2024年度春新歓ブログリレー#17

mainvisual工学部三年の篠原と申します。

突然ですが、皆さんは普段どのような映画を見ていますか?SF、サスペンス、アクション、恋愛など様々なジャンルがありますが、私は静かなSFが大好きです。「アフターヤン」や「メッセージ」、アンドレイ・タルコフスキーの「ストーカー」など。未知との静かな対面は緊張感があり、ロマンがあります。そして決まって映像が美しいのです。メッセージに出てくるエイリアンなんてもう最高。泣けてきます。他にも頭のネジがぶっ飛んだ派手な映画も好きです。「π」や「ベイビーわるきゅーれ」、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」などなど。そんな私が今回紹介する映画は「海よりもまだ深く」です。

なんで?と不思議に思ったことでしょう。これはホームドラマですから、地味でとっても現実的なお話しです。先ほど述べた作品群と全く系統が違います。では、なぜこの作品を紹介するのかというと、私に新しい映画の魅力を教えてくれた思い入れのある作品だからです。

 

これは是枝裕和監督の作品で2016年に公開されました。母親との思い出から作られた作品で、自身が9歳から28歳まで住んでいた団地で撮影されました。阿部寛を主演に迎え、母親役を樹木希林が演じます。是枝作品の名コンビですね。

実を言うとストーリーは面白くないです。主人公は金も才能もないバツイチの元小説家、母親の住む団地に偶然集まった元家族との、台風が過ぎるまでのひと晩を描いたなんのオチもないお話し。“こんなはずで無かった”という思いを持つ大人がたくさん出てきます。当時中学生だった私は、大人ってそんなものなのかと、寂しいものだなと思いました(笑)。大学生になり大人の仲間入りをしましたが未だに、こんなはずの‘こんな’も思い描けていので焦っています。地味な作品ではありますが退屈することはなく、フッと笑えるところがある良作です。

 

さて、私が気づいた新しい映画の魅力とはなんでしょう。それは、ただの日常も映画の手にかかればとっても印象的なものに映ると言うことです。映画ってすごい。金も才能もないバツイチのダメ男が映画の登場人物になれば、なんだか憎めないやつに見えてしまうのです。汚い風呂場も部屋の小物も懐かしいような、ずっと残っていて欲しいと思うような、味わいのあるものになります。当時の私は本作に出てきたものに憧れてたくさん真似をしました。大通駅の立ち食い蕎麦屋でサラリーマンと肩を並べて蕎麦を啜ったり、カルピス氷を作って食べたり。大きな団子は大通りの三越に売っています。さらに、ばんえい競馬を見たり(普通の競馬を見てみたい)、わざわざ墨をすってみたりもしました。まだできていないのは台風の夜に公園でお菓子を食べることですね。北海道は台風が少なくて残念です。主人公が気に入った言葉を付箋に書いて書き留めているのですが、それも真似していました。こんな普通のことが、映画になると憧れるくらい素敵なものに見えるから不思議です。となると、なんだか自分でも映画が撮れる気がしてきませんか。変に脚色しなくても日常を切り取るだけでそれなりの絵になるくらい、私たちの生活は彩りのあるもののように思えてきます。そんなことに気づかせてくれた本作は私の中で大切な映画の一つになりました。

映画に求めるものは、興奮と映像美。巨大ロボット、狂人に天才、宇宙に砂漠、超絶美人!日常には現れない存在に憧れ、現実には起こらないハプニングにワクワクする。ダイナミックな感情の駆動こそが、映画を観る醍醐味である!そして、私たちの日常は映画にも劣らぬほど味わいのあるものなのだ!

「300円くじは絶対に当たるだよ。」と言うセリフが出てきますが、この映画は私にとって当たりの宝くじだったのかもしれません。

 

