春新歓ブログリレー#8

北大映画研究会のブログを覗いてくれた方、こんにちは!北大文学部新三年生のきゃないと申します。

去年まで新歓のSNS広報をバチバチに気合入れてやっていた反動で今年はだらっとしているうちにブログリレーの期日を大幅にブチ破ってしまいました。

本当にごめんなさい。大学はけっこう時間に厳しいシステムになっていて、履修登録や提出期限など、ちょっとしたポカミスで平気でヤバいことになったりするので気をつけた方がいいです。こういうところからリスクは忍び寄るのだぞ、俺。

せっかくブログまで来ていただいたので、北大映画研究会がどんなサークルであるかについてちょっとだけお話ししておこうかと思います。

映画研究会といっても、なにも映画を調査研究しているわけではないんです。もちろん部員は映画好きが多いし映画トークも弾みますが、あくまで主な活動は自主映画の制作。自分たちで一本の映画を作り上げること、です。
難しそう?いや、やってみるとなんてことはないです。入部時点ではほとんどが初心者ですし、そんなに覚えることも多くありません。やってみたい!という初期衝動で飛び込んできても全然問題ないです。映画づくり、たぶん思ってるより楽しいよ。

あとは歓迎会や合宿、忘年会などなどの催しや、一緒に映画を観に行ったり週に一度の例会で話題作についてあれこれ話したり、そんなゆるっとした感じの集団です。
ちょっとでも気になってる方は、ぜひ気軽に新歓のぞいたり、Twitterなどから連絡してみてください。疑問点とかは全然ラフに答えてくれると思いますよ~。

プロモーションはこれくらいにして、本題に入ります。まずは「新入生へのアドバイス」。

新しい環境、履修登録、友達作りサークル選びバイトに一人暮らしのスタートに…入学直後はただでさえめちゃくちゃ忙しいもの。今年はそこにコロナ騒ぎが重なってますます混迷を極めているような感じがありますよね、授業開始遅くなったり。なにがなんだか、どうすればいいんだかわからない!そんな声も多いんじゃないかと思います。

僕の入学直後も同じ状態で、必死に聞こえてくる情報を集めながら毎日どうにか過ごしていたなあと思います。始まったばかりの一人暮らしも慣れないのに段ボールもろくに片付かないうちから、「新歓に行って友達を作って、先輩からの情報も集めた方がいいらしい」と言われればかたっぱしから新歓に顔を出しまくり、「始めはサークルは多めに入っておいた方がいいらしい」と聞けばいくつか掛け持ちしてみたり。

バイトは何がいいらしい、あそこはやめておけ」「授業の選び方はこうして、ここを重要視して…」正解がわからない中を泳いでいくのに必死で、ばたばたと背伸びをしまくっていたような覚えがあります。

新しい日々のはじまりはたいていそういうものかもしれないし、それはそれで楽しく刺激的な日々ではあったんですが、やっぱりちょっと疲れちゃったりもしたなあと思うんですよね。ずっと気持ちが張り詰めていたような気がするし、新入生のみなさんも多かれ少なかれそういう緊張感を持っているのかなと思います。なので、アドバイスはこれにしようかな。

「ほどほどで大丈夫」。

入学直後は初めての環境でいろいろ動かなくてはならない中で、すべて首尾よくこなさなければ…と肩に力が入りがちなのかなと思います。でも実際そんなことなくて、本当にしっかりやらなくちゃならないのは冒頭にも書いた履修登録くらいです。サークルやバイト、友達作りなど他のこともうまくできれば万々歳ですが、それらは後からいくらでもどうにかなります。

大学では聞こえてくる情報のすべてが「踏み外してはならないレール」では全然なくて、ひとりひとりに合った過ごし方を許容してくれる場だと思います。

四月からの新生活、もしすごくすごく頑張ろうとして疲れてしまった時は、自分のペースと精神力を優先して大事にしてあげてください。履修登録して、勉強をある程度きちんとやってればオールオッケー。それ以外はだいたい、ほどほどで大丈夫です。

