2024年度春新歓ブログリレー#15

81GouETIWwL._AC_UF894,1000_QL80_映研2年の安住です。
今回私が紹介する映画は、ブラッド・ピット主演の歴史フィクション映画、『トロイ』です。

タイトルの通り、この映画は、古代ギリシア最高の文学作品であるホメロスの叙事詩『イリアス』を実写映画化した作品になっています。(「イリアス」はギリシア語でトロイを意味します)
なんだかお堅そうな雰囲気ですが、物語自体は至ってシンプル。遥かなる古代に起こったミュケナイ率いる全ギリシアとトロイア王国との全面戦争を描いた、恋あり悲劇ありスペクタクルありの一国興亡史です。

全ヨーロッパ人の心の故郷ともいわれるこの偉大な古典を満を辞して映像化したのは、ウォルフガング・ピーターゼン。『エアフォース・ワン』の監督で、『イリアス』の大ファンらしいです。
さらにはキャスト陣も恐ろしく豪華です。主人公の英雄アキレスはブラッド・ピット、戦争の引き金となるトロイアの愚かな王子にはオーランド・プルーム、彼と恋に落ちるスパルタの王妃にはダイアン・クルーガー、ギリシアの賢王オデュッセウスにはショーン・ビーンが配されています。すごい!

簡単なあらすじをもう一度おさらいすると、時は古代のエーゲ海周辺にさかのぼります。アジア側の大国・トロイアとギリシア諸国家との長きにわたる戦争はようやく終結し、両陣営の間には和平が結ばれようとしていました。しかし、トロイア第二王子・パリスはあろうことかスパルタの王妃・ヘレンを駆け落ち同然に祖国へ連れて来てしまいます。これに激怒したスパルタ王は兄のギリシア盟主・ミュケナイ王に頼り、他のギリシア国家をも従えてトロイアに宣戦布告。かくして和平は消滅し、古代地中海世界をゆるがす大戦争が始まってしまう…というストーリーです。

さて、ここまでけっこう肯定的に基本情報を紹介してきましたが、実はこの映画は結構賛否の分かれている作品でもあります。
その最大の理由のひとつが、登場人物がすべてただの人間として描かれているということ。
本来原作である叙事詩は神々と人間との関わりあいを描いた神話文学であり、その世界観が古典ギリシアの人々の精神文化の支柱となっていることからも、見逃せない改変だとする批判の声が少なからぬ数挙がりました。
さらに、かといって歴史映画として観ることもかなり難しいというまあまあ厳しめな現実も存在しています。
この叙事詩は、いわゆる「エーゲ文明」時代に実際に起こった戦争をモチーフとしていることが確実視されていますが、あくまで大幅に神話的な脚色が施されいる「文学」であるため、大げさにも史書とは呼べません。
そのため、その神話文学を生身の人間を使って実際の歴史っぽく描いちゃった本作は、神話でも歴史でもないという微妙な立場に置かれることが運命付けられていたのです。

しかし、こうした声を聞いてもなお、私はこの作品に強く魅了され続けています。

いくつか理由はありますが、その最大のひとつは、古典古代以前のエーゲ海世界が説得力のある形で描かれているという点にあります。
先述したように、『イリアス』の舞台となったのは、ホメロスの生きた時代から更に数世紀ほどさかのぼったエーゲ文明の時代です。
我々が一般に「古代ギリシア」と聞いて思い浮かべる世界とは大きな時間と文化の隔たりがあるため、アジア/オリエント諸文明の影響を強烈に受けたヨーロッパ文明の黎明・始祖の姿を、これでもかというほどつぶさに目に焼き付けることができます。
もちろん映画的な脚色・想像は各所に入っていますが、考古学の発展にも依拠して、この映画の劇中美術には強い考証的こだわりが垣間見えます。
たとえば劇中では何度も葬儀のシーンが登場しますが、やたらアジアンな礼装をまとった王族たちが見守るなかで金属貨幣みたいなのを遺体の両目に置く風習には、「異文化っぽいな〜」とつぶやいてしまうこと請け合いです。