皆さんも、たまにはほのぼの日常ムービを観てみてはいかがでしょうか。UNEXTでは無料で観られますよ。

読んでいただきありがとうございました。

2024年度春新歓ブログリレー#16

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はじめまして。映研1年の古谷です。初のブログの題材は私が最も好きな映画、アンドリュー・ニコル監督作「GATTACA」(1997年・アメリカ)です。本作を鑑賞するまで、私の映画体験の中ではスターウォーズが王者に君臨していたわけですが、あっさりと一位を塗り替えたのがGATTACAだった訳です。
舞台は遺伝子操作が普通になった社会。「不適正者(自然出生児)」である主人公ヴィンセントは弟をはじめ「適正者(遺伝子操作済み児)」に常に遅れをとっています。両親の愛も肉体的能力も欠いていたヴィンセントは、宇宙飛行士になるべく努力を重ねますが、どれだけ優秀でも遺伝子検査で不適正者とわかれば落とされる無慈悲な社会でした。そこでDNAを偽装すべく、DNAブローカーを介して会った生粋の適正者ジェロームと共に、壮絶で隠匿された戦いを始めていく……詳しくは2023年の新歓ブログリレーをご覧ください。中嶋先輩が鮮やかに紹介してくれています。私の筆致では及びません。
代わりと言っては何ですが、個人的な感想を述べることとしましょう。
私にとっては幸いな事に、小学生あたりで最初に本作を鑑賞したときにはイーサン・ホークもユマ・サーマンも知りませんでした(ジュード・ロウは流石に知ってはいましたが)。これにより映画の中の描写は、当時の私にとって非常にリアルに映りました。これから行き着く社会にヴィンセントが居ておかしくない、と感じたわけです。その感覚が、この映画最大の魅力を引き出したと思います。魅力というのは「『不適正者』ヴィンセントの視点からみるからこそ感じる息の詰まる空気感」だと思います。ディストピア映画として見られることも多い本作ですが、決して「適正者」の側から見てそうであるわけではありません。ヴィンセントの弟が、適正者である自分が不適正者である兄に負けたことを「衝撃」として受け止めたように、適正者からみれば自分たちが勝っているのは当然であり、「ああ素晴らしき哉、人生」なわけです。この「もし自分が恵まれた側だったら気づきもしなかっただろう視点」を意識した時、この映画で一番の薄ら寒さを感じるのです。
非常に残酷な点として、作中で描写がありますように、ヴィンセントは「自然なままに生まれてきてほしい」という信念をもった両親の意向に依り不適正児として生まれてきています。つまり選択の余地があったわけです。現にヴィンセントが他の適正児に後れを取ったのを見た両親は、弟を遺伝子操作して出産することを決めました。選択肢があるからこそ、その責任が圧し掛かりこの映画の閉塞感に一役買っていることは言うまでもないでしょう。ただ、我が子の行く末を少なくとも成功の方向に導ける(もちろん失敗があることは描写されていますが)ことは、きっと多くの人にとっては“ユートピア”なのではないでしょうか。
非常に残念なことに、今の社会はこの表面的な“ユートピア”の方向に向かっています。ディストピアをディストピアとして認識できないままにユートピアと捉えてしまう私たちへの警鐘だ、と最初に見た時に感じた記憶があります。出生前診断も広がってきました、ネットを開けば優生思想が席巻しています。いつでも傍において見返したい作品である所以はこういう社会だからかもしれません。
作中では、事故で選手生命を絶たれた適正者ジェロームの協力のもと、ヴィンセントはDNAの偽装を図ります。ネタバレは避けますが、それでも結局肉体をどうこうできるわけではないのです。禁忌としての遺伝子操作、取り返しのつかない遺伝子操作、それとヴィンセントのアナログな対抗を対比して見ると、監督が警告を発したかったのは「人間ごときが手を出しては、取り返しのつかない一線」をやすやすと超えたくせに都合が悪くなってあがく人間像なのかな、と考えたりします。
最後に監督のアンドリュー・ニコルは素晴らしい作品を他にも製作していることをお伝えしておきましょう。名作と名高い「トゥルーマンショー」やスピルバーグが監督・トムハンクス主演の一品「ターミナル」、時間が通貨となるという点でGATTACAと同様にディストピアが描かれる「TIME」等……
とにかく、未鑑賞の方は「GATTACA」をぜひご覧ください。稚拙な長文をお読みいただきありがとうございました。

2024年度春新歓ブログリレー#15

81GouETIWwL._AC_UF894,1000_QL80_映研2年の安住です。
今回私が紹介する映画は、ブラッド・ピット主演の歴史フィクション映画、『トロイ』です。

タイトルの通り、この映画は、古代ギリシア最高の文学作品であるホメロスの叙事詩『イリアス』を実写映画化した作品になっています。(「イリアス」はギリシア語でトロイを意味します)
なんだかお堅そうな雰囲気ですが、物語自体は至ってシンプル。遥かなる古代に起こったミュケナイ率いる全ギリシアとトロイア王国との全面戦争を描いた、恋あり悲劇ありスペクタクルありの一国興亡史です。

全ヨーロッパ人の心の故郷ともいわれるこの偉大な古典を満を辞して映像化したのは、ウォルフガング・ピーターゼン。『エアフォース・ワン』の監督で、『イリアス』の大ファンらしいです。
さらにはキャスト陣も恐ろしく豪華です。主人公の英雄アキレスはブラッド・ピット、戦争の引き金となるトロイアの愚かな王子にはオーランド・プルーム、彼と恋に落ちるスパルタの王妃にはダイアン・クルーガー、ギリシアの賢王オデュッセウスにはショーン・ビーンが配されています。すごい!