サークルの新歓ブログらしからぬ方向に進んでしまいそうですが、もう知~らない。もう一個のお題、おすすめ映画紹介します。今回は大好きな『四月の永い夢』。

『わたしは光をにぎっている』などの中川龍太郎監督が2017年に撮った作品です。「三年前に恋人を亡くした女性・初海が、ある日恋人が書き遺した手紙を受け取ったところから過去に向き合い立ち直っていく」というシンプルなストーリーなのですが、初海を取り巻く人々や街、時間の描き方がとても丁寧でうっとりとした美しさがある作品です。

忘れられない過去を抱えて時間が止まったままの初海の単調で穏やかな生活の哀しみをたたえた美しさがとにかく素敵で、彼女が待っていてはくれない時間の流れにもう一度戻っていくまでを繊細に描いていきます。感情の大きな起伏はないものの静かなあたたかさが胸に広がるような映画で、特にラストの引き際が本当に最高。赤い靴というバンドの「書を持ち僕は旅に出る」という曲が劇中で使われていてこちらもとても素敵です。

こんなところで失礼します。よかったら他の人の記事も覗いてみてね。さよなら~。

新入生ブログリレー#6 「ゆるい幸せがだらっと」

こんにちは!北大映画研究会・秋新歓ブログリレー第5記事は僕こときゃないが担当します。
北大文学部2年、映研も2年目。最近の悩みは生活習慣の崩壊が止まらないこと、ハマってるのは四千頭身のYouTubeチャンネル。ここ最近欲望の赴くままにカラオケに行くのでデフォルトで金欠です。だいたい週一でまねきねこに居る。

さて(満足)、秋新歓のブログでしたね。とすれば最初に書かなきゃいけないのは映画研究会についてだと思うので、まずはそこから。
映画研究会に入ってます、と言うとだいたい飛んでくる質問があって、

「えっ、映画を研究してるんですか?」

というやつなんですが、これはネーミングからのミスリード、要するに答えは「いいえ」です。ゴリゴリの映画通たちが夜な夜な激論を交わすヤバヤバ集団ではないので安心してください。

北大映画研究会は、北大や近くの藤女子大学などから集まったひとたちが、映画という共通項で限りなくゆるっと繋がったサークルです。
主な活動は「映画を作る」ことですが、そのほかにも部員同士で一緒に映画を観に行ったり遊びに行ったり、まあ色々してます。
部員はそこそこ多い方ですが、それぞれ関わりたい分だけ関わっているので同調圧力とかはまったくありません。秋から入った人も普通に馴染んでますし、正直だれが秋入部かなんて割とみんな忘れます(俺だけ???)。

映画を作るって具体的に何してんのかわかんない、という方も多いと思うので、そこをちょっと補足しておきますね。
映画研究会で作っているのは「自主映画」と呼ばれる、商業目的ではない映画のこと。音楽したり演劇したり、そういうものを通して自己表現するのと本質は変わらないものだと思います。
具体的なプロセスとしては、「ストーリー(脚本)を考える→(出演者決めなど)撮影の準備をする→撮影をする→編集をする→完成」という流れになっています。カメラの扱い方とか、本当に基本的な技術みたいなものはあれど、難しいことは何もありません。(より詳細な話は僕が昔書いたコチラのブログ記事を見てね)

僕自身は創作が好きで映画づくりに興味を持って入ったんですが、映画を観るのが好きな人、感想を語り合いたい人、あるいは単純に映研の雰囲気が気に入っている人など、いろんな人がいます。
懐の広いサークルなので、ちょっと気になるな〜と思っているなら、学年とか大学とか、馴染めるかな〜?とか、あれこれ迷うより新歓に来ちゃった方が早いです(ココ大事)。スケジュールなど詳細はこのホームページのトップや映画研究会のTwitterにも載っているので、チェックしてみてくださいね!

