝わってきます。スケールは違えどこう撮りたい!こう表現したい!という思いの根本はスピルバーグだろうが北大映研部員だろうが同じものです。坂本龍一は『戦場のメリークリスマス』の後、たけしのように映画を撮ろうとしなかったことを大島渚に「卑怯者!」と怒られたそうです。大島渚の葬儀でそんなことを喋ってました。心動かされる映画を知ったのなら素人だろうが何だろうが良いものを撮りたくなる、そんな熱い部員がこれから北大映研も増えていってくれれば嬉しいですね。

長くなりましたが最後に大好きな黒澤明の言葉を載せます。

ものを創る人間にとって完全が目標です。完全に満足のいく作品なんてないから、次の作品こそは完全無欠な作品をと願うわけです。だから、僕にとって一番の作品はネクスト・ワンです

黒澤明

【秋新歓ブログリレー企画】夏は終わりました(芳賀)

おはようございます。こんにちは。こんばんは。2年の芳賀です。文章を書くのは苦手です。長い文章を読むのも苦手です。なのでこのブログも作文用紙2枚くらいに収めようと思います。

秋です。読書の秋です。普段はあまり本を読まない私ですが、秋に誘われたのか、先日小説を買って、昨日読み終わりました。本を読み終えると少しだけ悲しい気持ちになります。それがどんなに楽しいストーリーだとしてもです。映画を見終わったときも同じです。何故かと言うと、それが長い時間と凄まじい苦労の末に完成されたものだということを知っているからです。
今年の夏は、ずっと撮影をしていた気がします。

7月中旬:打ち合わせ、ロケハン
8月初旬:リハーサル
8月末:クランクイン
10月中旬:クランクアップ

夏休みの初めに始まった撮影だったはずが、終わったのは学校が始まってからでした。撮影自体はまとめてしまえば11日間程でしたが、1日平均8時間撮影していたとして、88時間=5280分。しかし、編集してしまえば約50分の作品。少し悲しくなります。ここまでの数行で映画を作るのにどれだけの時間と苦労がかかるか、なんとなく分かってもらえますかねぇ…。88時間っていうのは撮影だけの時間ですから、準備や編集も含めると本当はもっともっと時間が掛かるんです。たった50分の作品でも、あぁ大変だったなぁって思ってます。だから私はどれだけクソみたいな映画を見ても、拍手をすることにしています。よく頑張ったね、ハナマルあげちゃうぞ、って。
まぁ作った側からすると、私みたいに同情で評価されるのは本望じゃないと思いますが。さっきの拍手云々の話は観る側としての私の意見で、作った側としての私の意見は、真剣にでもテキトーにでも、ダメだししたって構わないから、沢山の人に観てほしいです。そう思います、はい。言いたい事が伝わっていると良いんですが。

やっぱり文章書くのは苦手です。ここまで読んでくれているあなたもそろそろ戻るボタンを押す頃かと。その前に、先手必勝!すかさずドロン!!

【秋新歓ブログリレー企画】今日も寒いですね(井上)

こんばんは。新しい髪形を褒めてもらってにやつきが止まらない2年の井上です。

最近はめっきり寒くなってきましたね。雪虫もこんにちはしていますが、今年の初雪はいつになるのでしょうか。私は冬の外撮影に参加したことはないのですが、雪が降ると撮影が大変になるそうですね。おこたとお鍋の季節ですよ。みんなでお鍋を食べましょう。

