2023年度春新歓ブログリレー#18

IMG_1819『パレードへようこそ』

1年目のとみたです。
私が紹介するのは、2014年のイギリスの映画『パレードへようこそ』(Pride)です。
監督はトニー賞受賞の演出家マシュー・ウォーチャスが務め、この映画でも80年代のナンバーに合わせた演出が観客を楽しませます。

実在の団体「Lesbians and Gays Support Miners(炭鉱夫支援同性愛者の会)(以下LGSM)」の活動をもとにした映画です。

炭鉱労働者を支援したLGSMのリーダーをべン・シュネッツァーが演じ、グループのメンバーをアンドリュー・スコット、『はじまりへの旅』(Captain Fantastic)『1917 命をかけた伝令』(1917)のジョージ・マッケイが演じている。また、ウェールズの人々を演じるのは『ラブ・アクチュアリー』(Love Actually)『生きる LIVING』(Living)のビル・ナイ、『ハリー・ポッター』(Harry Potter)シリーズのイメルダ・スタウトン。

私のバイブルになっている映画です。

<ストーリー>
映画の舞台は1984年のイギリス。サッチャー政権下で起きた炭鉱ストライキのニュース映像から始まります。

炭鉱労働者たちのストライキに心を動かされたゲイ活動家のマーク・アシュトン(ベン・シュネッツァー)が、仲間と共に炭鉱労働者とその家族を支援するために募金活動(LGSM)を始めます。しかし、寄付の申し出はことごとく無視されます。彼らがゲイだからというだけで。炭鉱組合にとって彼らは別世界の住人でしかなかったからです。
そこに勘違いが元で唯一受け入れてくれる炭鉱が現れ、寄付金のお礼にウェールズの炭鉱町へと向かいます。
拒絶されながらも寄り添って、共に窮地を抜け出そうとするヒューマンドラマです。

<背景>
この時代のイギリスの炭鉱はたびたび題材にされ、『リトルダンサー』(Billy Elliot)や『ブラス!』(Brassed Off)などがあります。
鉄の女と呼ばれたサッチャーが分断を煽り広げていた80年代のイギリスでは、ゲイの権利を求めるデモが活発に行われていました。そこに廃坑を命じられ、職を失った炭坑労働者のストライキが重なります。
映画には次の会話があります。
カトリックの家で育ったジョー・クーパー(ジョージ・マッケイ)は、ゲイであることをずっと隠していた。20歳の誕生日にゲイ・パレード・イン・ロンドンに無理やり参加させられるが、ゲイの仲間にようやく出会えたところでの会話。
「僕まだゲイの人と会ったことなくて」
「マジで?」
「今日誕生日なんだ」
「何歳になったの」
「20歳」
「あなた犯罪者よ、結婚は16、ゲイは21から。知らなかったの?」
当時のイギリスは、性的同意年齢は異性間では16歳なのに対し、同性間は21歳となっていました。デモの主な主張の一つにこれがあります。同性愛者への差別はひどく、デモをすれば「病気だ」「気狂いだ」と暴言を吐かれ、集会をすると火炎瓶が投げられる。今では同性婚が認められていますが、かつて同性愛は犯罪で極刑を課された人もいました。

炭坑労働者たちによるストライキは、籠城作戦でインフラが止められたり警官との衝突もある過酷なものでした。マークは炭鉱労働者が虐げられる現状は、自分たち同性愛者のものと同じだと訴えます。
「彼らの敵はサッチャー、警察も敵だ。僕らと同じさ、差別主義者の敵がいないだけで」「僕らと一緒だ。警官とタブロイド氏と政府にいじめられてる」

