2024年度春新歓ブログリレー#9

716iPNeNL8L._AC_UF1000,1000_QL80_

はじめまして!1年目の波です。
私が今回紹介する映画はデビッド・フランケル監督作品の「プラダを着た悪魔」です。

あらすじはジャーナリストを目指す、ファッションに興味のないアンディ(アン・ハサウェイ)が人事部に紹介されて採用されたのは一流ファッション誌”RUNWAY”の伝説のカリスマ編集者、ミランダ(メリル・ストリープ)のアシスタント。しかしミランダはこれまでに何人もをクビにしてきた鬼上司!まさに”プラダを着た悪魔”。そんなミランダの元でアンディが日々奮闘し成長していく物語です。

かなり有名な作品なので世界中の人のバイブルとなっているのではないのでしょうか?私もそのうちの1人です。

この映画を語る上で欠かせないポイント。それは…”ファッション”と”NY”です!

登場人物のファッションが本当に素敵なんです。同監督作品の「マイアミ・ラプソディ」や「セックス・アンド・ザ・シティ」でも衣装を担当したパトリシア・フィールドはそれぞれのキャラクターに合わせてスタイリングをされていて、例えばアンディのアシスタントとしての先輩、エミリーは赤毛に独特なメイクとVivienne WestwoodやRICK OWENSなどのブランドを合わせた、ファンキーで個性的なスタイル。ミランダは主にビンテージのアイテムを合わせた、クラッシックで上品な独自のスタイル。
特にアンディの、仕事や周囲に対する考え方と共に大きく変化するファッションには目が離せません!映画でアンディが着た衣装はなんと65着!当時の流行を先取りしたトレンド重視のスタイルとなっています。
舞台は主に”NY”なのですが、この映画をプロデューサーのウェンディ・フェネルマンは「NYへのラブレター」だと表現するほど、活気に満ちたNYの街並みが印象的に映されています。

NYの街並みを闊歩するアンディの衣装が移り変わるシーンは何度見てもわくわくしますし、この映画の魅力がよく伝わります。

ついでに私の好きなシーンをいくつか紹介したいと思います!
1つ目はやっぱりオープニングのシーンですね!KTタンストールの「Suddenly I See」という曲と共にミランダのスタッフ、通称「コツコツ族」(歩く度にヒールの音がコツコツなることから)とアンディの朝の支度の様子が流れるシーンなのですが、コツコツ族の下着の履き方までもが洗練されていて本当にオシャレ!靴が印象的に映されるのですが、これは監督の「靴がダメなら服もダメ」という意識から来ている演出です。このシーン以外にも靴が強調されているカットがあるので是非意識して観てみてください!
2つ目は「ブルーセーター」のシーンです。手持ちのカメラが使われていてドキュメンタリーのようなカメラワークになっているので、よりファッション業界の緊迫感やミランダが単に意地悪で人使いが荒いだけではなく、いかにやり手で功績を残して来た人物であるのかが伝わるシーンとなっています。観た際に「あ!このシーンか!」と思い出してくれたらうれしいです☺︎

この映画の主人公はアンディですが、物語が進むにつれて現れてくるカリスマ編集長ミランダの内面、厳しいビジネスの世界でトップに立つ女性の難しさの描写もこの映画の魅力です。

3つ目はアンディがミランダを失望させてしまい落ち込んでいる時にミランダの右腕として働くナイジェルから説教を受けるシーンです。ここでのアン・ハサウェイの表情の演技が素晴らしく、アンディのセリフはほとんどないのですが、2人はまるで会話をしているような印象を与えます。このシーンのあとに激アツな展開があるのも含めて好きです。

加えて小ネタのようなものも紹介したいと思います✌︎
①アンディと家族との写真に写っているお母さんはアン・ハサウェイの本当のお母さん。
②ファッションショーのシーンで実際にデザイナーのヴァレンティノがカメオ出演している。

脚本も素晴らしく、印象に残るセリフがたくさん出てきます。その中の一つだけ紹介します。それはナイジェルがアンディに向けて言った、「仕事ができるようになると、プライベートが崩壊するよ。昇進のタイミングだ」というセリフです。

アンディは犠牲と共に前進していきます。20代前半の変化していく様々な人間関係の大変さに共感し勇気をもらえます。

まだ観たことがない方はもちろん、観たことがある人も今一度「プラダを着た悪魔」を是非観てみてください!ストーリー、カメラワーク、衣装、脚本、音楽、演技…。映画の醍醐味がギュッと詰まった最高の作品です!