さて(満足)、なんだっけ。
そうそう、映画の紹介ね。
映画に限らず僕が好きなのは恋愛、青春、人間ドラマといったジャンルで、映画研究会ではわりと少数派の好みの部類に入ってる気がします。自分が書くものも自然と暗くなりがちで、主人公にデカイ葛藤を背負わせて散々苦悩するシーンを延々書いたりします。SなのかMなのかわかんねえよ。

今日はそんな僕の趣味嗜好が醸成された土台というかきっかけみたいな作品である『ソラニン』について書きたいと思います。なんかいろんな声が聞こえてきそうだけど恥を捨てて書くぞー。

 言わずと知れた浅野いにお先生の漫画を原作に2010年に三木孝浩監督・宮崎あおい主演で映画化された本作は、バンドマン崩れのフリーター・種田と東京で暮らすOLの芽衣子のお話です。人間ドラマ映画あるあるですがストーリーを説明しづらいんで、予告編を貼っておきますね。

 めちゃくちゃ切り捨てた言い方をすると「徐々に大人になっていく自分を受け入れられない若者たちの不安定さを描いた物語」といったところでしょうか。この作品はそういった時期のリアルな心情を見事に切り取っています。
というか単純に言えば、めちゃくちゃ刺さるんですよ。

 僕自身は中学時代に漫画を読んで、その後すぐ映画も観たのがこの作品に触れた最初だったんですが、当時音楽を本気でやっていたので、芽衣子に本気で音楽をやるよう迫られた種田の「一緒に死んでくれんの?」という台詞が大好きでした。
音楽の道で食っていけなければ生きている価値なんかないと本気で思っていたそのころの僕はそれを代弁してくれた種田にめちゃくちゃ憧れて、だから種田が物語の中でたどる運命も、はっきり言って超カッコよく思えたし、そのあとの芽衣子の姿も本当に素敵に見えました。客観的に解剖できる余裕もなく、「険しい人生でも夢を追い続けることの美しさを描いた物語」として当時の僕には刺さったわけです。
 そういう好きすぎる作品って僕はあんまり見返さないタイプなので、漫画本は家にあるし映画はAmazonプライムに入ってるのに、まったく触れずにいました。最初に観たときの思い出を汚したくない!みたいな心理です。
 本当に数年ぶりに漫画本を手に取ったのは、先月帰省していた実家の本棚に単行本を見つけたときでした。暇って怖い。

 ページを繰ると、内容は当然あのころのまま変わらないのに、どこか他人事のような感覚になりました。
昔はその焦燥感や夢へのひりひりした感じがリアルに感じられた種田が、ただ無責任に彼女や周りの人、社会を無視して音楽にしがみついているだけの男に見えてしまったり。こうなったらお終いだという目であのころ批判的に見つめていた芽衣子の心情が反対に手に取るようにわかったり。登場人物たちが何かを追い求める姿はいいなあと感じるけれど、自分とは違う世界の人間みたいに思えてしまったり。驚くほど冷たい目線を彼らに送っている自分がいたんです。
 時間とはこうも人を変えるものなのかと少し哀しくなりつつ最終頁まで来ると、その後ろに「#29」と題された回が続いていることに気づきました。

 本作『ソラニン』は、2017年に「新装版」として従来の単行本2巻分を一冊にまとめ、さらにスピンオフ短編「はるよこい」と、芽衣子や登場人物たちのその後を描いた「#29」という後日譚を付したバージョンの単行本が刊行されました。僕が読んでいたのはその「新装版」のほうで、高校時代に買ったものの後日譚があまり好きになれずそのまま実家に置いていったんですね。
 一応、読んでみることにしました。
 本編から10年後の世界を描いた「#29」は、劇的なことが起こるわけでもなくただ淡々と登場人物たちのその後を描きます。
「『夢』を諦めきった僕らは『険しい人生』を進んでいくのだ、という悲劇がこの物語の〆になるのだとしたら悲しすぎるだろう」と昔の僕は反発したんですが、今度はどうもそうは思えなくて、これはこれでいいかもな、とどこか納得してしまったんです。

