今晩は。西浦です。今月から注目映画が多数公開され毎週映画館に行っても追いつかないです。現在シアターキノで11/21までフランソワ・トリュフォーの没後30年特集上映が組まれています。映研部員が気づいていないようなので宣伝しておきます。
詳しくは以下のリンクを参照下さい。http://mermaidfilms.co.jp/truffaut30/
映研部員であればトリュフォーの代表作は見ているはずと思いたいのですが(見たことないという人は勉強不足ですよ!)簡単にどのような監督かを説明しておきますね。
トリュフォーは32年に生まれ、84年に世を去ったフランスの映画監督です。ヌーヴェルバーグ(この言葉にみがまえないで下さい)を代表する監督の一人です。恋愛映画の名手で無数の傑作を残しています。代表作は「大人は判ってくれない」、「終電車」、「突然炎のごとく」、「アメリカの夜」、「隣の女」等です。伝説の映画雑誌、カイエ・デュ・シネマで評論家として活動したのち「大人は判ってくれない」で世界的評価を得ます。ゴダールとの決別という映画史に残る別れをへて、映画人として生涯を全うしました。私の尊敬する映画評論家の淀川長治さんはトリュフォーを映画の使徒、天使であると評していました。トリュフォーは映画をひたむきに愛し、映画の正道を外れないで歩いた人です。
ヌーヴェルバーグの監督というと敷居が高いと感じる人が多いかもしれませんが、トリュフォーの一連の映画はヒッチコックの映画を下敷きにしており、サスペンスと恋愛が絡み合う見事なドラマとなっております。なんの前提知識がなくてもすんなり見れるので未見の方は是非、映画館で見て欲しい。
シアターキノで上映する作品は「大人は判ってくれない」、「突然炎のごとく」、「暗くなるまでこの恋を」「終電車」の四作品です。今回は「終電車」について語りたいと思います。
~フランスの憂鬱、希望の沈滞、終電車の世界~
「終電車」は1980年の作品でトリュフォー映画で最もヒットした映画です。映画の世界ではこの時代、ワクワクするようなドラマというものが流行らなくなっていたんです。現実から希望が失われたとき(例えば911以降のアメリカ映画のように)物語は魅力的な話のネタを現実の生活から見つけることが難しくなります。現実が辛くてつまらないとき作家の視点は過去へと向かいます。「終電車」はドイツ占領時代のフランスが舞台です。フランスが最も落ち込んだ時代であり、レジスタンスとして国民が団結した栄光の時代。このアンビバレントな時代に戻りたいと思う心情はわかる。が、しかしアナクロでもある。宮崎駿が今の政治状況を超えて戦争直前の人々、日本の時代のある種の美しさを「風立ちぬ」で描いたことと通じるところを感じます。
主人公は激動の時代を生き抜き、ユダヤ人の夫とモンマルトル劇場を守らんとする女、マリオン。ナチスドイツの手を逃れ国外逃亡したと思われた劇場主で演出家のシュタイナー。本当は彼は妻のマリオンの助けで劇場の地下室に隠れ住んでいた。彼女は女優兼演出家として舞台に立ちながら夫の演出プランのもと劇を成功に導かなくてはならなくなった。ナチ御用達記者の嫌がらせや夫への追跡、多くの困難に負けず、マリオンは夫と劇場を守り通せるかが物語の軸であります。
劇中劇「消えた女」の上演のため役者を探すマリオンは若き俳優ベルナールを採用する。マリオンの美貌と強い意思に惹かれていくベルナール。話は夫を匿う妻マリオン、隠れた夫シュタイナー、若きべルナールのヘンテコな三角関係へと発展します。
不倫の物語は劇中劇と互いに絡み合いつつ、驚きそしてある種痛快な結末へと向かっていきます。どうなるか、これは映画館で見て欲しいですね。
~美しいってのは窮屈だ、カトリーヌ・ドヌーヴという女優~