こういった文章を書くのは初めてなので長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

That’s all.

 

2024年度春新歓ブログリレー#8

c31ce658c49d5b01c87a6737317891bf

おとぎの国アンダレーシアの森の中で動物たちと仲良く暮らすジゼルは、ある日王子様と運命的な出会いを果たしすぐに結婚を約束する。しかし結婚式当日、ジゼルは玉座を奪われることを恐れた女王の手によって井戸に落とされてしまう。そして彼女がたどり着いたのは…現代のニューヨークだった!おとぎの国の価値観なんて通用しない、”永遠の幸せなんて存在しない場所”ニューヨークで、ジゼルはどうなってしまうのか?「真実の愛」とはいったいなんなのか?

こんにちは。映画研究会一年の保坂です。今回は私が幼い頃から大好きなディズニー映画、「魔法にかけられて」を紹介します。
この映画はアンダレーシアを描いたアニメーション、そしてニューヨークが舞台の実写が織り交ぜられた珍しい構成になっています。

結婚式のための真っ白なドレスを着たままニューヨークのマンホールから出てきて途方に暮れていたジゼルは、偶然通りかかったシングルファザーのロバートに助けられます。いかにもおとぎの国のプリンセスという振る舞いのジゼルを見て、ロバートの幼い娘は彼女を本物のプリンセスだと信じるのに対し、現実主義のロバートは「変な女の子」としか考えません。
私が思うこの映画の魅力は、そういったおとぎ話と現実とのチグハグさにあります。例えば歌いながら動物と一緒に部屋の掃除をするのはきっと誰もが見覚えのあるような「プリンセスあるある」ですが、舞台がニューヨークとなれば集まってくるのは下水道から出てきたネズミやゴキブリ、ハエなどで、とても美しいとは言えない映像へと変貌を遂げます。勝手に部屋のカーテンを使ってドレスを作ったり、弁護士として働くロバートに離婚交渉の依頼をしている夫婦に空気の読めない質問をしてしまったりするジゼルに周囲の人たちは初めは困惑しますが、彼らも、そしてこの映画を見る私たちも、純粋で思いやりのあるジゼルに次第に心惹かれていきます。確かにジゼルをはじめアンダレーシアからニューヨークに飛び出してくる登場人物たちの行動は、現実世界を生きる人々からすれば非常識なものには変わりありません。アニメの中ではかっこいい王子様も、ニューヨークへやってくれば単なる間抜けなナルシストに見えてしまいます。しかし、そのチグハグさがたまらなく愛おしいのです。

私の一番好きなシーンが、公園でのミュージカルシーンです。やはりプリンセスらしく突然歌い出したジゼルをロバートは止めますが、それを聞いていた路上パフォーマーが続きを演奏し、最終的に公園中の人を巻き込んだ大合唱になっていきます。周囲の人々を幸せにするジゼルの魅力が溢れているのと同時に、それまで冷たい面ばかり映し出されていた現実世界にも愛や希望を感じられる場面です。

そのような中で元の世界に帰るための方法を探すジゼルですが、彼女を追ってアンダレーシアからは次々とキャラクターたちがやって来て、物語は大波乱の展開を迎えます。
私たちに真実の愛とは何なのかを考えさせるとともに、おとぎ話のようにうまくはいかない現実を生きる中でどこかに置いて来てしまった大切なものを思い出させてくれる映画です。