この境遇の重なりが交わることのなかった二つの立場の人間を出会わせ、共闘という驚きの結果を生んだのです。

<私の好きな場面>
最後に私の好きな場面を少し紹介して終わろうと思います。

ウェールズの人たちとLGSMのメンバーが打ち解けた後に歓談する場面。お互いのことに興味を示す会話。
ウェールズの主婦「二人が夫婦なのは分かるの。でも教えて欲しいの」
ゲイカップル「あのこと?」
ウェールズの主婦「家事はどっちがやるの?」
てっきり“あのこと”を聞かれたかと思ったゲイカップルのあっけに取られた顔と、真剣な主婦の顔が面白いです。
サンドイッチを四角に切るクリフ(ビル・ナイ)と三角にきるへフィーナ(イメルダ・スタウントン)の会話の場面。
クリフ「私はゲイだ」
へフィーナ「知ってた。少し前に気づいたの」
クリフ「ゲイが村に来てから?」
へフィーナ「私の場合は1968年から」
生まれてからずっと村にいる幼馴染の二人の会話。二人の絆が垣間見え微笑ましくなります。ビル・ナイの笑顔が素敵な場面。

そしてなんといってもラストシーンです!!
「プライドを持て。人生は短いんだ」
マークのセリフがこの映画の全てを語っていると思います。
ゲイの権利を求めるパレードで幕を開けた物語。出会いと共闘を経て過ぎた1年後、その季節が再度やってきます。パレードへようこそ――。

2023年度春新歓ブログリレー#17

IMG_1798ビデオの中のあなたといつまでもっている

––––aftersun』についての覚書

かないりょうすけ

 去る3月に大学を卒業した。専攻した映画研究では卒論で完全に打ちのめされ、批評を離れ映画作家としてさらなる研鑽を積むべく札幌を離れて東京に移った私に、久々に映画について書く機会が舞い込んだ思ってもみない出来事に浮き足立ち、題材は何にしようか、先々月に足繁く通ったシャンタル・アケルマン映画祭のことでも書いてみようか、などと逡巡していた5月末のある日、ものすごい映画に出会ってしまった。

526日に本邦公開となった映画aftersunである。

前評判も良く、ほどよい期待とともに映画館の椅子に腰掛けた私を、この映画は震えるような衝撃と感動でもって迎えてくれた。映画が進むにつれて私はたいような叫び出したくなるような衝動に駆られ服の裾を掴みながらスクリーンに釘付けとなり、エンドロールが流れ始めた時には感情の遣り場に困り果てて頭を抱えしまった。憧憬と喪失と昂揚感と愛おしさが混ざり合ったような夢のような心地で劇場を後にし、とんでもないものを見てしまったのだと愕然とするほどであった

映画は父と娘の、トルコでのひと夏のヴァカンスを題材としている。冒頭ホテルの一室で娘が父を撮影している荒いビデオカメラの映像が映し出され、ほどなくして場面は時制のはっきりしないレイヴ・パーティの断片的な映像へと変わる。ストロボのように明滅を繰り返す画面。パーティには大人の女性、おそらく現在の成長した娘ソフィと、踊っている父の姿がある。映画はやがて父とのヴァカンスの日々を描写し始める。それは回想であり、成長したソフィの記憶なのだということを観客は知る。

ふたりの海辺のヴァカンスの日々は、通常の映画に見られるような透明なカメラとが持参したビデオカメラによる映像の両者が入り混じる形で描かれる。時折回想は寸断され、レイヴの場面が差し挟まれることで、ソフィとともに観客はいっとき記憶の再生から醒め、またすぐに回想へ戻っていく。

つい目を惹くのはビデオカメラの荒いルックの映像だが、そちらについてはあとで触れるとしよう。通常の映画叙述としてのカットもまた素晴らしく構成されている。ひとつひとつの画角、例えばクロース・アップでは通常必要な人物のサイズよりもう一歩寄って、ロング・ショットではもう一歩引いて撮られている印象がある。それらは人物や事物といった画面内のモティーフを類的なものとしてみなす記号性から引き剥がし、そのもの自体の質感や手触りを刻印する役割を果たしているようだ。フレーム内の構成において、モティーフを中心に据えてほかを背景とするような撮り方でなく、全体のコンポジションを優先して配置し、そこにたまたまモティーフが映り込んだかのようなさりげなさを演出しているのもそれに寄与している(父がホテルの一室でひとり太極拳をしている場面の人物配置などはこれにあたる)カメラの運動も秀逸だ。ごくゆっくりとしたパンやティルト、ドリー浅いフォーカス変化によって瞑想的な耽美性現出させ客観的な事実の羅列としての視線でなく内心の記憶を辿るソフィの主観的なまなざしを観客に共有させている。こうした撮影面の工夫と前述した場面の交替によって、モノローグや説明的な要素を排しいてもなお観客は眼前の出来事が過去のものであることを体感によって了解できる。映像のもつ現在性この過去の感覚共存する映像は、記憶と呼ぶにふさわしい質感を備えている。