簡単なあらすじをもう一度おさらいすると、時は古代のエーゲ海周辺にさかのぼります。アジア側の大国・トロイアとギリシア諸国家との長きにわたる戦争はようやく終結し、両陣営の間には和平が結ばれようとしていました。しかし、トロイア第二王子・パリスはあろうことかスパルタの王妃・ヘレンを駆け落ち同然に祖国へ連れて来てしまいます。これに激怒したスパルタ王は兄のギリシア盟主・ミュケナイ王に頼り、他のギリシア国家をも従えてトロイアに宣戦布告。かくして和平は消滅し、古代地中海世界をゆるがす大戦争が始まってしまう…というストーリーです。

さて、ここまでけっこう肯定的に基本情報を紹介してきましたが、実はこの映画は結構賛否の分かれている作品でもあります。
その最大の理由のひとつが、登場人物がすべてただの人間として描かれているということ。
本来原作である叙事詩は神々と人間との関わりあいを描いた神話文学であり、その世界観が古典ギリシアの人々の精神文化の支柱となっていることからも、見逃せない改変だとする批判の声が少なからぬ数挙がりました。
さらに、かといって歴史映画として観ることもかなり難しいというまあまあ厳しめな現実も存在しています。
この叙事詩は、いわゆる「エーゲ文明」時代に実際に起こった戦争をモチーフとしていることが確実視されていますが、あくまで大幅に神話的な脚色が施されいる「文学」であるため、大げさにも史書とは呼べません。
そのため、その神話文学を生身の人間を使って実際の歴史っぽく描いちゃった本作は、神話でも歴史でもないという微妙な立場に置かれることが運命付けられていたのです。

しかし、こうした声を聞いてもなお、私はこの作品に強く魅了され続けています。

いくつか理由はありますが、その最大のひとつは、古典古代以前のエーゲ海世界が説得力のある形で描かれているという点にあります。
先述したように、『イリアス』の舞台となったのは、ホメロスの生きた時代から更に数世紀ほどさかのぼったエーゲ文明の時代です。
我々が一般に「古代ギリシア」と聞いて思い浮かべる世界とは大きな時間と文化の隔たりがあるため、アジア/オリエント諸文明の影響を強烈に受けたヨーロッパ文明の黎明・始祖の姿を、これでもかというほどつぶさに目に焼き付けることができます。
もちろん映画的な脚色・想像は各所に入っていますが、考古学の発展にも依拠して、この映画の劇中美術には強い考証的こだわりが垣間見えます。
たとえば劇中では何度も葬儀のシーンが登場しますが、やたらアジアンな礼装をまとった王族たちが見守るなかで金属貨幣みたいなのを遺体の両目に置く風習には、「異文化っぽいな〜」とつぶやいてしまうこと請け合いです。

また、この作品においては何より人物ひとりひとりの魅力が強く感じられます。
神性を剥奪された英雄たちは、代わりに観客の強い共感を生む原動力となる脆くて曖昧な人間性を手にしました。
その筆頭は、やはり主人公のアキレスです。
原始的なマッチョイズムを体現したような肉体的強さを持つ女たらしの色男ながらも、どことない危うさをはらんだ目つきや、心の奥に抱えこまれた寂しさをふとした瞬間にもらす様子などからは、彼の人間的な不完全性が読み取れます。
また、なにより忘れられない存在としては、トロイア現王のプリアモスがいます。
彼自身は比較的温厚かつ寛大な性格で、善王の部類に属する王様であることは誰の目にも明らかです。しかしその穏和な性格もあってか醜態を晒した息子を見捨てることができず、苦渋の尻ぬぐいとして開戦を余儀なくされたことは不憫にさえ思えてきます。
ですが、そのように自己の主張が控えめな老王が、劇中のあるシーンにおいては完全なる独断によって非常に危険な賭けともいえる行動へその身を委ねます。
戦時の国家運営とはあんまり関わりのない私情もいいところな理由ではあるのですが、何しろその行動とは、憎むべき仇敵のもとへ赴き、その足へ口づけをしてまで愛する者の亡骸を取り戻そうとするという危険極まりないものです。私はここから彼の底知れぬ人格の一面を見せつけられたような感覚が芽生え、畏怖に近い感情すら覚えてしまいました。
明日の存在すら定かではないたそがれの大国において、死んでしまった家族を正式な形で弔ってみせようという固い意志には、戦争により一時的に消失・忘却の対象とされてしまった人間性、すなわち生活の回復への強い想いが見てとれるように思えました。
それゆえ、燃え盛るトロイアの街を彼が見つめるシーンには、他に替えようもないほどの強い悲しみが宿っているように感じられるのです。
そして劇中屈指の愚か者と言える王子・パリスは、一方で最も魅力に溢れたキャラクターとも言えます。
色魔でありながら幼稚で暗愚、おまけに臆病という人格のどうしようもない面ばかり見せつけられますが、物語の後半では自己の成長に向かって懸命にもがく姿も描かれることから、観客は彼のことを完全に嫌いになることができないのです。
彼はおそらく理想主義者で、事の重大さを十分に理解しきってはいません。しかし、彼が自身の迂闊さと未熟さを少しずつ噛み締めた末に物語のクライマックスで象徴的な一矢を放つ描写には、私はある種の消極的な人間讃歌のようなものを感じました。