また、この作品においては何より人物ひとりひとりの魅力が強く感じられます。
神性を剥奪された英雄たちは、代わりに観客の強い共感を生む原動力となる脆くて曖昧な人間性を手にしました。
その筆頭は、やはり主人公のアキレスです。
原始的なマッチョイズムを体現したような肉体的強さを持つ女たらしの色男ながらも、どことない危うさをはらんだ目つきや、心の奥に抱えこまれた寂しさをふとした瞬間にもらす様子などからは、彼の人間的な不完全性が読み取れます。
また、なにより忘れられない存在としては、トロイア現王のプリアモスがいます。
彼自身は比較的温厚かつ寛大な性格で、善王の部類に属する王様であることは誰の目にも明らかです。しかしその穏和な性格もあってか醜態を晒した息子を見捨てることができず、苦渋の尻ぬぐいとして開戦を余儀なくされたことは不憫にさえ思えてきます。
ですが、そのように自己の主張が控えめな老王が、劇中のあるシーンにおいては完全なる独断によって非常に危険な賭けともいえる行動へその身を委ねます。
戦時の国家運営とはあんまり関わりのない私情もいいところな理由ではあるのですが、何しろその行動とは、憎むべき仇敵のもとへ赴き、その足へ口づけをしてまで愛する者の亡骸を取り戻そうとするという危険極まりないものです。私はここから彼の底知れぬ人格の一面を見せつけられたような感覚が芽生え、畏怖に近い感情すら覚えてしまいました。
明日の存在すら定かではないたそがれの大国において、死んでしまった家族を正式な形で弔ってみせようという固い意志には、戦争により一時的に消失・忘却の対象とされてしまった人間性、すなわち生活の回復への強い想いが見てとれるように思えました。
それゆえ、燃え盛るトロイアの街を彼が見つめるシーンには、他に替えようもないほどの強い悲しみが宿っているように感じられるのです。
そして劇中屈指の愚か者と言える王子・パリスは、一方で最も魅力に溢れたキャラクターとも言えます。
色魔でありながら幼稚で暗愚、おまけに臆病という人格のどうしようもない面ばかり見せつけられますが、物語の後半では自己の成長に向かって懸命にもがく姿も描かれることから、観客は彼のことを完全に嫌いになることができないのです。
彼はおそらく理想主義者で、事の重大さを十分に理解しきってはいません。しかし、彼が自身の迂闊さと未熟さを少しずつ噛み締めた末に物語のクライマックスで象徴的な一矢を放つ描写には、私はある種の消極的な人間讃歌のようなものを感じました。

この映画が描くものは、文字通りきわめて古典的な国家の存亡を賭けた戦史であり、典型的な悲恋であり、あまりにも象徴的にすぎる復讐劇です。
また、統治者の私情により国家の趨勢が大きく揺るがされる未成熟の政治機構、儀礼的で非生産的な決闘、なすすべもなく陥落する市街のなかで死に絶える無数の人々の描写など、物語の構造・内容ともにこの作品はシンプルな叙事詩の枠組みを出ることはありません。
しかし、そうした形式の制約があるからこそ、キャラクターの心のはたらきの機微や人間的精神の普遍性をいっそう強い形でそこかしこに読み取ることができるように思われます。
何千年も昔の架空の人間たちの物語がさまざまな角度から我々の胸を打つのは、そこに確かに繊細かつ複雑な人間像の構築がなされていることに他ならないように感じられてなりません。
そのため、原作とは大きく異なった内容ではありますが、ある意味ではこれは真に古典古代の精神を受け継ぐ人文主義的作品なのではないか…?とさえ思わされました。(なんら深い省察を経ていない考えですので、間違っていたらすみません。)

こういった理由から私は、やはりこの作品に強い魅力を感じてしまいます。
あとは、アキレスとヘクトル(パリスの兄・トロイア第一王子)の決闘シーンがめっちゃかっこいいです。そこだけでも観てほしいです。

たくさん書いてしまいましたが、結構ロマンがあって面白いので歴史好きの方はぜひ一度観てください。そうじゃない人も観てみてください。北図書にもあったはずです。

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