過去から現在にわたる、娘の父との関係性豊かさと複雑さが映画の主題をなしている劇中ではふたりの会話ら窺い知れる範囲以上のことについて説明されることは一切なく、観客はふたりのやりとりから状況を補完して理解していく。ソフィの父と母は離婚しているようだ。今、娘は母と住んでいて、父とは普段会っていない。父はおそらく金銭的に余裕がないようだ映画が進むにつれてがどうやら内心に何かを抱えているらしいことも推察されるようになってくる。父がホテルでひとり泣いている。夜の街を駆け回る。故郷には帰らないと漏らす。11歳の誕生日の思い出を娘に問われて、ビデオカメラを止めさせてから暗い声色でぽつぽつと語る。記憶の中では決定的なことはなにも語られないが、れら場面がもたらす静かな不穏さ現在のソフィがこの夏を、おそらくは大切な記憶として思い返しているということが観客をある認識へと連れていく。娘は、このあと父には一度も会っていないのではないか。これが二人の最後の夏なのではなかろうか。そのことを父はわかっていたのではないか。もしかすると、父はすでに––––

ソフィの目線をなぞり、映画が描くヴァカンスの日々を記憶として追いかける中で、親子の微笑ましいやりとりに隠れた複雑な心理が浮かび上がってくる。まだ11歳のソフィは無邪気に普段会えない父との日々を楽しんでいる。その姿を大人になったソフィとともに観客は懐かしく見つめる。父は娘の言動のひとつひとつを柔らかく受け止め、笑いかけ時にふざけ合いながら、子を気に掛ける優しいとして振る舞っている子供のソフィに気づかない彼の心の機微が、大人になったソフィと観客には伝わってくる。父も完璧な人間ではなかったということ。普段会えない娘と会うことの嬉しさと同時に、彼女の日常に自分がいないさみしさ、夏が終われば自分のもとからまた離れていくつらさもあったであろうこと。どんどん成長する娘に伝えられることの少なさ、それでも父として何かを残したいという焦り、当時のソフィには知り得なかっ感情が父の表情や背中から痛烈に感じられる。親子は近いようでいて、親子であるがゆえに遠く隔たってもいる。

こうしたことに対して明示的答え合わせはなく、ただ日々の連続を描く映像から観客が想像を働かせるのみだ。だからこそふたりの関係性は汲み尽くせない豊かさをもっている。わたしたちの人生で、記憶のなかで白黒がつくことないくらもない。むしろ曖昧で答えのない記憶だからこそ、わたしたちはそれを憶えいるのかもしれない。そして記憶に織り込まれた謎の汲み尽くせなさゆえに、わたしたちはそこへ何度も立ち還り、ついつい考えをめぐらせてしまう。ソフィはそうして何度もこの記憶をたどり、ビデオを何度も再生し父の姿にその謎の答えをみようとしているのだろう。あのとき父何を考えていたのだろうか

そう、この夏はビデオカメラに記録されているのだ。ソフィが父を撮り、父が娘を撮った映像の中にヴァカンスの日々は残っている。大人になったソフィは映像を見返している。父もまた、トルコのホテルで映像を見ていた。ビデオカメラの映像前述のクロース・アップが多く使用され、断片的にものを映してる。そこには映ったものと同時に、映らなかったものもある(観客はそれを見ている)フレームの外に追いやられてしまったもの、記憶からこぼたもの、汲み尽くせなかったもの。それは自然と映画全体へと波及してくる。観客が目にするトルコでのヴァカンスの記憶もまたカメラという装置によって撮影されているがゆえに、そこに映っているものがすべてではないという認識があらわれる。記憶が取りこぼしたものを観客は探し始める。あのときわからなかったことを追い求めるソフィのまなざしと、フレームの外のできごとへ意識を向ける観客のまなざし重なり合う。観客はソフィの記憶の中へ釘付けにされる。