北大の北図書館でも閲覧が可能なので、気になった方はぜひご覧ください。

2024年度春新歓ブログリレー#7

6829b9fa5593cbd1b6c2127ae84a083c15ba92089b6d7323dca37a2823511bc5

皆さま、おはこんばんちわ。北大映画研究会の萱野です。
私が今回紹介する映画は2018年公開のドキュメンタリー映画「太陽の塔」です。
こちらはタイトルの通り、岡本太郎の作品「太陽の塔」をテーマにして、現代社会と岡本太郎の思想を、芸術家、歴史家、社会研究家などの様々な視点から読み解いていくドキュメンタリー映画となっています。
正直、他のブログリレーで紹介されている作品と比べると、エンタメ性は見劣りします。しかし私は、この作品は日本の未来を担う人間が向き合うべき作品の一つだと考えています。
太平洋戦争の敗戦の後、特需景気と高度経済成長による経済的な復興がなされ、一見すると「敗戦を乗り越えた」「発展を遂げた」ように見える日本、大阪万博で「人類の進歩と調和」を掲げた日本に、岡本太郎は「日本は、人類は進歩も調和もしちゃいない」というメッセージとともに太陽の塔をぶち当てます。
経済的発展の影に置いていかれた「日本」というもののアイデンティティと、太郎の見ていた芸術という「人類」のアイデンティティ。
太郎が太陽の塔に込めた、人類が核という「黒い太陽」を持つことへのメッセージ。
発展の限界を迎え、停滞しつつある現代において、「無意味な畏怖」を人々に与え続ける太陽の塔を読み解くことで、過去、現在、そして未来が、科学や歴史にとらわれない、一本道でない方法で、けれど確かに繋がれていきます。

この映画の魅力は、観て、そして自分の頭で考えることで味わえるものだと思います。他の映画では絶対に味わえない知的な快楽をぜひ体験して頂きたいです。

オマケ:私がこの映画を観たのは、16歳、高校2年生の、修学旅行の前日の夜、もうなくなってしまったスガイディノス札幌という映画館でした。当時理系だった私は、信じていた科学というものの脆さに気付かされ、いつか文系に進もうと決意し、そして今に至ります。映画を観た次の日からの修学旅行で、実際に太陽の塔を見ることになって、新幹線の中でひたすらこの映画のメッセージについて考えていたことを覚えています。
私の人生を変えてくれた映画です。ぜひご覧ください

追伸:オマケがあるから追伸は書かなくてもいい気がしますが…。皆様は太陽の塔を実際に見たことはあるでしょうか?あれ、思ってるよりデカいんですよね。けっこう距離が離れててもかなり大きく見えます。そりゃあ怖くて解体できないよなぁ…って、実際見たら感じると思います。

2024年度春新歓ブログリレー#6

MV5BMTA1ODUzMDA3NzFeQTJeQWpwZ15BbWU3MDgxMTYxNTk@._V1_
皆さま、おはこんばんちわ。北大映画研究会の萱野です。
私が今回紹介する映画は「アバウト・タイム 愛おしい時間について」です。

あらすじ:21歳の誕生日、ティムは父から、代々一族の男性にタイムトラベル能力があることを知らされる。そんな能力に驚きつつも、彼は時空を旅して恋人探しを始める。(Netflixより)

あらすじの通りの、ラブロマンスコメディですが、あらすじからは想像もできないほどの感動が、皆さんを待っています。
映画の前半は主人公のティムとヒロインのラブロマンスパート、そして後半はティムの家族をめぐるタイムトラベルと絆の物語という構成です。他のラブロマンス映画に比べて、主人公とヒロインだけのパートの比重が軽いため、ラブロマンスが苦手な方でも見やすい作品だと思います。
前半で恋愛ごとは一区切りつく分、後半の家族ドラマの比重が大きくなっており、特にティムとお父さんのドラマは感動必至です。
正直、映画を観たあとの感覚は「バイオレットエバーガーデン」を観た後に近いほど、心に訴えかけられる映画だと思っています。
正直、この映画が好きすぎて何をどう説明したらいいか分かりません。映画で泣いたことがなかった私が、終盤の親子のシーンでボロボロ泣いてしまうような素敵な映画なんです…
特にお父さん役のビル・ナイさんの演技が伏線に富んでいて素晴らしく、親子モノに弱い方には間違いなく刺さると思います!
ぜひ、ラブロマンスというジャンルに先入観を持たずに観て頂きたい傑作です!

追伸:皆さんは親子モノってお好きですか?僕はとにかく親子の感動ストーリーに弱く、バイオレットエバーガーデンでも母娘の話で泣きかけました。自分の体験としての、昔の両親への感謝と、少しの後悔が、親子モノを何より魅力的にするものかな…なんて考えたりしています。

2024年度春新歓ブログリレー#5

i-am-a-ghost2年生の手束壮吾と申します。

自分はホラー映画が好きでいつも「これ絶対寝る前思い出すやつだ…」、「何でこれ1人で観ちゃったんだろ。」、「お風呂入りたくないわ…」などとビビりながら楽しんでいます。ここで読者の皆さんは恐らくこう思うでしょう「お前ホラー苦手だろ」と。そうです、私はホラーは苦手です。ホラー映画鑑賞後はディズニー映画を観たり心温まるような映画を観たりして癒されています。でもめちゃくちゃ好きなんです。これは辛い食べ物のようなもので得意ではないけどクセになる、好きだ。そんな感じです。