この映画が描くものは、文字通りきわめて古典的な国家の存亡を賭けた戦史であり、典型的な悲恋であり、あまりにも象徴的にすぎる復讐劇です。
また、統治者の私情により国家の趨勢が大きく揺るがされる未成熟の政治機構、儀礼的で非生産的な決闘、なすすべもなく陥落する市街のなかで死に絶える無数の人々の描写など、物語の構造・内容ともにこの作品はシンプルな叙事詩の枠組みを出ることはありません。
しかし、そうした形式の制約があるからこそ、キャラクターの心のはたらきの機微や人間的精神の普遍性をいっそう強い形でそこかしこに読み取ることができるように思われます。
何千年も昔の架空の人間たちの物語がさまざまな角度から我々の胸を打つのは、そこに確かに繊細かつ複雑な人間像の構築がなされていることに他ならないように感じられてなりません。
そのため、原作とは大きく異なった内容ではありますが、ある意味ではこれは真に古典古代の精神を受け継ぐ人文主義的作品なのではないか…?とさえ思わされました。(なんら深い省察を経ていない考えですので、間違っていたらすみません。)

こういった理由から私は、やはりこの作品に強い魅力を感じてしまいます。
あとは、アキレスとヘクトル(パリスの兄・トロイア第一王子)の決闘シーンがめっちゃかっこいいです。そこだけでも観てほしいです。

たくさん書いてしまいましたが、結構ロマンがあって面白いので歴史好きの方はぜひ一度観てください。そうじゃない人も観てみてください。北図書にもあったはずです。

2024年度春新歓ブログリレー#14

1080x608こんにちは、文学部一年の奥田晋張です。私が紹介する映画は「ワイルド・スピード MEGA MAX」です。私が好きなワイルド・スピードシリーズの中でも一番気に入っている作品です。ワイルド・スピードシリーズの概要も踏まえながら紹介していきたいと思います。
日本でも多くファンを持つ本シリーズ。その魅力は何と言ってもカーアクションの格好良さではないでしょうか。ですが、車好きはもちろんのこと、車に全く詳しくない人でも十分楽しめる作品になっています。続編が制作されるたびに深堀りされていくそれぞれの登場人物やストーリー自体の面白さなど、たくさんの魅力があるシリーズです。
第1作目となる「ワイルド・スピード」は2001年に公開されました。続く「ワイルド・スピードX2」、「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT」を合わせた初期三部作はストリートレース(公道を使った違法レースのこと)が作品の主軸に置かれます。第4作目から2023年に公開された最新作に至るまではアクション映画としての要素が強くなり、CGなどの演出効果も積極的に使われるようになります。
今回紹介する「ワイルド・スピード MEGA MAX」はシリーズ第5作目に当たります。超大雑把なあらすじとしては、指名手配犯として追われることになった主人公らが凄腕のドライバーたちを招集してチームを組み、リオの悪徳実業家の闇金を奪って自由を手に入れようとする、という話になっています。ワイルド・スピードシリーズの面白さの一つは、現実ではまず起こり得ないような奇想天外さにあります。私はこの突き抜けているところにハマりました。他の作品の「ワイルド・スピード SKY MISSION」ではガラスを突き破って車でビルからビルに飛ぶシーンまであります。映画の見方は人それぞれだと思いますが、私は映画のリアリティに関してはあまり気にしない人間です。難しいことを考えずに頭を空っぽにして没頭できるという点でも本シリーズは優れていると思います。私がシリーズの中でこの作品が一番好きなのは、彼らのチームである”ファミリー”の団結感、チームワーク感が最も色濃く出ているように感じるからです。
シリーズ全体を通して、主人公らのグループを彼らはファミリーと呼びます。以降の物語でも重要になってくるこのファミリーですが、初めて本格的に結成されたのがこの作品です。ファミリーの中心的人物がヴィン・ディーゼル演じるドミニク・トレット。ドミニクのファミリーへの深い愛、そして彼を支えるファミリーの仲間たちという関係性が以降の作品で描かれていきます。
皆さんは心から頼ることのできる友人を持っていますか?友人に対して間違っていることは間違っているとはっきり言えますか?血の繋がっていない仲間をファミリーと呼び、背中を預け合う彼らの間には一種の愛情があるように感じます。友情を超えた愛情。そんな感情を抱ける友人を持ちたいなとシリーズを見るたびに思わされます。
今回は「ワイルド・スピード MEGA MAX」を取り上げましたが、ほとんどシリーズ全体の紹介になってしまいました。ぜひ本作品だけでなくシリーズを最初から見てみてください。公開順と作中の時系列が一部前後しますが、個人的には時系列順で見ることをお勧めします。読んで頂きありがとうございました。