 結局、僕が種田のようなまっすぐさを失ったからだろうなと思います。生きていればいろいろ挫折したりする中で彼のような、昔の僕のような尖り方はそのうち変更せざるを得なくなるものでしょうし、実際僕にとってはそうだった気がします。
そういうことを「丸くなる」と言うのかもしれないし、「大人になった」とか言われちゃったりするんだろうなとも思います。いま昔の自分に会ったら多分速攻でぶん殴られる気がするし。
 ただ「でもさ、それはそれでよくないか?」と思ったりもするんです。
別に夢を諦めたからといって人生は続いていくし、昔のことはいずれ忘れるし、大事なものを失っても大体はそのうち大丈夫になって、懐かしい思い出に変わっていくもので、それってそんなに悪いことじゃないんじゃないかというか、だからこそ僕らは「ゆるい幸せがだらっと続」く日々を生きていけるわけで。芽衣子だっていつまでも過去に囚われているわけにはいかなくて、こうやって昔のことなんてなかったかのように生きていくことは悪いことじゃないだろう、と思ったり。
 そういう形で彼らが、僕らが生きていくのはすごくポジティブなことなんじゃないかと思ったりして、あーまた殴られそうだなと思ったりしました。

いや、やっぱり丸くなったな。


恥ずかしーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。なにこれ。就活とかでこれ読まれたら不利になりそうなレベルだな。
書きたいことをとりあえず書いていたらこんな風になっちゃいました。読んでくれた方はありがとうね。もし同じ穴の狢の方がいればぜひ新歓へ来て語り合いましょう。
さて!長くなりましたがここらで失礼します。次の新歓は10/16(水)の上映会!映画研究会が作っている自主映画を実際に見ることができる数少ない機会なので、ぜひお越しくださいね!
それではまた!

春新歓ブログリレー#4 Hello World

みなさん、こんにちはー!はじめまして、北大映画研究会(4月から)2年目の「きゃない」と申します!新歓ブログリレー4番手、ゆるっとお付き合いください!

まずは、自己紹介をちょっとだけ。
出身は愛知県、味噌と濃い味の国から北の大地へやってきて、こちらでの春はまだ二度目の文学部、新2年生です。この春はみなさんに映画研究会の新歓イベントの情報やいろいろなことを発信する広報担当として、ちょくちょくTwitterに顔を出すと思います(よろしくね)。
音楽好きでロックは大体なんでも聞きます。好きなYoutuberはパオパオチャンネル(愛が溢れた様子はこちら)。最近「グリーンブック」観て超感動しました。でも普通にハリポタとかジブリとか、あとソラニンとか大好きです(ここで浅野いにお好きがバレる)。
人生のモットーは「モットーなし」。

そんな僕はじめ、いろんな個性あるひとたちが仲良くすごす映画研究会についても、これまたちょっとだけ。
ここ北大映画研究会は、北大や近くの藤女子大学などから集まったひとたちが、映画が大好きな人からほとんど見ない人まで、楽しく過ごしているサークルです。
主な活動は「映画を作る」ことですが、そのほかにも部員同士で一緒に映画を見に行ったり、誘い合わせて遊びに行ったりと、いろいろしています。すごいのは、60人も部員がいながら同調圧力がまったくなくて、みんな思い思いの関わり方で活動しているということ。
映画という共通項で限りなくゆるっと繋がったサークル、それが映画研究会です。

あー、わかります。説明、ちょっとふわっとしすぎじゃない?って顔してるの見えます。白状するとめんどくさくてふわっと書きました。ごめんなさい。
じゃあもうちょっとだけ、主な活動の「映画を作る」ことについて話しますね。ちょっとだけですよ、めんどくさいなぁ。

映画研究会では、いわゆる自主映画を作っています(自主映画とは、商業を目的として作られてない映画。『カメラを止めるな!』はこの類です。あれは例外的に超売れたけどね)。
自主映画をつくる流れは簡単。

1. まず誰かが映画のお話、筋書きをつくります。筋書きは「脚本」として文字に起こされます。

2. 脚本ができたら、チーム集め
映画に出てもらうキャストさんや、カメラマンとか音声とかのスタッフを集めます。この先の仕事は「監督」がリーダーとして主導します。だいたい脚本を書いた人が監督します。

3. 撮影を行う前に、読み合わせ(脚本のセリフや演技などを前もって確認すること)やロケハン(映像を撮る現地に前もって行き、どう撮るかを確認すること)など、準備をいろいろします。1、2と並行することも。