そんなホラー苦手な私が紹介する映画は「私はゴースト」です。この映画は2012年にアメリカで作られたもので監督は H・P・メンドーサ、ジャンルはホラー/ミステリー。
ではなぜ私は「私はゴースト」という映画を選んだのかを説明させていただきます。それはこの映画が今まで観てきたホラー映画の中で圧倒的に異質だからです。好きなホラー映画を紹介しても良かったのですが(ちなみにマリグナントです。)読者の皆さんには経験したことの無い恐怖を味わっていただきたいと思いました。この映画の怖さはお化け屋敷のようなびっくりや視覚的な怖さみたいに五感から得られる情報による恐怖ではありません。もっと深い根源的なもので、我々は当たり前すぎて気が付かない無意識下にある恐怖でありそれを刺激してくるからこの映画は異質なんです。

あらすじ
主人公は毎日同じ生活を繰り返すエミリーという女性。ある日エミリーは家の中で声が聞こえます。それは「私は霊媒師で、あなたはこの部屋で殺された幽霊だ。この家の持ち主(エミリーの後に住んでいる人たち)が怖がるから成仏して欲しい」という内容でした。そしてエミリーは成仏するために自分の死因について調べていく。つまり死因が分からないことによって成仏できない幽霊が自分がどうやって死んだかを解明していくお話です。

この映画はなんと主人公が幽霊なんです。この設定は斬新でとても面白いですよね。その上登場人物はほぼ1人で、霊媒師に関しては声のみ。そして見ている我々も幽霊であるエミリーと同じ視点なので普通の映画と違ったり死因を解明していくミステリー要素もあったりして面白い点がいくつもあります。

ただあらすじを読んで「これ怖くないじゃん、こいつ何言ってんの」って思った人もいると思います。またこの映画を観たことある人も正直そこまで怖くなかったと感じた人もいると思います。ここでなぜ私はこの映画が怖いと感じているかを伝えたいと思います。それは死=救済という概念を壊したところです。エミリーは死んだはずなのに毎日1人で同じ生活を過ごしていました(外へ出ることは不可能)がこれは終わることができない、永遠にこれを繰り返すことしかできない、逃げられない。その上霊媒師が現れるまで幽霊だど自覚することもできないし、自覚できても死因がわかるまで成仏ができない。つまり例え死んだとしてもて苦しみから逃れることができるとは限らないということです。これめちゃくちゃ怖くないですか。現代では辛い現実から逃げたくて自殺する人もいると思いますがこの映画はそんな人たちを完全に否定しています。苦しみから逃げた先、地獄というこの悪魔的発想は死を甘く捉えているようなある一定の現代人に一石を投じる要素があり死ぬことは改めて怖いことだと気づかせてくれます。ある意味自殺防止にもってこいの作品かもしれませんね。

「私はゴースト」の上映時間はなんと76分とかなり短め。そしてAmazonプライムで視聴可能とかなりお手軽な作品となっております。またミステリー色強めでグロテスクな描写なくかなり観やすいと思います。少しでも興味が湧いていただけたら是非挑戦してほしいです。
ただこの映画は全員におすすめできるかと聞かれたら答えはNOです。好き嫌いがかなり分かれる作品だと思います。冒頭20分はほぼ同じ映像の繰り返し、会話も少ない、極めつけには終盤の〇〇。謎が多く含みを持たせたようなシーンが多いため鑑賞後よく分からないで終わってしまう人もいると思います。ただ私は非常に面白いと感じましたし映画が好きな人やホラーが好きな人、ミステリーが好きな人など色々な人に是非観てほしいと思ったので紹介させていただきました。
私の駄文にお付き合いいただきありがとうございました。

2024年度春新歓ブログリレー#4

MV5BMmQ1NzBlYmItNmZkZi00OTZkLTg5YTEtNTI5YjczZjk3Yjc1XkEyXkFqcGdeQXVyNTAyODkwOQ@@._V1_FMjpg_UX1000_