2024年度春新歓ブログリレー#13

61jrP0tBWnL._AC_UF894,1000_QL80_皆さん、こんにちは。映画研究会1年の三野です。
私が紹介する映画は、2019年に公開されたアメリカのサイコスリラー映画「ジョーカー」です。「バットマン」シリーズに登場するジョーカーの原点を描いた作品で、知ってる方も多いのではないでしょうか。

ゴッサムシティという荒廃した街で、派遣ピエロとして働いているアーサー・フレック。稼いだわずかなお金で年老いた母親と共に慎ましく暮らしていました。アーサーには一流のコメディアンになるという夢がありましたが、彼は脳に疾患を抱えており、発作的に笑いだしてしまいます。病と孤独感に苦しむ彼に社会は冷たく、アーサーは徐々に人生に絶望していきます。それと同時に、次第に狂気の道化「ジョーカー」への変貌が始まり、いかにして心優しいアーサーが最終的に伝説的な悪役ジョーカーとなったのかが描かれています。

私が特に好きなシーンはやはり、ジョーカーとなったアーサーが踊りながら階段を下りていくシーンです。とても有名な場面なので、本編を見たことがなくてもこのシーンは知ってるという方もいることでしょう。映画では、ジョーカーになる前のアーサーが苦しそうに階段を上っていくシーンがありますが、ジョーカーは愉快でたまらないというように階段を下っていきます。まさしくアーサーが堕ちていくのを表現していますが、なんとも言えない甘美さがあります。

10月に最新作が公開されるそうです。楽しみですね!見ていて胸が締め付けられる作品ではありますが、とっても魅力的なので、機会があればぜひ見てみてください!
以下ネタバレ注意です。。。

もう一つ、ラストのシーンは賛否両論ありますが、私はとても印象的で気に入っている場面です。
病院でアーサーがカウンセリングを受けるシーンで、今までの物語はアーサーのジョークであったということが明かされます。最後にアーサーがカウンセラーに「君には理解できないさ」と言うのですが、このセリフは、今まで他人と寄り添って生きることを望んでいたアーサーが、理解されることを拒んだということではないでしょうか。つまり、どこまでが現実でどこからが妄想であったのかはわかりませんが、どちらにせよ、アーサーがジョーカーとして完成していることを示唆しているように感じました。これはもちろん私の考察に過ぎないので、様々な意見があると思います。ご覧になった方、ぜひあなたの考察も聞かせてください!

ここまで読んでいただきありがとうございました。

2024年度春新歓ブログリレー#12

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『DREAMGIRLS』

一年生の福島です。
私が紹介するのは、2006年公開のミュージカル映画『DREAMGIRLS』です。
三人の女性シンガーグループの栄光までの道、そしてメンバーそれぞれのその先を描いた作品です。

前半の活力にあふれた音楽、生活、衣装や舞台に触れると、本当にワクワクした気持ちになります。それだけでなく、将来への不安、正当に評価されていないという不満、がむしゃらな努力、未来への希望など、様々なことを自分に重ね合わせて見ることができる映画です。後半は、後悔、仕方ないと諦めたこと、それでも消えなかった情熱が表現されています。これからの人生の過ごし方を考えさせてくれると思います。

歌手兼俳優のジェニファー・ハドソンは、この作品で映画デビューを果たします。彼女は、オーディションを勝ち抜き、エフィー役を勝ち取ったのです。この作品での彼女の活躍はすさまじく、主演のビヨンセを嫉妬させてしまったほどだったと言います。『It’s All Over』と『And I Am Telling You I’m Not Going』での彼女の歌声が今も印象に残っています。

一曲聞くと、映画全体を見たくなってしまうほど、どの曲もストーリー性が強く、感情を大きく揺さぶられます。ぜひ、聞いてみてください。英単語は簡単なものが多く、英語の歌にチャレンジしたい方にもおすすめです。私は、作中でビヨンセが歌っている、『Listen』を練習し、上手くはないですが、歌詞を見ずに歌えるようになりました。