初めて撮ったPVからちょうど1年が経ちました。カメラの扱い方も、音の狙い方も、なにも分からぬ状態で始めた撮影でしたが、先輩たちや同期が助けてくれました。脚本から絵コンテを描くときに非常に苦労したのを覚えています。(本来はもっといろいろな作業があって大変なのでしょうけど、)映画や映像を撮っている人たちというのはこんな作業をこなしているのか!そして、私は今までその完成形を観ていたのか!と驚いたなぁ、と。うまく映像がつながらなかったり自分のイメージを伝えるのが下手だったりと、難しいことが多かったのですが、とあるカットがとても綺麗に撮れました。「あぁこの構図、まるで映画みたいだ」(最初からそのつもりで撮ってはいたのですが)。10秒足らずのたった1カットでしたが、その1カットが撮れただけで嬉しかったです。私にとっては、自分の満足のいく映像がもっと長く撮れるように映画のことを学んでいきたいなぁと、制作の方の意識が育ったきっかけかもしれません。映像を撮ってみると、今まで観ていた映像がどんな仕組みなのかという視点も出てきて楽しいです。

今参加させていただいている撮影には予定が合わずにほとんど出席できていないのですが、それでもやっぱり楽しいですね。現場はもっと楽しいですし、撮影で関わるとサークルのメンバーとしても絆が深まっている実感があります。気恥ずかしい話になってきましたのでやめます。あ、映研で出会った人たちと美味しいものを食べたりライブに行ったりするのもとても楽しいです。また新しく映研部員が増えて、いろんな活動が出来たら嬉しいなぁ。

完全なノープランで始めてしまったがために終着点が見つかりませんが、これで終わろうと思います。おやすみなさい。イエーイ。

【秋新歓ブログリレー企画】金田一耕助の魅力(三浦)

こんにちは、映研のはぐれメタル(遭遇率が低く、仮に遭遇してもすぐ逃げてしまうモンスター)、2年の三浦です。

いきなりですが、推理作家 横溝正史が生んだ名探偵「金田一耕助」を知っているでしょうか。「じっちゃんの名にかけて!」の金田一ではありません。むしろ、じっちゃんの方です(横溝サイドからすれば全くの非公式の設定)。「犬神家の一族」や「八つ墓村」なんかが有名ですが、それらの作品に出てくるのが名探偵 金田一耕助です。僕は、この金田一耕助シリーズが大好きなので、これについて少し語ろうと思います。

僕の思う金田一シリーズの魅力、それは名探偵 金田一耕助の魅力に他ならないと思います。そんな、金田一耕助の魅力とは、人間らしさと人間味のなさという二面性ではないでしょうか。作中において金田一は謎を解くためだけの存在であり、本人もまた謎にしか興味がありません。だからこそ、ドロドロとした因縁やそこから生まれたおぞましい惨劇の中を飄々と飛び回ることができます。いわば、謎解きのトリックスターです。そんな金田一も、謎を解き終わるといつもひどい憂鬱を覚えるようで、人の罪を暴くことをもって身の生業としている自分に嫌悪感を抱き、孤独感を覚えてしまうという設定があります。こうした孤独から彼を救ってくれるのは、皮肉なことにまた新たな別の事件であり、新たな「謎」なのです。金田一は謎を求めてさすらい続けます。謎だけが彼を満たしてくれるのです。

作中での金田一は、ぼさぼさの髪の毛に貧相な体躯、よれよれの着物によれよれの袴を合わせたさえない男で、おまけに頻繁に吃ってしまったりする一見頼りのない男として書かれています。映画では、これまで多くの俳優が金田一を演じてきました。最もハマり役だといわれているのが石坂浩二で、原作の記述を忠実に再現しています。石坂とタッグを組んだのが名監督 市川崑であり、彼らコンビの作品は金田一シリーズの中でも高く評価されています。僕も、映画版の金田一シリーズの中で一番好きなのは彼らコンビによる作品シリーズです。前述の通り、同じ話でも多くの監督によって映画化されているため、DVDを借りるときは要チェック。ぜひぜひ、金田一の魅力を感じてみてください。

と、まあ、好き勝手に金田一シリーズについて語っただけになってしまいましたが、映研は、自分の好きな作品について語りたい人がいっぱいいて、日夜、作品への愛を語っています。多趣味な人も多く、話題は尽きません。そして、何より、はぐれメタルにも優しいです。映画好きのあなたも、小説好きのあなたも、そして金田一好きのあなたも、ぜひ気軽に映研にお越しくださいませ。