ビデオカメラが記録しているものはもうひとつある。それは撮っているその人自身ソフィがベランダで「ヘンな動き」をする父を撮った映像には、ソフィのまなざしが色濃く残されている。父がプールで遊ぶ娘を撮るとき、その映像にもっとも強く残るのは父のまなざしである。大人になったソフィは父が幼い自分を撮った映像を見返しながら、そこに父の姿を見ていたのだろう。じっとカメラを構えて自分を映し続ける父と、大人になった娘がビデオを通して対面する。あのラストシーンには映像によっ時間を超えて記憶と向き合うことができるという希望があふれている。それが映画にできるすべてでなくてなんだろうか。

ラストシーンでソフィの心象イメージの中の父はビデオカメラを降ろすとゆっくりと扉の向こうへ帰っていく。扉の向こうにはレイヴのフラッシュが一瞬光る。あのパーティはソフィの記憶のなかで作り上げられた、父とのつながりの空間なのだろう。トルコでの最後の日、父は嫌がるソフィをよそに踊り始める。ソフィ父に手を取られて一緒に踊り出し、父と抱き合った。あの瞬間に父はソフィのなかで永遠になったのだろう。音楽とダンスとハグの感触が変質して記憶のなかで固着したのがレイヴで、その手触りに時間性はなく、あの空間で父と娘は永遠に踊り続けている。ソフィはいつでもそに還ってきて記憶のなかでほんの束の間、に触れることができる。そうしてまた現在に戻ってくることができる。それが人生のすべてではなかろうか。そうしてわたしたちは生きていくのではないだろうか?

トルコのホテルで父は娘の映像を見返していた。大人になったソフィのまなざしは、あの日の父のまなざしと繋がっている。ふたりはあの夏のビデオカメラを通して、ずっと見つめ合っているのだ。そのまなざしの交換がもたらすあたたかさは、成長したソフィにいつまでも残るだろう。日焼け後のクリームのように、痛みからそっと守るように。

2023年度春新歓ブログリレー#16

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皆さま、おはこんばんちわ。北大映画研究会の萱野です。
僕が今回紹介する映画は「ラ・ラ・ランド」です。
ミュージカル映画として有名な作品ですね。
本編を観たことはなくても、オープニングの映像を見たことはある方は多いかもしれません。

あらすじ:大都会ロサンゼルス。夢を叶えようと奮闘する男女が出会い、急速に互いの距離を縮めていく。恋愛成就か、夢の大成か、切ない運命が2人を待っていた。(Netflixより)

「夢」をテーマにしたハリウッド映画というだけあって、本物の「アメリカンドリーム」がリアリティをもって描かれます。
映画全編を通して、色々な形で「叶っていく夢」「叶わない夢」「形を変えていく夢」が描かれます。
人生を生きていくといつか誰もが直面する夢との向き合い方を、2人の主人公の視点で再び考えさせてくれる映画ですね。
そして、あらすじにもあるように、この映画は「夢」と「恋愛」の二軸で構成されています。この二つは、どちらも人生の中に、「幸福」と「後悔」を残していきます。そうして人生に残されていく「あのときの『もしも』」を思い浮かべるとき、僕たちの心には一人ひとりの物語が浮かんでいるのではないでしょうか。
この映画を観終わったとき、きっと皆さんの心には、美しくも切ない、叶わなかったいくつもの「もしも」と、誰もが抱える「物語」が浮かんでいることでしょう。