2024年度春新歓ブログリレー#11

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法学部2年の阿部です。映研に所属して1年、人生で一番映画を観た年でした。監督の名前すら、気にも留めなかった元高校生が、映研部員や映画館のバイト仲間と、映画について多少語らえるようになりました。今、「先輩たちの話がマニアック過ぎてついていけない…」と思っている新入生の皆さん、大丈夫です!分からないことはじゃんじゃん聞きましょう。おすすめ映画を聞いたら、喜んで教えてくれますよ。そして、一緒にいっぱい映画を観ましょうね〜📽
さて、今年は沢山映画を観たので何について書こうかとても悩みました。今回は、記憶も新しいので現在上映中の「ミッシング」(吉田恵輔)について書きたいと思います。

ちょうど一年前、私は同監督の「空白」を観ました。この作品がとても印象的で、ぜひ昨年のブログリレーにしたかったのですが、当時の語彙力ではどうしても作品の良さを書き表せられなかったんです。先日「ミッシング」を観て、「空白」と同じ衝撃を感じました。今ならこの感動を言葉にできる気がします。チャレンジさせてください!
始めにあらすじを…。「ミッシング」は、一人の幼い少女が失踪して数ヶ月経ったところから物語が始まります。少女の両親や叔父、その失踪事件をドキュメンタリー化する記者など、その事件を取り巻く人々が描かれています。心や信念などの大切なものを失ったり、その中で小さな光を見つけたりする、そんな映画です。

中心に映されるのは、少女の母親、沙織里(石原さとみ)です。彼女は、娘と再会するために何でも、どんな小さなことにでもすがります。希望が残っているから、母として向き合い続けなくてはならないと無意識に感じているのかもしれません。一瞬でも諦める姿を娘に見せてはいけないのです。その残酷な希望が「空白」との大きな違いの一つだと思います。(「空白」は、万引き未遂をしたかもしれない娘が、死んでしまったところから話が始まります。)そして、必死にもがく自分とは同じ熱量で向き合ってくれない夫、失踪直前に娘と一緒にいたのに捜査に協力してくれない弟、何も知らないくせに勝手に誹謗中傷してくるネット上の人々…。街の中の人々の攻撃的な言葉が大きく聞こえてきます。道でぶつかって喧嘩をしている人たち、スーパーで文句を言う人など。沙織里には、世の中がひどく狂って見えます。

それでも長い時間をかけて、ぶつかり合いながら、少しずつ互いに歩み寄ったり、折り合いをつけたりしていきます。その中で見つけた小さな光が、どんなにまばゆく鮮やかに見えるのか…。終盤のシーンはとても綺麗です。パンフレットから、お気に入りの一節をここに書かせていただきます。『光はどこかから与えられるのではなくて、自分が気づくかどうか。』(「missingミッシング」松竹株式会社 事業推進部発行,2024年,30頁)

私は、「空白」も「ミッシング」も観ながらボロボロ泣いてしまいました。しかも結構序盤からです。これは、悲しいや嬉しい、感動の涙ではなく、混乱の涙という言葉が一番しっくりくるように思います。私が感じる、吉田監督の作品の最大の特徴は、人の心を客観的に見ることができるところです。私たちは日々、自分自身を中心に、主観的に周囲の人間を見て生きています。しかし、吉田恵輔の書く脚本には、視聴者が気持ちを入れ込めるような唯一の主人公は登場しません。全ての登場人物が、その人の人生の主人公であり、その人の主観でものを見ているということを、我々は客観的に見ることができるのです。全登場人物の気持ちをよく理解はできますが、完全な共感や同情はできません。そのため、一つの画面に同時に複数人のそれぞれの感情が映し出され、それを受け止めきれなくて私は泣いてしまいます。涙で複数のすれ違ったり対立したりする気持ちを消化しているような感じです。世界はこんなにも色々な人が、色々な感情で動くことで回っているのかと驚かされます。
最後に、この作品のすごいところをもう一つ。パンフレットにシナリオ決定稿がすべて載っているんです!インタビューも沢山で、100ページ弱に及ぶ手の込んだパンフレットが1200円で買えるなんて、太っ腹すぎますね。機会があればぜひ手に取ってみてください。実は、映画のパンフレットって日本独自の文化らしいですよ。作品によって中身の濃さは全く違うので、事前に調べたほうがいいですが、気に入った映画は思い出として手元に置いておきたくなりますね。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。拙い文章でしたが、少しでも映画の魅力が伝わっていればと思います。気になった方は、ぜひ映画館へ足を運んでみてください。ハンカチと一緒に。ぶるるる···