【秋新歓ブログリレー企画】ナチス最終兵器対ソ連兵(新川)

皆さん今晩は、2年の新川です。

今回は夏休み観た映画の紹介を兼ねて個人的な感想を二つ書こうと思います。なぜ10月も半ばといったところなのに夏休み、と思う方もいるかもしれませんが、これは、単に私の夏休みがとても長く、後期が先週ようやく始まったためまだ夏休み気分だというだけです。あと、多分にネタバレを含みます。

 

武器人間』 原題:Frankenstein’s Army 

2013年 オランダ・アメリカ・チェコ合作

監督:リチャード・ラーフォースト

「ナチス最終兵器、出撃!」

あらすじ:1945年、第二次世界大戦末期の東部戦線。ソ連の偵察部隊がある任務を帯び、ドイツの占領地域に足を踏み入れた。やがて古い教会を見つけた部隊は、そこ で何者かによる大虐殺が行われた形跡を目撃する。さらにその建物の地下には迷路のような通路が張り巡らされ、広大な研究室が隠されていた。その研究室こ そ、フランケンシュタイン博士の末裔が、死体と機械を合成し、不死身の改造人間を製造している大量破壊兵器工場だった…!! (公式サイトより)

予告のドラえもんの声で話題を呼んだアクション・ホラー。ちなみに吹き替え版の声優もなぜか新旧ドラえもんキャストが中心。機械と人体が融合した独特の怪物達が魅力。兵士の一人が手持ちカメラで撮影した映像という体のドキュメンタリータッチ。訳の分からない怪物と遭遇した際の混乱、いつ再び出会うかもしれないという恐怖と緊張感の演出として良かったと思うが、いかんせん肝心の武器人間が怖くない。緩慢で笑いを誘う動き、銃や手榴弾で割とあっさり撃退できる程度の強さ、カッコよさや愛嬌のある造形。特に、研究所でせっせと働く様子は可愛い。主人公たちは、おびえ、混乱し、仲間を失いながらも、必死で任務を果たし生き延びようとするのだが、はたから見ればふざけた状況(特に博士の登場後)であんな風に一生懸命なのは滑稽でしかなく、そこを笑う映画であるのかもしれない。博士は、典型的なマッドサイエンティストで、言葉を発するたびに笑ってしまう。もろもろの要素によって”武器人間が出てくるまでが怖い”というよくわからないことになってしまっている。たのしい。ちなみに、公式サイトに”武器人間図鑑”があり、説明が面白い。個人的にはポッドマンが可愛いので一番好き。

 

『ヒトラー最終兵器』 原題:Outpost: Rise of the Spetsnaz

2013年 イギリス

監督:キアラン・パーカー

「ヒトラーの落とし子(ナチス・ゾンビソルジャー)VSスターリンの犬(ソ連軍最強部隊)」

あらすじ:WW2末期の1945年3月。ドイツ軍占領地区のロシア森林地帯。百戦錬磨のドロコフ軍曹率いるソ連軍特殊部隊(スぺツナズ)はナチス軍との壮絶な戦いを 連日続けていた。ナチス部隊への奇襲後、ドロコフと彼の部隊は戦争の流れをも変えうる衝撃の調査結果を発見するが、任務遂行後の帰路、不運にもナチス部隊 に捕らえられてしまう。ナチスの実験施設である地下要塞に人質として捕らえられたドロコフと同僚のフョードルは、そこで狂気の科学者、クラウスナー博士の 姿を見掛ける。彼は親衛隊のストラッサー大佐と共に恐怖の実験を行っていた。その実験とは無敵のバイオ・ソルジャーを作り上げることだった。2人のロシア兵は狂気の施設 から脱出し、ナチス軍がヨーロッパ全土にバイオ・ソルジャーを解き放つ前に、恐ろしい実験を阻止するため戦う必要に迫られる。