終電車の主人公はフランスの大女優、神秘の美女カトリーヌ・ドヌーヴです。彼女の代表作はもちろん「シェルブールの雨傘」。これはミュージカルの傑作。セリフも全て歌で無駄がないぶん話はシリアスという変わった映画。私は視聴後、女とは何なのだと頭を抱えてしまいました。美女とはかくも生きずらいのか。私が美人という生き物について考える一つのきっかけであります。この映画を楽しいミュージカルと受け止められる人はニブチンか美女だけでしょうね。
さて、カトリーヌ・ドヌーヴがどんな女優かというのは下の「シェルブールの雨傘」の彼女を見れば一目瞭然です。神秘の美少女とは何者か。それは全身これ不満感といったもので作られたとんでもなく不器用な女性だったのです。笑顔はその冷淡な顔の裏に隠れ、何が自分なのかしっくりこない。もちろん多くの少女は自分がはっきりしない混沌の中でもがき、うじうじしちゃって見てくれが不健康(ブスになるということ!)になるものです。
私は美少女と少女をわかつのものは美女は自分にしっくりこないが自らの美しさには疑いを持ってない分自由に動けるということだと思うんですけど、美しいなんてものは周りが決めたよくわからないものだけに怖いことでもあうんです。普通は美女も綺麗なおばちゃんになってしまうけれど、彼女はどこかで大人になるいうことを拒否してしまった節があっります。「終電車」の彼女は若い時のまんま不機嫌顔なのです。
美少女のままおばさんになった女。これって男としては可哀想に思う、というかどうしたもんだと思うのですが、トリュフォーが映画で示した答えはかっこの良い見事なものでした。ここは映画での楽しみとして伏せておきますが。
なんにせよカトリーヌ・ドヌーヴに代表される本当の美女とは身近な幸せを拒絶し、にっちもさっちもいかない不幸の中でホッとしてしまう業を背負った生き物みたいです。ルイス・ブニュエルが彼女と組んでつくった「哀しみのトリスターナ」、「昼顔」なんて本当にその通りで不能の夫に付き添う妻だったり、ジイさまに愛されたりと情念渦巻いているのですが、ここでの彼女の美しさはえも言えぬものがあります。客観的にはど不幸なんですけどね。
以下ネタバレがあるので注意!
~それでも君は美しい、トリュフォーの愛~
さてこっからは映画を見た人が読んで欲しいのですが。トリュフォーは一時期カトリーヌ・ドヌーヴと恋仲にあったのです。この「終電車」は全編トリュフォーの彼女への愛で出来ています。マリオンというキャラクターはおばさんになった彼女の境遇を反映しており、それゆえ変な映画になっているのです。三角関係の末にどうなるのか。ここは驚き、ベルナールとシュタイナーまさかのどっちつかずに終わるのです。終戦後の劇場でマリオンを真ん中にベルナールとシュタイナーが舞台の上に立っています。喝采の中でマリオンは二人の手をとり満面の笑みで笑うのです。今までの彼女の映画にはないほっとした安心の笑顔。ここで映画は終わるのです。なんと見事なんでしょうか。どうするか決めかねているマリオンことカトリーヌ・ドヌーヴにどっちも選べ、ごまかしちゃえというのです。
なるほど、カトリーヌ・ドヌーヴとはそう生きるべきであったか。不器用な君はバカだねといって彼女を笑顔にするトリュフォーを尊敬します。彼女らしい美しさとはあの最後の笑顔だったんですね。私らしさとは他人が認めてこそ輝くのだと思いました。
~映画館に向かうのだ!~
トリュフォーの恋愛映画はとても深みがあります。恋愛を理屈や言葉で考えちゃう私にはいい薬になるのです。映研部員で見ていない人はこの機会に映画館で見て欲しいですね。「終電車」以外の作品も面白いですよ。
それでは。ブログの感想待ってます。西浦直人