2023年度春新歓ブログリレー#15

IMG_1531初めまして、映画部2年の遠藤といいます。

私がおすすめする映画は「シックス・センス」です。

公開は1999年10月、監督はM・ナイト・シャマラン監督です。

まず、簡単にあらすじを紹介します。ブルース・ウィリス演じる精神科医のマルコムは、かつて自分が担当していた患者に「自分を救ってくれなかった」という思いから拳銃で撃たれ、自室で倒れてしまいます。マルコムはリハビリを重ね、その1年後コール・シアーという少年と出会います。コールは死者が見えてしまう「第6感」を持っていました。しかしそのことを母親や学校の生徒、教師からは全く理解してもらえず、ひたすら脅える日々を送っていました。マルコムはコールの姿をかつて自分が救えなかった患者と重ね、コールをなんとかして救いたいと力になろうとするが…という話です。

この映画は最後の展開が非常に衝撃的で、大ヒットになったと言われています。

1999年の映画の興行収入について調べてみると、日本国内で4位になっていました。

(ちなみに1位は「アルマゲドン」、2位は「スターウォーズⅠ ファントム・メナス」でした)

ジャンルはホラー・ミステリーなのでけっこう怖いシーンが多いです。

画質も全体的に薄暗く黒がよく目立っていて、終始不穏というか不気味な感じが伝わってきました。こう、じわじわくる怖さって感じで、演出が印象的でした。(夜中に見ると、怖いかも…。)

最近公開された映画を見ていると、画質が本当に綺麗だな、鮮やかだなと思うことが多いです。有名な映画だとデジタルリマスター版が作られたりもしています。

でも、この映画に限ったことではないですが、古い映画の画質が持っている雰囲気や粗さもいいな~と改めて思えました。(^^)

前に述べたようにこの映画はミステリーでもあって、最後のどんでん返しでよく知られています。私はどんでん返しがある、ということはわかっていながら見たのですが、非常に驚いて鳥肌が立ちました。

あまり詳しいことは書くとネタバレになってしまうので書けないですが、とにかく何の情報もないで見た方が良い映画だなと思いました。もう一回よく見てみると、とても緻密に伏線が張られていることがわかって非常に面白かったです。

後半はヒューマンドラマの要素が強く、感動する場面も多くありました。

ホラーが苦手でない方には、ぜひ見てもらいたい映画だなっと思います。

映画部にはいろいろな部員がいるので、あんまり気負わずぜひ見学に来てください〜

読んでいただきありがとうございました!(^^)

2023年度春新歓ブログリレー#14

IMG_1515三年の豊岡です。

私が紹介する映画は「東京幻夢」(実相寺昭雄、1986年)です。
ある写真屋に現れた昔風の女、その姿に魅せられたカメラマンの男は、その女に魅せられ後を追うが………
といった、内容です。説明するのは難しいので観てください!
さて、ここから考察です。女は昔の東京(明治、大正期)を象徴しており、カメラマンは昔の東京に憧れを持ち、それを追うものを象徴しているように思います。理由はいくつかあります。まず、冒頭、昔の東京の映像をbgvとして流しながら人形を塗る男、それとは対比になるような近代的な建物の描写があります。そして、男が住んでいるところや好んで写真撮影する多くの場所は昔の面影を感じさせる東京の景色です。映像の中では、近代的建築物と古風な建築物の対比は随所に見られます。女の幻影を見かける場所は常に古い館や紙芝居など、昔風の場所であり、女は常に和服を着ています。また、象徴的に挿入される柱時計や、最後のお地蔵さんもまさしく「無常」を演出しています。老婆が例の女に見え、写真にそのように映ったのはまさしく、その老婆が明治、大正期の東京を生きたからでしょう。追い求めていた女の老婆となり、変わり果てた姿、すなわち追い求めていた昔の東京の現代の変わり果てた姿、時は戻せないことだと認識し、男は挫折、絶望したのでしょう。それが最後の爆発であるように思います。実相寺さんの東京へのイメージが凝縮されていますね。
以上のようなことを台詞を使わず、音楽(クロイツェル・ソナタ)と、美麗な映像で魅せる実相寺さんの感性は素晴らしいですね。