90%はアクションシーンという触れ込みに相違なく、銃・手榴弾・ナイフ・鉄パイプ・素手など、多彩かつ迫力ある戦闘シーンがこれでもかと盛り込まれている。こちらの怪物はほとんどゾンビといった見た目で、行動や攻撃手段もほとんどゾンビ。不死身を売りにしているが、素手と鉄パイプでタコ殴りにされると普通に倒される。戦争をひっくり返すための不死身の生物兵器が、ボコボコに殴られてあえなくノックアウトされた時は目を疑い、腹を抱えて笑った。ドロコフ軍曹が恐ろしく強く、とっさの機転もあるが、その屈強な体格と筋力で不死身の兵士を拳で打倒し、問題を解決していくさまは実に気持ちがよい。その力任せな解決方法と無敵っぷりを楽しむ映画。つよい。かっこいい。たのしい。どうもシリーズものの一部らしく、博士や物語の根幹の計画に関してはよくわからなかったのが残念。

 

さて、明日はいよいよ秋新歓一日目です。このブログを読んでいる方で、映画が好き、映画についてもっとよく知りたい、映画を作りたい、ブログを書いていた人に会ってみたいという方、あるいは別の理由でも構いません。ぜひ足を運んでみてください。

【秋新歓ブログリレー企画】変身力は想像力です。(高島)

 この秋映研入りまして初めてのお仕事らしいお仕事、心が折れそうですが頑張ります。高島です。
 
 皆さん変身願望に覚えはないですか?例えば幼い頃、ベルト装着して変身!とか。魔法のグッズでシャランラー!とか。ちなみにわたくしはセーラーマーキュリーになりたかったです。世代です。
 変身、と言われると文学部としてはフランツ・カフカの『変身』とか中島敦『山月記』とか答えたくなります。余談ですが、『浦島太郎』がお爺さんになって鶴になった後、竜宮城の亀に会いに行って仲睦まじく暮らしたらしい、とつい先日知りました。
 
 すみません、映画の話をします。変身と言えばジョニー・デップです。変幻自在です。大好きです。
 彼の演じるキャラクターでまず目に付くのはメイクと衣装ですが、それだけで本当に変身と言えるのでしょうか?私は言えないと思います。始めに触れました戦隊ヒーロー、美少女戦士、見た目だけなら仮装です。何このぴったりスーツ…とか公衆の面前でふりふりドレスはちょっと…とか思ってたら戦えないですよ。大切なのは心の変身、想像力です。
 だからと言って体の変身が要らないかというとそうではありません。『変身』のザムザも、『山月記』の李徴も体が変わってしまったから心も変化したわけです。ヒーローなら、変身した!普通の俺もこれなら戦えるぜ!ということですね。
 役者の話に戻せば、メイクや衣装は演技という彼らの想像力に必要なツールということになるのではないでしょうか。

映画にとって一番大切な想像力、それは監督のものです。監督の脳内でキャラクター、衣装、背景、音楽、カメラなど全てがどのように練られるかに全てかかってきます。それがなければ映画はただの映像になってしまう。監督の想像力の中で役者は駒となって動かなければならない、しかし動くためには役者自身の想像力を働かせて変身しなくてはいけない。映画を撮るって大変ですね。
 しかも今日の映画はCGが使われることが多いですから、私の好きなティム・バートン、ジョニー・デップがコンビのファンタジーな世界観も、撮影時は緑一色とかざらです。脱帽です。

 変身する、させるには想像力に身を任せないといけないと思います。羞恥心とか現実とか常識とかを超える想像力が働くとき、世界ごと変身させることができるのではないでしょうか。きっとそれが映画です。

 あんまり実のある話ができた気はしませんが、私はいつもこんな風に色んなことをつらつら考えています。知識欲だけはあるので、優しい方いらっしゃいましたら何でもいいのでご教授ください。
 書いてたらちょっと私も変身したくなってきたので、役者の起用とかあったら嬉しいです!おわりです!