4. いよいよ撮影
いちばん映画研究会らしいところです。主に土日に行ってます。

5. 撮影が終わったら編集作業を監督が行います。
撮った映像をつないだあと、映像の色を調整したり、音楽や効果音、テロップをつけたり。完成形に持っていく作業です。

6. 完成!あとは上映するだけ。

たった6ステップで出来上がりです。実際にはもっといろいろ…ってこともなく、本当にこれだけ。

映画づくり、というと複雑で難解な作業が続きそうなイメージを持つかもしれませんが、これだけです。
難しいことはなーんにもありません
必要な技術はそんなに多くないですし、みんな撮影の中で覚えています。北大映研では、役職の縦割りがなくて自分がやりたい役職をなんでもできるので、いろいろ経験もできます。
全然ガチじゃなくても普通に楽しいです。例えば僕はステップ1、お話を作って脚本を書くところを主にやりたいなと思って入ったんですが、去年の前期はキャストとして他の人のプロジェクトに入って、血糊つけて死んだ演技したりしてました(その時の写真見たい人は新歓来てね)。どんな形でも関われるのが映画研究会のいいとこです。

で、テーマがなんなんだっけ。いろいろ脱線しすぎましたね。えーと?「新入生へのアドバイス」でしたっけ。

まともな生活を送ってないのでそういう類のアドバイスは他の人に任せるとして、日頃思ってることを一つだけ。

「とりあえず飛び込んだ方が楽しいし、失敗した時にもネタにできるよ」

昔から興味があることとかはとりあえずやってみる性格だったので、高校生の時とかには有志の集まりで、演劇なんか人生で一度もやったことないのにミュージカルの脚本を書いて曲を作って準主演で出演したりしてました(死ぬほどしんどかったけど)。
そういう風に過ごしてると、ときどき人から言われるんです。「すごいな、そんなこと私にはできないよ」って。

お世辞で言ってくれてるのかもしれませんが、もし本当にそう思っているならそれはまったくの間違いです、だって俺もできないんだもん。
「やりたいけどできない」ことだけど、それでも「できないけどやりたい」から後先考えずにとりあえず飛び込んでみて、そこからどうにかして形にしようとして、最終的には一応できた、それだけ。
特別な能力も幸運もあんまり関係なくて、ただ飛び込んで、飛び込んじゃったからどうにかやって、どうにかやり遂げられる。

何事もそういうものじゃないかなと思うんです。
「飛び込んじゃえば実はできること」がこの世にはいっぱいあって、だけどみんな「やりたいけどできない」ってやらないでいるだけなんだと思います。

大学生でいられる時間は長いようでとても短いけれど、一つのことに突き進むもよし、視野を広げるもよし、はたまたゆっくり過ごすもよし、自分のために多様な時間のかけ方ができる唯一の期間だと思います。その時間の使い方を決められるのは外でもないあなた自身です。

その選択肢のなかで、もし「やってみたいけど、自分にはできそうにないな」って思って手放そうとしてることがあるのなら、すこしだけ思い出してください。
「できなくても、やりたいなら飛び込んじゃえ!あとのことは未来の自分がどうにかしてくれるよ!」

もし「失敗が怖い」という不安があるなら、こう思ってみてはどうでしょう。
ネタにすればいいさ」って。
失敗したことなんて、あとから「ダメだったわー」って笑い話にしちゃえばいいし、世の中大抵のことは笑い話にできます。

思い切って飛び込んで、ダメだったら話のタネにしちゃえばOK。そうやって新しい世界の扉を開けていけば、楽しい大学生活が待ってるんじゃないかなと思います。

そして、もし自分の大学生活の中で少しでも「映画を作ってみたい」「お話を書いてみたい」「カメラを構えてみたい」「映画に詳しくなりたい」などなど…映画の世界に飛び込んでみようかなと思ってくれたなら、ぜひ僕たちのもとを訪れてみてください。個性豊かな部員たちの過ごす愉快な日々の扉を開けて覗きにきてみてください。
あなたの知らなかった世界が開けるかもしれません。

以上、結局まあまあ長くなっちゃいましたね。最後まで読んでくれた方には新歓で僕から感謝の言葉を贈らせていただきます。合言葉は「モットーなし」。どしどしお待ちしてます!

冗談はさておいて。

ブログリレー4番手、こんな感じで失礼します!次回もぜひ読んでくださいね!

