池田に「ウルフ・オブ・ウォールストリート」のレビューを先に書かれてしまった。賛否がぱっくりなので私の意見を述べようと思う。
最近、私が「ウルフ・オブ・ウォールストリート」の話ばかりするので皆ご存知だろうが、私はこの映画を大いに楽しんだ。スコセッシの話をすると長くなるので映画にしぼって感想を書きたいと思う。大まかなあらすじは池田の記事を参照してもらいたい。
ディカプ残念ながらアカデミー賞主演男優賞逃してしまった。
マシュー・マコノヒーが受賞したので私としては嬉しいのだが・・・。
「ウルフ~」の映画序盤のディカプリオとマシュー・マコノヒーの掛け合いは非常に魅力的である。
ジョーダン・ベルフォート(ディカプ)の人生はマシュー・マコノヒーの狂気によって拓かれる。
マシュー・マコノヒーがディカプリオをおさえアカデミー賞を受賞するのも当然に思える。
しかしながら、「ウルフ~」でのディカプリオはまさに熱演といってよい演じぶりであった。
この映画にのれるかは、頭がクラクラするあの乱痴気騒ぎに「あこがれ」を持てるかどうかで決まると思う。
ディカプリオ演じるジョーダン・ベルフォートは映画中少しも反省しない。全てを失おうとも再び狂乱の世界に身を投じてしまう男である。
司会役でベルフォート本人が楽しそうに映画に出ている。この映画は現実なのだ。
私はジョーダン・ベルフォートを羨ましく思った。あんな滅茶苦茶な人生を送りたいわけではない。どう転んだってあんな風には生きれないから羨ましいのだ。
心情的にはベルフォートを逮捕できた捜査官に近い。
確かに彼自身の正義は守れたが、その正義は地下鉄に乗って惨めに帰宅する彼の人生をなんら変えることはなかった。
ベルフォートと捜査官どちらが人生の勝者なのだろうか。スコセッシは冷酷にそのことを観客に突きつける。映画を楽しんでいた観客こそ悪意に満ちたラストシーンは身にしみるだろう。ベルフォートの講演を食い入るように見つめる聴講者たちはどう見ても映画に熱中している観客そのものだった。
私もまんまと映画に魅了され、ベルフォートの復活を願いながらスクリーンを眺めていた。 そんな私の前にはどうみたって勝者(金持ちだとかモテるとかではない)になれないマヌケがいたのだ!そこで映画は終わる。なんてことだろう。映画館を満足感に浸りながら私は地下鉄で狭い家へと帰っていくのだ。これでは捜査官と同じではないか。
ベルフォートに苛立ち、捜査官側に肩入れ出来た観客は自分の勤勉さを誇れる正しき人たちであうと思う。良識的といっていい。あなたがたの真面目さ。それこそが社会をなんとか維持しているのだ。私だって家族を、顧客を一瞬も顧みないベルフォートのようなクズには呆れてしまう。それでもベルフォートには魅力がある。これが映画の力なのだ。本来の人生だったら馬鹿にして済ませられる人たちが我々を惹きつけてしまう。 私が「ウルフ~」を傑作だと思うのは、感情移入を許さないキャラクターから感動を生み出しているからだ。
私たちはつい自分はそれほどバカじゃないなと思いがちだ。自分の愚かさには目をつぶり、他者への想像力を簡単に捨ててしまう。堀江貴文氏が逮捕されたことに胸をすかれた人々は多いだろう。「ほーら言っただろ。お金は汗水たらしてこそだ」そんなことを思っていれば自分を鑑みることもせずに、のうのうと生きていける。
しかし、スコセッシは普通は感情移入できないような人達の美しさを観客に提示する。自分の知らない、知らないことすら知らなかった美しさを見せてくれる。まさに映画の奇跡だ。ウルフたちは命を人生をかけてバカをやっているのだ。憧れないでいられようか。 スコセッシは現在71歳。芸術家は歳をとらないのだと痛感する。いくつになっても若々しい想像力で凡庸な私たちが見逃している美しく掛け替えのないものを教えてくれる。
私は間違いなく捜査官のように社会を少しでも良くしたいという切ない思いを抱いて勤勉に生きていく。それでもあの腹立たしい阿呆への想像力を持ちながら生きていきたいと思う。それが「ウルフ~」を見せてもらったマヌケな観客としての私ができるせめてもの監督への感謝の気持ちである。
さて、長々と「ウルフ~」を見た私が思ったことを書いてきた。映画自体に関しても語るべきことは他にも沢山あると思う。編集の巧さは言わずもがなであろう。私の力量ではとてもじゃないが語りえない。まだ見てない人は映画館での上映は終わってしまったが(もっとはやく記事を上げるべきだった)是非、見て欲しい。意外に楽しめる自分に驚くかもしれない。
「ウルフ~」にハマった人には「J・エドガー」と「ヤング≒アダルト」をお勧めしておく。どちらもどうしようもない人たちが主人公である映画の傑作である。
「あこがれ」と「映画」の関係はそのうち語りたいと思います。それでは、また。じゃーの。