2年法学部の佐藤です。映画研究部には去年の秋に入部しました。

今回のブログリレーでは、僕が一番好きな映画『アメイジング・スパイダーマン2』を中心に、「スパイダーマン」の映画の数々について紹介していきます。

『アメイジング・スパイダーマン2』の話題に入る前に、「スパイダーマン」とはそもそも一体何なのか、どんな映画があるのかについて説明したいと思います。マーベル・コミックにて、1962年に初登場したスパイダーマンは、シリーズとして長期間続き、映画化も幾度もされました。主人公のピーター・パーカーは放射性のクモに噛まれ、それ以来世界でたった一人のスパイダーマン。超人的な力を得た彼は、初めはその力を利己的な方向に使い、それが遠因となって叔父を死なせてしまいます。叔父の死に際の言葉である、「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉を受け、以後は顔を隠したヒーロー「スパイダーマン」として、ニューヨークの市民を数々の危機から救っていきます。

ヒーローとしての活動と、高校生/大学生としての活動は、両立しづらいもの。ピーターには恋人ができますが、その関係はなかなかうまくはいきません。正体を隠して、恋人を危険から遠ざけるか、正体を明かして、恋人のそばにいるか。ピーターは葛藤します。またヴィラン(敵役)であるグリーン・ゴブリンやドクター・オクトパス、ヴェノムなどとの戦いを巡って、家族・恋人を危機にさらしたり、友人と対立したりしてしまいます。このうまくいかなさ、世知辛さが、『スパイダーマン』の魅力といっても過言ではありません。

前述したように、スパイダーマンは頻繁に映画化されています。2002年スタート、ホラー映画を数多く手がけたサム・ライミ監督、トビー・マグワイア主演の『スパイダーマン』3部作。2012年スタート、マーク・ウェブ監督、アンドリュー・ガーフィールド主演の『アメイジング・スパイダーマン』2部作。2016年スタート、ジョン・ワッツ監督、トム・ホランド主演の『スパイダーマン/ホームカミング』から始まる3部作は、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の中に組み込まれており、アイアンマンやドクターストレンジといったほかのヒーローとの共演が見られます。

それでは本題、『アメイジング・スパイダーマン2』について紹介していきましょう。ネタバレを含みますので、悪しからず。

この作品は、『アメイジング・スパイダーマン』の続編として、2014年に公開されました。前作にてピーターは、同級生のグウェン・ステイシーと恋仲になりましたが、警官である彼女の父ジョージは死に際に、「グウェンに危機を及ぼすな」と言い残しており、ピーターはグウェンとの距離の取り方に苦しみます。またピーターは幼少期の親友ハリー・オズボーンに再会しますが、彼は病魔に侵されており、治療の為にスパイダーマンの超人的な力を狙っており、ピーターとハリーは対立していきます。さらにピーターは、幼少期に謎の死を遂げた両親に関して複雑な感情を抱いており、それが原因で残された家族である叔母ともギクシャクしてしまいます。この三重苦の状況、ピーターはさらにヴィランである「エレクトロ」との対決も余儀なくされます。両親の謎を紐解き、グウェンと復縁したピーターは、エレクトロを命からがら倒します。しかしエレクトロの背後にいた黒幕、グリーン・ゴブリンことハリーの奇襲を受け、ピーターはグウェンを寸でのところで助けきれず、死なせてしまいます。蘇るグウェンの父の言葉。ピーターは数ヶ月もの間、意気消沈します。しかしその間にもニューヨークには市民の助けを呼ぶ声が止みません。グウェンの生前の言葉、「孤独だと感じる日もあるでしょう」「そんなときにこそ、希望が必要なのです」を聞いたピーターは立ち上がり、ニューヨークの希望として再び戦いに身を投じるのです。

なんといっても、このラストシーンが素晴らしいのです。この映画のすべては、このラストシーンのためにあるといっても過言ではありません。スパイダーマンのいない街、暴れるヴィランに少年が果敢に立ち向かいますが、勝てるはずもありません。その場に現れたスパイダーマンは、「あいつは僕が倒すから、君はお母さんを守って。いいね?」とヴィランの前に立ちはだかり、攻撃を仕掛けます。その姿はニューヨーク市民の希望。悲しみに打ちひしがれたスパイダーマンは、帰ってきたのです。まさにヒーロー復活、ヒーローかくたるべし。

さらに特筆すべきは、音楽です。本作で音楽を担当したのは、『パイレーツ・オブ・カリビアン』『ダークナイト』『インターステラー』などで知られるハンス・ジマー。スパイダーマンを象徴するヒロイックな音楽と、エレクトロを象徴する重低音でリズミカルな音楽が対比的で、とても印象に残るものになっています。