ブログリレー#3 『「せーの、パオー!」って生きていきたい』

ブログリレー第三記事は岡田くんにパスをもらったきゃないがお届けします。謎に真面目に書きました。恥ず。


「がんばる」ことは日本人が大切にしている美徳だと思う。学校教育、特に初等・中等教育では「みんなで」という接頭辞と並んで「がんばる」ことが重視され、児童生徒はつねに何かしらに対しての努力を要求される。スポーツ選手が活躍すればその血の滲むような努力がテレビで取り上げられ、人気を博しているアーティストが出ればその下積み時代から「がんばって」のし上がってきたストーリーが謳われる。「がんばる」ことが日本人は大好きなのだ。

僕はどうやらその「がんばる」ことに向いていないらしい。昔はそれこそ猪突猛進、英語やピアノや部活、その時々の「好きなこと」に向かってがむしゃらに突き進むといった性格で、事実その努力にある程度見合う結果は残してきたと言ってもいいと思う。そういう頃もあった。ただ今は、その反動かどうにも努力が下手だ。最近は少しずつ集中力も戻ってきたが、それでも昔のようなすさまじい集中力は発揮できない。言ってしまえば「負け犬」側の根性がすっかり染み付いてしまったようだ。「好きなこと」に「がんばれない」、というのはどうにも辛いものだ。

 

パオパオチャンネルにハマっている。

今「パオパオチャンネル」と聞いてどんなものをイメージしただろうか。世界各地の象の映像を流し続けるテレビ局?架空の民族「パオパオ族」の文化を紹介するテイのライトノベル?もしそうだとしたら、それらを企画した御仁は多分かなりヤバイ。あなたも多分疲れているのでこのブログをいったん閉じて寝たほうがいい。あとでまた読みに来てね、まってる。

パオパオチャンネルのYoutubeページの写真

パオパオチャンネルとは、「@小豆」と「ぶんけい」の2人によるYoutuberユニットだ。所属事務所UUUMの公式サイトによると、

ぶんけいと@小豆からなる男女2人組YouTuber。

軽快トークや自由な発想で若年層から人気を集めている。検証、商品紹介、やってみた、ゲームなど、様々なジャンルを独自な切り口で楽しい動画をお届けする。ファッションセンスと高度の編集スキルにもご注目!

また、ぶんけいは映像監督、@小豆は踊り手としても活動中。

 

とのこと。超ざっくり言えばHIKAKINみたいなことをしている人たちだ(Youtuberの説明はもはや必要ないし、それは流石にざっくりすぎる)。

 

僕のパオチャンとの出会いは昨年末に遡る。

その頃、僕は「がんばる」ことがとにかく必要な状況にあった。なぜだか忙しすぎるスケジュールに多すぎるバイト、映画撮影の準備に別サークルの定期演奏会。努力のできない僕には多すぎるタスクが降ってきて、脳内はてんてこ舞いだった。それでもどうにかひたすらに日々に食らいついていた、そういう時だった。

ある日、一人の友達が僕に彼らの動画を薦めてきた。それで暇なときにチラッと覗いてみたのが最初だ。その時は「ふーん」くらいの感想だったが、日に日に観る本数が増え、あっという間にズブズブと沼にハマってしまい、今では新米ながら立派なパオちゃんズ(パオパオチャンネルのファンの呼称)の一人になってしまった。

 

彼らの魅力はいくつもあるが、特筆すべきはまず「@小豆(あーずー)」の強烈なキャラだ。

動画中ずっと、彼女はその豊かな表情と大きすぎる声量で振る舞いはしゃぐ。それを見ていると、なぜだか自然と元気にさせられる。かといって熱血キャラのような暑苦しさはなく、笑っているうちにいつの間にか体に入った力が抜けるような、そんな力があるのだ。

もう一つは編集を担当している「ぶんけい(ぶんちゃん)」の編集力だ。

パオパオチャンネルの動画は、ほんわかした雰囲気が故に映像のみで爆笑するような奇抜さはハナから想定していない。そこを爆笑に持っていくのが彼の手腕だ。彼は動画の中の笑いポイントを決して見逃さず、的確なツッコミのテロップと効果音で大笑いに変えてくる。それがとにかく面白いのだ。卓越したワードセンスと絶妙なタイミングにいつも負けてしまう。最高だ。