2023年度春新歓ブログリレー#13

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皆さま、おはこんばんちわ。北大映画研究会の萱野です。
私が今回紹介する映画は「天気の子」です。説明しなくてもわかる人も多いと思うんですが、一応概要だけ。

『天気の子』(てんきのこ、英: Weathering With You)は、新海誠が監督・脚本を務める、2019年の日本のアニメーション映画。
(Wikipediaより)

昨年公開されて話題になった「すずめの戸締り」の前作にあたる新海誠監督の作品です。「今から晴れるよ!」に聞き覚えのある方も多いのではないでしょうか。
さて、この映画なのですが、よく比較されるのが、前作「君の名は」と次回作「すずめの戸締り」です。これらはいずれも、新海誠監督が、自身の作風を大衆向けに「魔改造」して生み出した作品であり、どれも男女を主人公とした「世界モノ」という点で共通しているものがあります。
そんな三作の中から、今回私が天気の子を選んだ理由、それは天気の子のもったメッセージが、他の二作と比較しても特異なものだからです。

(以下ネタバレ注意)

天気の子のラストで、主人公の帆高は東京を水没させる代わりにヒロインの陽菜を人柱から解放する選択をします。この、ヒロインを助けて世界を救わないという「世界モノ」としてはアンバランスな選択が天気の子のキモとなっています。
私の尊敬する岡田斗司夫先生は、このラストに対して、「そんなことでは世界はダメにならない」という新海誠監督のメッセージだと解釈しておられましたが、私は少し異なる解釈をしてみたいと思います。
劇中で、「東京は昔海だった」と語られるシーンがあり、最後、水没した東京に帰ってきた帆高の目には、水没したなりに適応して生きていく人々の姿が映ります。そして、帆高には「世界がこうなったのは、お前のせいじゃない」という言葉がかけられます。しかし、ラストシーンで陽菜と再開した帆高は、やはり自分たちこそが世界を変えたのだと確信します。
どうして帆高は、世界の変革の責任を自ら背負うような考えに至ったのでしょうか?
私は、それは帆高が、自分の持つ「愛」の力を確信したからだと考えます。陽菜への確かな「愛」。その力の大きさを表現するものとして、世界は変化したのだと帆高は確信したのではないでしょうか。
つまり、天気の子は周りを巻き込み、とんでもないスケールに拡大した帆高の恋路を描いた作品だと思うのです。
これと対極にあるのが、同じく新海誠監督の「秒速5センチメートル」です。こちらの映画でも男の主人公の壮絶な恋愛感情が描かれますが、ラストは、何も変わらない世界でひっそりと生きていくという落ち着いたものとなっています。
「秒速5センチメートル」から12年の時を経て、新海誠監督の中で変化した「愛の力」への認識が、世界の変革という形で現れているのが、天気の子の興味深いところではないでしょうか。

2023年度春新歓ブログリレー#12

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法学部1年の阿部です。
映画は大好きですが、知識はありません。映画の楽しみ方って人それぞれでいいと思うんです。でもやっぱりかっこよく語れるようになりたいので、少しずつ勉強中です。

私がよく観るのはヒューマンドラマです。人間臭さの漂う作品に出会えると、とっても嬉しいです。ただ、感想を言葉にするのが本当に難しいと感じます。人間の言葉が人間の心情に追いついていないんです(笑)。だからこそ映像で表現する素晴らしさがあると思います!ごめんなさい、言い訳です…。本当は私に語彙力がないだけです。拙い文章ですが、どうぞよろしく。