この作品には、次作に向けての伏線が多くあります。ハリーに接触する謎の男、原作のヴィランであるドクター・オクトパスやヴァルチャーのものであると思われるスーツの登場などなど。ですが『アメイジング・スパイダーマン3』は製作されませんでした。というのも、当時『アメイジング・スパイダーマン2』は興行的にあまり成功せず、一方、上述したMCUが『アベンジャーズ』などの作品によって盛り上がっていました。「スパイダーマンをまた仕切り直してMCUに合流させよう」との判断でしょうか、『アメイジング・スパイダーマン』シリーズは打ち切られ、『スパイダーマン/ホームカミング』が製作されたというわけです。

そんなわけで、『アメイジング・スパイダーマン』の世界のピーターがその後どのような人生を辿ったかは、我々の知るところではありません。ですが、MCU版スパイダーマン3作目、『スパイダーマン/ノー・ウェイ・ホーム』にて、なんとなんと、まさかの『アメイジング・スパイダーマン』版のピーターが登場。彼のその後について仄めかされているほか、エレクトロとの再びの対峙や『アメイジング・スパイダーマン2』を意識した粋な演出など、ファンには感涙ものですが、いまや幻となってしまった『アメイジング・スパイダーマン3』を見たい! という声を挙げるものは少なくありません。かく言う私もその一人です。

2024年度春新歓ブログリレー#3

b8f022245f332622

映研2年会計の中嶋です。今回のブログリレーで私が紹介するのは深作欣二監督と「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」です。深作監督はこの映画の監督ではないのですが、今回この映画を紹介するのにあたって語る部分に共通する点が多く、互いを絡めながら紹介したいと感じたので、今回まとめて紹介させていただきます。

まずは深作欣二監督について軽く説明します。

深作欣二監督は1930年生まれで、子ども時代のほとんどを第二次大戦下で過ごしました。15歳の頃戦争が終わり、それまで戦争を全面的に肯定していた大人たちが一斉に手のひらを返し、反戦を唱えるようになったのを見て、大人に対する呆れと疑心を感じ、また自分たちの青春を奪った戦争への憎しみを感じながら生きてきたそうで、その思想は彼の多くの作品に反映されています。

戦争への怒りと新秩序の誕生への不信を描いた「軍旗はためく下に」や戦時中と戦後で態度を変え何喰わぬ顔で生活している当時の上層部への怒りをやくざ抗争に反映させた「仁義なき戦いシリーズ」をはじめとする実録やくざ映画、暴力というものを知らずに育ってきた若者が、秩序によって理不尽に消費されていく社会の恐ろしさを描いた「バトル・ロワイアル」など、代表作の多くはバイオレンス映画ですが、そのほとんどはコメディタッチに描かれています。暴力を美しく描かず、ダサく汚く可笑しく描くことで暴力を否定し、暴力を美化する作品に対するアンチテーゼになると考えたのです。こういったこだわりから深作監督作品の多くは邦画史に残る大傑作となりました。

特に、「仁義なき戦い」をはじめとする実録やくざ映画は1970年代当時、老若男女問わず圧倒的な人気を得ており、その需要に答えるように深作監督の1970年代作品のほとんどは実録やくざ映画が占めていました。ファンの中には実際にやくざ稼業に就いている人など、いわゆるアウトロー系の人も多かったといわれています。赤軍派のような左翼集団も例外ではありませんでした。深作監督の実録やくざ映画に共通する「主人公たちが仁義を貫き通そうとするものの、ずるがしこい親玉や腑抜けたかつての仲間に裏切られて失敗してしまう様子」を自分たちの理想的な革命運動が、打倒すべき日本政府や穏健化して腑抜けになった日本共産党に邪魔されている現状と重ねていたのです。

深作監督も当時の左翼運動をヒントにすることが多く、例えば「仁義なき戦い-代理戦争」では冒頭で「安保闘争などの左翼活動で見られるような代理戦争の構図がやくざ組織でも見られた。」といったことが述べられます。また、「実録・共産党」と題した映画の構想もありました。自身の伝えたいメッセージを左翼活動を描くことでも反映できると考えたからです。しかし、深作監督と実際の左翼団体との意見の相違や、共産党員が過去に体制から受けた拷問・虐殺や逆に彼らが体制に向けて引き起こしたテロ事件など背景として描くべき歴史の陰惨さなどからこの企画は流れてしまいました。

