2024年度春新歓ブログリレー#16

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はじめまして。映研1年の古谷です。初のブログの題材は私が最も好きな映画、アンドリュー・ニコル監督作「GATTACA」(1997年・アメリカ)です。本作を鑑賞するまで、私の映画体験の中ではスターウォーズが王者に君臨していたわけですが、あっさりと一位を塗り替えたのがGATTACAだった訳です。
舞台は遺伝子操作が普通になった社会。「不適正者(自然出生児)」である主人公ヴィンセントは弟をはじめ「適正者(遺伝子操作済み児)」に常に遅れをとっています。両親の愛も肉体的能力も欠いていたヴィンセントは、宇宙飛行士になるべく努力を重ねますが、どれだけ優秀でも遺伝子検査で不適正者とわかれば落とされる無慈悲な社会でした。そこでDNAを偽装すべく、DNAブローカーを介して会った生粋の適正者ジェロームと共に、壮絶で隠匿された戦いを始めていく……詳しくは2023年の新歓ブログリレーをご覧ください。中嶋先輩が鮮やかに紹介してくれています。私の筆致では及びません。
代わりと言っては何ですが、個人的な感想を述べることとしましょう。
私にとっては幸いな事に、小学生あたりで最初に本作を鑑賞したときにはイーサン・ホークもユマ・サーマンも知りませんでした(ジュード・ロウは流石に知ってはいましたが)。これにより映画の中の描写は、当時の私にとって非常にリアルに映りました。これから行き着く社会にヴィンセントが居ておかしくない、と感じたわけです。その感覚が、この映画最大の魅力を引き出したと思います。魅力というのは「『不適正者』ヴィンセントの視点からみるからこそ感じる息の詰まる空気感」だと思います。ディストピア映画として見られることも多い本作ですが、決して「適正者」の側から見てそうであるわけではありません。ヴィンセントの弟が、適正者である自分が不適正者である兄に負けたことを「衝撃」として受け止めたように、適正者からみれば自分たちが勝っているのは当然であり、「ああ素晴らしき哉、人生」なわけです。この「もし自分が恵まれた側だったら気づきもしなかっただろう視点」を意識した時、この映画で一番の薄ら寒さを感じるのです。
非常に残酷な点として、作中で描写がありますように、ヴィンセントは「自然なままに生まれてきてほしい」という信念をもった両親の意向に依り不適正児として生まれてきています。つまり選択の余地があったわけです。現にヴィンセントが他の適正児に後れを取ったのを見た両親は、弟を遺伝子操作して出産することを決めました。選択肢があるからこそ、その責任が圧し掛かりこの映画の閉塞感に一役買っていることは言うまでもないでしょう。ただ、我が子の行く末を少なくとも成功の方向に導ける(もちろん失敗があることは描写されていますが)ことは、きっと多くの人にとっては“ユートピア”なのではないでしょうか。
非常に残念なことに、今の社会はこの表面的な“ユートピア”の方向に向かっています。ディストピアをディストピアとして認識できないままにユートピアと捉えてしまう私たちへの警鐘だ、と最初に見た時に感じた記憶があります。出生前診断も広がってきました、ネットを開けば優生思想が席巻しています。いつでも傍において見返したい作品である所以はこういう社会だからかもしれません。
作中では、事故で選手生命を絶たれた適正者ジェロームの協力のもと、ヴィンセントはDNAの偽装を図ります。ネタバレは避けますが、それでも結局肉体をどうこうできるわけではないのです。禁忌としての遺伝子操作、取り返しのつかない遺伝子操作、それとヴィンセントのアナログな対抗を対比して見ると、監督が警告を発したかったのは「人間ごときが手を出しては、取り返しのつかない一線」をやすやすと超えたくせに都合が悪くなってあがく人間像なのかな、と考えたりします。
最後に監督のアンドリュー・ニコルは素晴らしい作品を他にも製作していることをお伝えしておきましょう。名作と名高い「トゥルーマンショー」やスピルバーグが監督・トムハンクス主演の一品「ターミナル」、時間が通貨となるという点でGATTACAと同様にディストピアが描かれる「TIME」等……
とにかく、未鑑賞の方は「GATTACA」をぜひご覧ください。稚拙な長文をお読みいただきありがとうございました。

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