 

バイトから帰宅するともう23時だった。もろもろを済ませてベッドに入りいつものとおりYoutubeをぶらぶらしていると、彼らのある動画が目に止まった。

 「皆さんに話しておきたいことがあります」

それは彼らが「付き合ってない」ことを(再三ながら)伝える動画、という形ではじまったものの、内容は彼らが少し前に抱えていた問題と、そこからどうやって抜け出したか、という報告がメインだった。彼らはこの動画の投稿のおよそ2ヶ月前に、動画を毎日投稿することを発表したらしい。そのあたりからお互いの方向性のすれ違いが起こり、関係が悪くなりだした。

「どんどんどんどん悪い方向に進んじゃった」(ぶんけい)

2人は、マネージャーに仲裁に入ってもらいお互いの気持ちを話し、すれ違いを解消したことで、あることに気づいたという。

 「あれ、じゃあ、楽しんでやればよくね?」(ぶんけい)

はっとした。ああ、そうだった、楽しめばいいんだ。

僕は「がんばる」ことを履き違えやすいのだと思う。何かに向かってがむしゃらに突き進むことばかりしてきたせいで、それだけが「がんばる」ことだと思いがちなのだ。実際、学校やテレビで持ち上げられる「努力」は、得てしてがむしゃらでひたむきな闘い、という毛色が強いから、そうなってしまうのかもしれない。

「がんばる」ことは、ひたすら走り続けることと、決してイコールではないと思う。もちろん、結果を残すには時としてひたむきな努力は必要かもしれない。でも、それだけではないのだ。彼らがたどり着いたような、好きなことを楽しんでいくという努力も、あるのだと思う。そしてそれは、簡単なことではない。初心を忘れず、追い込まれても楽しむ気持ちを貫き続けるのは相当難しいかもしれない。でもだからこそ、”ひたむきに突き進む”努力をしていない人たちだって「がんばっている」と言っていいんじゃないだろうか。そういう人たちは決して「負け組」なんかじゃない、と言うのはおかしいだろうか。

パオパオチャンネルの他の動画を観る。どの動画でも2人はとても楽しそうに話し、踊り、はしゃいでいる。チャンネル登録者数はついに100万人を超え、多くのファンを持つ人気Youtuberという立場にあってなお、「楽しむ」という初心を大切に持ち続けて活動する彼らはとてもかっこいいし、素敵だと思う。そして僕も、できればなるべくそうありたいなと思う。「がんばる」の狭い意味にとらわれずに、好きなことを楽しんで、時にはひたむきに、時にはゆったりと自分のペースで向き合う、そんな努力の形で生きていきたい。

              「せーの、パオー!」


最後まで長々と読んでくれてありがとうございます、頭あがんないっす。次は映研の飛び道具、松井くんにバトンを渡します。

パオパオチャンネルのチャンネルページはこちら(ぜひチャンネル登録してね!)


[追記]

まだ記事執筆段階では達成していなかったのですが、記事公開の数日前、パオパオチャンネルは『チャンネル登録者数100万人』を達成しました!

おめでとう!!!!!!!!いい感でぃーーーー!!!!!!!!!!!

大台の達成に、パオちゃんズの一人としてとても嬉しいです。今も登録者数はどんどん増え続けていて、パオパオチャンネルはそのありのままの魅力でこの先も進んでいくと思います。この記事を読んで少しでも興味を持ってくれた方は、ぜひ一度だけでも彼らのチャンネルを覗いてみてください。@小豆とぶんけいの2人が、自然体の笑顔であなたを待っています。

以上、きゃないがお送りしました!

秋新歓ブログリレー#5『ハッピーエンドが書けるまで』

こんばんは!北海道大学映画研究会、秋新歓ブログリレー第5記事です!今日は一年目のきゃないがお送りします!やっほーみんな!