さて、前置きは長くなりましたが、今回私が紹介するのは『Dear Evan Hansen』というミュージカル映画です。トニー賞、グラミー賞、エミー賞などで大量受賞を重ねた名作ミュージカルを映画化したものです。『La La Land』や『The Greatest Showman』の音楽を手掛けた製作陣が携わっています。
私は、楽曲から入りました。まず、Sam Smithの「You Will Be Found」にグッと心を掴まれました。映画を観たあとは、「A little closer」が一番好きな曲になりました。色々辛すぎたときに聴いては、ドバドバ泣いていたのを覚えています。どの歌も、”励ます”というよりは”寄り添ってくれる”雰囲気だと私は感じました。
物語は、社交不安障害に悩まされる男子高校生が主人公です。はじめに、人を悲しませないための小さな嘘。そこから彼なりに苦労しながらも、少しずつ嘘を塗り重ねていきます。周りの人は、その嘘のおかげで救われていくんです。でもいつか、どこかでその平穏がが崩れていってしまったら…っていう感じのお話です。きれいにまとまりすぎず、リアリティのある結末です。ネタバレが怖くて上手に説明できません…(笑)。とにかく観てください!!感情移入できること間違いなしです!
長時間悩みながら書いているのに、下手くそすぎて泣けてきたのでここらへんで終わりにします。自分に伸びしろしか感じ得ません(笑)。次に書くときには、脚本や演出にも言及できるようになっていたいです。
読んでくださりありがとうございました!

2023年度春新歓ブログリレー#11

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1年の津田です。

今回僕が紹介する映画はミッションインポッシブルシリーズです。ミッションインポッシブルシリーズは 1996 年から 2018 年ま でに 6 作品にわたって世界中で愛されているスパイ映画のシリーズです。

2023 年 7 月には「ミッションインポッシブルデッドレコニング part1」、 2024 年 6 月には「ミッションインポッシブルデッドレコニング part2」の公開が控えており、2024 年をもってシリーズが終了することが予告され ています。
映画シリーズとして知られているミッションインポッシブルシリーズですが、このシリーズには実はあまり知られていない歴史があります。1966 年から 1973 年までアメリカ合衆国で放送されたドラマシリーズ「スパイ大作戦」(原題 mission impossible)を元にして映画シリーズとして新た に 作ったのがトムクルーズ主演の映画シリーズだということです。僕はこのシリーズが好き過ぎるあまりドラマシリーズ「スパイ大作戦」もシーズン 3くらいまで見ました。映画がドラマを元にしているといっても内容はオリジナルです。ドラマ内に出てくるスパイ組織名やハイテク装置などが 映画にも出てくるというように設定が同じといった感じです。ドラマシリーズを見たことがある人だとよりいっそう楽しめる要素がちりばめられ ています。ドラマシリーズも見てみることもおすすめです!
大体のあらすじはアメリカのスパイ組織 IMF に所属するイーサンハント(トムクルーズ)が困難だと思えるような国家に関わるミッションを仲間と 共にコンプリートするといった感じです。結末はいつも見え見えですが、内容は結構複雑です。裏切り裏切られなどするので内容についていくのに 頭を使い、かなりハラハラします。そういった点では予想がつかず、さすがはスパイ映画の最高峰だなと思います。そしてなんといってもリアルな アクションシーン。ブルジュハリファにへばり付いたり、飛行機にへばり付いたりと何かとへばり付きがちなトム。6作品目に当たる「ミッション インポッシブルフォールアウト」では、ビルの屋上からビルの屋上へと飛び移るシーンの撮影の際にトムは実際に足を骨折しました。僕はもうなん だかトムが心配になってきました。
そんなミッションインポッシブルですが、すべての作品が面白いというわけではありません。特に1作品目と 2 作品目は全く面白くありません。 1作品目はドラマシリーズを見たことがない人は全く理解できないですし、見たことがある人も「なんそれ」と思ってしまうはずです。2 作品目は イーサンハントのキャラクターが変。3 作品目から割と面白くなっていきます。シリーズ内で最も面白い作品はやはり5作品目に当たる「ミッショ ン・インポッシブルローグネイション」です。これは面白いです。脚本監督はクリストファーマッカリーです。この作品でトムクルーズに気に入ら れたクリストファーは最近やたらとトムの作品に使われるようになっています。クリストファーはその後6作品目にあたる「ミッションインポッ シブルフォールアウト」の脚本・監督を務め、あのトップガンマーベリックの脚本も手がけています。7,8 作品目の脚本・監督もクリストファーで す。好きな監督の一人です。ここで僕のこのシリーズにおける作品ランキングを勝手に書いておくのでぜひ参考にしてみてください。そして、皆さ ん 7,8 を映画館に何度も見にいって興行収入をぶち上げましょう。