2024年度春新歓ブログリレー#10

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私は、一年目の河本だ。
今回紹介する映画は「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」である。
IWGPや、あまちゃん、ピンポンなどの脚本を担当してきた、宮藤官九郎が監督、脚本を務め、神木隆之介、長瀬智也が主演を演じている。
簡単なあらすじは、「事故が原因で地獄に来てしまった男子高校生が、ロックバンドを率いる鬼と共に奇想天外な冒険と抱腹絶倒の騒動を巻き起こす。(出典シネマトゥデイ)」である。

あらすじからもわかるように、かなりコメディの色が強いファンタジーだ。
とはいえ、完全に笑いに振り切っているわけではなく、本人たちはいたって真剣だが、それがどこか面白いとう感じなので、胃もたれすることもなく最後まで見きることができるだろう。
私が、この映画を気に入っている1番のポイントは、「気負わず見れる」というところだ。
この映画は決して直接的に、生きる喜びだとか、恋愛の苦しみだとか、家族の大切さを説いてはこない。
ただ映画を通して、ぼんやりと明るい気持ちになるだけだ。
だから、たとえあなたが、サブカルチャーを摂取する心の体力が残り少ない時でも、是非この映画の再生ボタンを押してみてほしいと思う。色彩感も唯一無二で、見ていて楽しい。
本当に新感覚で、一度見たら忘れられない映画になっているので、是非!(下品なシーンも多いので、一緒に見る人は選んだ方が吉です)

2024年度春新歓ブログリレー#9

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はじめまして!1年目の波です。
私が今回紹介する映画はデビッド・フランケル監督作品の「プラダを着た悪魔」です。

あらすじはジャーナリストを目指す、ファッションに興味のないアンディ(アン・ハサウェイ)が人事部に紹介されて採用されたのは一流ファッション誌”RUNWAY”の伝説のカリスマ編集者、ミランダ(メリル・ストリープ)のアシスタント。しかしミランダはこれまでに何人もをクビにしてきた鬼上司!まさに”プラダを着た悪魔”。そんなミランダの元でアンディが日々奮闘し成長していく物語です。

かなり有名な作品なので世界中の人のバイブルとなっているのではないのでしょうか?私もそのうちの1人です。

この映画を語る上で欠かせないポイント。それは…”ファッション”と”NY”です!

登場人物のファッションが本当に素敵なんです。同監督作品の「マイアミ・ラプソディ」や「セックス・アンド・ザ・シティ」でも衣装を担当したパトリシア・フィールドはそれぞれのキャラクターに合わせてスタイリングをされていて、例えばアンディのアシスタントとしての先輩、エミリーは赤毛に独特なメイクとVivienne WestwoodやRICK OWENSなどのブランドを合わせた、ファンキーで個性的なスタイル。ミランダは主にビンテージのアイテムを合わせた、クラッシックで上品な独自のスタイル。
特にアンディの、仕事や周囲に対する考え方と共に大きく変化するファッションには目が離せません!映画でアンディが着た衣装はなんと65着!当時の流行を先取りしたトレンド重視のスタイルとなっています。
舞台は主に”NY”なのですが、この映画をプロデューサーのウェンディ・フェネルマンは「NYへのラブレター」だと表現するほど、活気に満ちたNYの街並みが印象的に映されています。

NYの街並みを闊歩するアンディの衣装が移り変わるシーンは何度見てもわくわくしますし、この映画の魅力がよく伝わります。

ついでに私の好きなシーンをいくつか紹介したいと思います!
1つ目はやっぱりオープニングのシーンですね!KTタンストールの「Suddenly I See」という曲と共にミランダのスタッフ、通称「コツコツ族」(歩く度にヒールの音がコツコツなることから)とアンディの朝の支度の様子が流れるシーンなのですが、コツコツ族の下着の履き方までもが洗練されていて本当にオシャレ!靴が印象的に映されるのですが、これは監督の「靴がダメなら服もダメ」という意識から来ている演出です。このシーン以外にも靴が強調されているカットがあるので是非意識して観てみてください!
2つ目は「ブルーセーター」のシーンです。手持ちのカメラが使われていてドキュメンタリーのようなカメラワークになっているので、よりファッション業界の緊迫感やミランダが単に意地悪で人使いが荒いだけではなく、いかにやり手で功績を残して来た人物であるのかが伝わるシーンとなっています。観た際に「あ!このシーンか!」と思い出してくれたらうれしいです☺︎

この映画の主人公はアンディですが、物語が進むにつれて現れてくるカリスマ編集長ミランダの内面、厳しいビジネスの世界でトップに立つ女性の難しさの描写もこの映画の魅力です。