その後、「青春の殺人者」と「太陽を盗んだ男」でカルト的人気を得た長谷川和彦監督が三本目の映画として「仁義なき戦い」のようなタッチで戦後学生運動史を描く「連合赤軍/夢見る力」、「連合赤軍/迷い鳩どもの凱旋」を企画し、実際の浅間山荘を買い取ろうとしてまで撮影に熱を入れましたが、制作会社の経営不振や脚本の未完などが原因となり、これも流れてしまいます。

そして2008年、ついにこの二人と交流のあった若松孝二監督が、長谷川監督の企画を基に撮影した「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」が公開されます。2002年にもあさま山荘事件を題材とした「突入せよ! あさま山荘事件」が公開されていましたが、この映画に若松監督は大きな憤りを感じていました。何の背景説明もなしに「警察が正しい。」という前提で話が進められていたことに大きな不満を感じていたのです。これは、若松監督が学生運動を支持していたというわけではなく、映画が秩序・体制側の視点で描かれていたこと(すなわちただの体制称賛プロパガンダ映画にすぎなくなること)に対する怒りからきています。

そのため、「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」は「仁義なき戦い」以上に当時の情勢や組織の分裂や統合、出来事などを詳しく分析・解説しています。また、あさま山荘事件のシーンよりもそこに至るまでの過程に重きが置かれており、特に印象的なのは「山岳ベース」での出来事です。連合赤軍の若者たちは、警察をはじめとした権力への逃亡と日本共産党をはじめとする穏健左派との決別のために、群馬県の山中に「山岳ベース」というアジトを築き、共同生活を始めます。何一つ邪魔のない若者だけの世界は、一見すると深作監督の実録やくざ映画に登場する主人公たちが目指している正しくて理想の世界のように見えます。しかし、彼らのいう打倒すべき敵や腑抜けた穏健派(深作作品でいえば山守や打本)の不在は、理想を求め続ける若者の暴走を抑えることができないことを意味し内部分裂やリンチが頻発、結果として12人が死亡する「山岳ベース事件」につながるのです。

この映画はこの「山岳ベース事件」の描写が非常に生々しく猟奇的に描かれていおり、当時小学五年だった私は一種のトラウマを植え付けられました。(当時刑事ドラマにはまっており、この映画もそういったアクションエンタメ作品の一つだと思った私は「実録」の意味も知らず図書館でこの映画を借りてしまったのです…。)しかし、今考えるとこの凄惨さは当時すでに亡くなっていた深作監督の作品に対する若松監督からのメッセージのように感じられます。映画を撮ることで大人や秩序と戦い続けた深作監督の理想(彼の遺作である「バトル・ロワイアルⅡ」でその理想が詳しく描かれています。正直言ってかなりの駄作です(笑))も、結局は次の世代にとって打倒すべき秩序になってしまうという事です。実際、若松監督と深作監督は意気投合することが多かったらしく、そういったことを話していたかもしれません。

「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」は3時間以上ありますし、猟奇的な描写が多く、正直言って興味のない方にはおすすめできません。興味があるならぜひ観てください。北図書にもあります。

2024年度春新歓ブログリレー#2

10496920

法学部2年、映研副部長の田仲と申します。今回私が紹介する映画は「シャークネード」シリーズになります。

今日世界には非常に多くのサメ映画が製作されており、その中で真にその完成度や面白さを正当に評価し得る作品が「ジョーズ」と「ディープブルー」くらいしか存在しないことは皆さま御周知のことかと存じますが、この「シャークネード」シリーズはまさにその「正当に評価し得ない」作品の代表格であります。荒唐無稽な設定、支離滅裂な脚本、大根演技、PS2レベルのスーパー低クオリティCGなどなど、貶すべき点を挙げればキリがありません。ではなぜそんなゴールデンラズベリー賞ものの映画を皆さまにお勧めするかと言いますと、それはひとえにこの作品が言わば「カルト的魅力」に溢れているからです。

そもそもカルト映画というのは、万人受けはしないが一部の熱心なファンが狂信的に繰り返し見ているような映画のことを指すものです。世間でよく言われるものとしては、「エル・トポ」、「イレイザーヘッド」、「太陽を盗んだ男」、「ブレードランナー」などでしょう。ですが上に挙げたのはどれも考え抜かれて作られた一級の名作であり、これだけでカルト映画の全てを語ることはできません。カルト映画とはすなわち怪作であり、そこにはクソ映画という別の側面があります。