急になんだこいつ。と思ったそこのあなた。おめでとう、まっとうな感覚の持ち主です。

ちょっとだけ自己紹介しておくと、北大文学部の一年生で、春から映研にいます。映研のツイッターを見てくれてる方は、最近やたらとうるさくツイートしてる輩が僕です。いつもTL荒らしてゴメンね。よければふぁぼってね。これまで映研のツイッターを知らなかった方は、ぜひポチッとフォローしてください。@hucinema

自分の話はこれくらいにしてと。

テーマがあるんですよね、今回。「人生ベストの映画1本!」。これ僕が考えたんですけど、いざ自分が書くとなるとこれほど難しいお題ってないですね。たしかに映画見るたびにいい映画だ…ってなりますが、どれがベストかって言われたら選べませんもん。でもしょうがないんで頑張って選びました。

 

僕、普段からそこまで映画を見ないんです。映画館で月に1回、気に入ったのを見に行って、あとはDVDで週1本見るか見ないか。なので古き良き映画とか名作の類は全然知りません。ついでに有名どころが好きだったりするのでちょっとニッチな界隈の映画はもうからっきしです。(そういう人でも違和感なくいられるのが映研のいいところなんですけど)

そんなこんなで少ない母数からですが、これにしました。

 

 

『ハッピーエンドが書けるまで』(2015)

恋に悩んでいる人にオススメの映画、原題は”Stuck in Love”というジョシュ・ブーン監督の恋愛映画です。ブーン監督は『きっと、星のせいじゃない。』で有名になりましたが、その前に撮った作品らしいです。(そっちはまだ見れてないんですけど)

恋愛映画なのに、ベタベタのラブストーリーじゃないんです、これ。主だった主人公は小説家のビル、その娘のサマンサと息子のラスティ。サマンサとラスティは父のような小説家を目指しています。

実は、ビルの妻は他の男の元へと行ってしまっていました。それを見たサマンサは恋愛に希望を見い出せなくなっており、パーティーに行っても男を寄せ付けず孤独を貫いています。ラスティは学校でケイトという女子に初めて恋をしますが、彼女はコカインを吸いやんちゃな男と付き合っています。それぞれに恋や愛に対して一筋縄ではいかない状況や感情を抱える3人。彼らが少しずつ愛を取り戻していく様子が、ゆっくりと描かれます。

この映画のテーマは愛ではなくて、『愛に背を向けた人々』なんです。奥手で自分に自信がなく、ケイトを遠巻きに見ているだけのラスティ。(両親の離婚から)傷つくことを恐れ、恋愛から逃げようとするサマンサ。妻への未練が捨てられず、毎日妻の新しい家を見に行くビル。愛に素直になれない主人公たちの姿は、僕らが現実の恋愛で経験する感情とリンクします。

誰しも初恋のとき、好きな人とうまく話せなかったりして、ラスティのように悩んだことって多分ありますよね。サマンサのように恋愛に絶望し、傷つくくらいならもう恋などしないと思った夜も、ビルのようにいつまでも未練が捨てられず誰かを待ち続けた日々も、あるかもしれません。そんなふうに少しでも思ったことのある人の、その思い出とか傷を癒してくれる、そんな力がある映画です。

あと、もう一個の魅力が、文学・文学的な表現が裏テーマにあるところです。主人公の設定だけではなく、作中に幾度も小説の引用が登場します。セリフも叙情的で美しいものが多く、どっちかというと演劇を見ているような感覚になる不思議な映画です。個人的にはこう、前に出たセリフがそのまま出てきたり、言葉が伏線になってる構造が大好きなんですが(伝われ)、そういう仕掛けも満載で楽しいです。97分とあんまり長くないので、ぜひ見てみてください。

 

 

ふぅ。

紹介文ってめっちゃ難しいですね。死ぬほど書き直した。なーんか真面目調だし。なーにが文学部だもっとうまく書け俺。

ほかにも書きたい映画いくつかあったんですが(ナラタージュとかLIFE!とかきっと、うまくいくとかヒミズとか)そのへんは割愛。ベスト1本なんでね。

もし見てくれた人いたら感想教えてください。他の人って同じ映画見ても自分と違うとこ見てたりして楽しいから。(あっ、これも映研でできる楽しいことの一つですよ!)

そんな感じで失礼します。明日はついに新歓上映会第二弾!18:30に教養棟または藤女子大学北口にて待ってまーす!ぜひきてね!きゃないでした!やっほー!