3つ目はアンディがミランダを失望させてしまい落ち込んでいる時にミランダの右腕として働くナイジェルから説教を受けるシーンです。ここでのアン・ハサウェイの表情の演技が素晴らしく、アンディのセリフはほとんどないのですが、2人はまるで会話をしているような印象を与えます。このシーンのあとに激アツな展開があるのも含めて好きです。

加えて小ネタのようなものも紹介したいと思います✌︎
①アンディと家族との写真に写っているお母さんはアン・ハサウェイの本当のお母さん。
②ファッションショーのシーンで実際にデザイナーのヴァレンティノがカメオ出演している。

脚本も素晴らしく、印象に残るセリフがたくさん出てきます。その中の一つだけ紹介します。それはナイジェルがアンディに向けて言った、「仕事ができるようになると、プライベートが崩壊するよ。昇進のタイミングだ」というセリフです。

アンディは犠牲と共に前進していきます。20代前半の変化していく様々な人間関係の大変さに共感し勇気をもらえます。

まだ観たことがない方はもちろん、観たことがある人も今一度「プラダを着た悪魔」を是非観てみてください!ストーリー、カメラワーク、衣装、脚本、音楽、演技…。映画の醍醐味がギュッと詰まった最高の作品です!

こういった文章を書くのは初めてなので長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

That’s all.

 

2024年度春新歓ブログリレー#8

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おとぎの国アンダレーシアの森の中で動物たちと仲良く暮らすジゼルは、ある日王子様と運命的な出会いを果たしすぐに結婚を約束する。しかし結婚式当日、ジゼルは玉座を奪われることを恐れた女王の手によって井戸に落とされてしまう。そして彼女がたどり着いたのは…現代のニューヨークだった!おとぎの国の価値観なんて通用しない、”永遠の幸せなんて存在しない場所”ニューヨークで、ジゼルはどうなってしまうのか?「真実の愛」とはいったいなんなのか?

こんにちは。映画研究会一年の保坂です。今回は私が幼い頃から大好きなディズニー映画、「魔法にかけられて」を紹介します。
この映画はアンダレーシアを描いたアニメーション、そしてニューヨークが舞台の実写が織り交ぜられた珍しい構成になっています。

結婚式のための真っ白なドレスを着たままニューヨークのマンホールから出てきて途方に暮れていたジゼルは、偶然通りかかったシングルファザーのロバートに助けられます。いかにもおとぎの国のプリンセスという振る舞いのジゼルを見て、ロバートの幼い娘は彼女を本物のプリンセスだと信じるのに対し、現実主義のロバートは「変な女の子」としか考えません。
私が思うこの映画の魅力は、そういったおとぎ話と現実とのチグハグさにあります。例えば歌いながら動物と一緒に部屋の掃除をするのはきっと誰もが見覚えのあるような「プリンセスあるある」ですが、舞台がニューヨークとなれば集まってくるのは下水道から出てきたネズミやゴキブリ、ハエなどで、とても美しいとは言えない映像へと変貌を遂げます。勝手に部屋のカーテンを使ってドレスを作ったり、弁護士として働くロバートに離婚交渉の依頼をしている夫婦に空気の読めない質問をしてしまったりするジゼルに周囲の人たちは初めは困惑しますが、彼らも、そしてこの映画を見る私たちも、純粋で思いやりのあるジゼルに次第に心惹かれていきます。確かにジゼルをはじめアンダレーシアからニューヨークに飛び出してくる登場人物たちの行動は、現実世界を生きる人々からすれば非常識なものには変わりありません。アニメの中ではかっこいい王子様も、ニューヨークへやってくれば単なる間抜けなナルシストに見えてしまいます。しかし、そのチグハグさがたまらなく愛おしいのです。

私の一番好きなシーンが、公園でのミュージカルシーンです。やはりプリンセスらしく突然歌い出したジゼルをロバートは止めますが、それを聞いていた路上パフォーマーが続きを演奏し、最終的に公園中の人を巻き込んだ大合唱になっていきます。周囲の人々を幸せにするジゼルの魅力が溢れているのと同時に、それまで冷たい面ばかり映し出されていた現実世界にも愛や希望を感じられる場面です。

そのような中で元の世界に帰るための方法を探すジゼルですが、彼女を追ってアンダレーシアからは次々とキャラクターたちがやって来て、物語は大波乱の展開を迎えます。
私たちに真実の愛とは何なのかを考えさせるとともに、おとぎ話のようにうまくはいかない現実を生きる中でどこかに置いて来てしまった大切なものを思い出させてくれる映画です。

北大の北図書館でも閲覧が可能なので、気になった方はぜひご覧ください。