1位 ミッションインポッシブルローグネーション

2位 ミッションインポッシブルフォールアウト

3位 ミッションインポッシブルゴーストプロトコル

4位 ミッションインポッシブル III
5位 ミッションインポッシブルI
6位 ミッションインポッシブルII

2023年度春新歓ブログリレー#10

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一年の松村です。今回僕が紹介するのは「イエスマン “YES”は人生のパスワード」です。

僕は凄いネガティブな性格で、よく人生関係なので悩みます。そんな時は、『前向きになれる映画』と検索して、映画を探します。中学生の時に、検索したら出てきたのでイエスマンを見てみました。この映画は、ネガティブ思考で何事にもノーと言い、周りの人が離れていき人生の上手くいっていない主人公が、あるセミナーに参加し、どんなことにもイエスと答えなければいけなくなり、退屈だった人生がどんどん変わっていくという映画です。この映画を見て、僕は何事も考え方次第だからポジティブに生きた方が楽しいし、無駄なことなんて何も無いのだなと思いました。

2023年度春新歓ブログリレー#9

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こんにちは。二年の高橋です。今回僕が紹介する映画は、007シリーズから、マーティン・キャンベル監督、ダニエル・クレイグ、エヴァ・グリーンら主演の「カジノ・ロワイヤル」です。シリーズ21作目となる本作は、主演、ダニエル・クレイグが6代目ジェームズ・ボンドを演じた最初の作品となっており、これまでの007シリーズの伝統を受け継ぎつつも、ストーリー自体は独立したものになっています。後の4作にわたる“クレイグ・ボンド”シリーズの起点となる作品なので、「007映画に興味があるけど、どれを見たら良いか分からない!」という方にオススメです。(もちろん過去の007作品も最高です。特にロジャー・ムーア主演とか…)

物語は、MI6の諜報員であるジェームズ・ボンドが任務に成功し、「殺しのライセンス」を与えられ、「007」に昇格する場面から始まります。晴れて007になったボンドは、テロ組織への糸口を掴むため、マダガスカルへ飛び、爆弾密造人であるモロカを捕らえますが、射殺してしまいます。残された彼の携帯から「エリプシス」というメッセージを発見し、ボンドはその送信者を追跡するため、バハマ・ナッソーに飛びます。現地ホテルの防犯カメラの映像や、MI6の部長であるMのパソコンに侵入することによって、メッセージの送信者がディミトリオスという武器商人であることが分かります。ボンドはディミトリオスを手掛かりに、他のテロリストや、一連の事件の黒幕を突き止め、犯罪資金を強奪するために奔走する… というのが主なストーリーの流れです。

 ダニエル・クレイグが演じるジェームズ・ボンドはこれまでの作品とは一転して、ユーモアを排したシリアスな人物として描かれています。敵に追い詰められても、常に余裕な表情でスパイアイテムを駆使し、窮地を脱するのではなく、時には肉体的、精神的に追い詰められて悩みながらも任務を遂行していくボンドの姿にはとてもリアリティーがあるように感じます。007映画でおなじみのヒロイン「ボンドガール」との関係も過去作のような“ありきたり”なものではなく、より複雑で考えさせられるものになっていると僕は思います。

本作に限らず007映画では、映画に登場する車や電化製品、衣類、アクセサリーなどが、どこの企業やブランドのものなのかがはっきりわかるように映すという傾向があります。例えば、SONYのスマホやVAIOのパソコン、オメガの時計、アストンマーティンの車など、どれもその業界の一流品。これによって、映画によりリアリティーを与えられるうえに、企業側は一種のサブリミナル効果を期待できます。映画に登場する様々な「もの」に注目するとより楽しめることでしょう!(僕の夢は、オメガ,シーマスター,007エディションを買うことです(笑))

「カジノ・ロワイヤル」ぜひご覧ください!