エド・ウッドという監督をご存じでしょうか。私もまだ実際に作品を見たことはないのですが、しかしカルトと言えばむしろ真っ先に思いつくのはこの方です。映画をこよなく愛していたとされるエド・ウッドですが監督の才能はめっぽうなかったようで、作り上げた映画はことごとく低評価の嵐を受け、ハリウッドでは見向きもされませんでした。そのクオリティは(悪い意味で)凄まじかったようで、映画人をして「ゴミのような映画を撮る監督は山ほどいるが、映画のようなゴミを撮るのはエド・ウッドだけだ」と言わしめた御方です。ですがそのあまりのクソっぷり、低クオリティぶりから没後にじわじわと人気を集め、今では稀代のクソ映画監督として一部のシネフィルから熱狂的に支持されています。ファンの中にはクエンティン・タランティーノやサム・ライミ、ティム・バートンなど名だたる映画人も名を連ね、特にティム・バートンに関しては好きが高じて彼の伝記映画(しかも主演はジョニー・デップ)まで製作している始末です。このように世紀のクソ映画というものは時に世紀のカルト映画足り得るわけでありまして、他にも例を挙げるならば「シベリア超特急」や「アタック・オブ・ザ・キラートマト」、「ザ・ルーム」などがあるわけですが、ここで話は「シャークネード」に戻ります。ここまで読んでいただいた方ならばお気づきでしょうか。そう、「シャークネード」もまたカルト的側面を持つクソ映画なのです。

前提として、サメ映画(B級に限る)というジャンル自体がそもそもカルトではあります。カルト映画に明るくない方でも、サメとタコが融合した「シャークトパス」や砂浜を泳ぐ「ビーチ・シャーク」、ケルベロスの如き3つの頭を備えた「トリプルヘッド・シャーク」という単語を聞けば、ああ絶対クソ映画なんだろうけど好きな人は好きそうだな、という感覚を共有していただけるかと思います。かく言う私も未だその境地には辿り着いていない現状ではありますが、しかしそうした深部のサメ映画の世界への道のりを切り開く入り口こそがこの「シャークネード」なのであります。

遅まきながら、本シリーズの概要をご説明いたします。「シャークネード」シリーズは2013~18までに全6作が製作されたサメ映画であり、主なストーリーとしては洋上で発生した竜巻が付近に異常発生していたサメの大群を巻き込み、サメをまき散らしながら上陸する恐るべき災害シャークネードと、その脅威に立ち向かう主人公フィンとその一家の戦いを描くSFパニック・ディザスター映画になります。自分でも書いていて馬鹿馬鹿しくなってきましたがこのシリーズの阿呆さはこんなものではありません。一作目は普通のつまらないB級映画という雰囲気だったのに対し、二作目ではバズって予算が増えたからかニューヨークを舞台にチェーンソーでサメを切りまくるおバカ・コメディ映画となり、三作目以降はさらに加速した悪ノリで見る者すべてを置いてけぼりにします。そのしっちゃかめっちゃかぶりときたら他に勝るものはなく、宇宙を泳ぐサメに呑み込まれたと思ったらそのサメの体のおかげで大気圏再突入を生き延びたり、妻がサイボーグに改造されたり、サメが炎や電気を纏ったり、おまけに核燃料を呑み込みヌークリアネードとなったり、ローマ教皇(もちろん偽物)からチェーンソーを授かったり、しまいにはシャークネードの渦の中心のエネルギーを利用して時空を超えたり、もう何が何だか分かりません。読者諸賢も理解が追い付いていないことでしょう私もです。

とまあこのように冷笑すら湧いてくる悪ノリを連発しまくる本シリーズではありますが、やはり毎回受けがいいのも相まってかこの手のB級映画の中ではかなり潤沢な予算をもらっているようで、(お世辞にもいいとは言えませんが)クオリティ自体は意外にも悪くはありません。日本で言えば仮面ライダーくらいの出来でしょうか。また一作目では見るに堪えない棒演技だった役者勢も、二作目以降からはかなり演技力が向上しており、十分鑑賞に堪え得るレベルです。さらにダン・フォグラーやドルフ・ラングレンなど意外な人物のカメオ出演や多彩なロケーションなどで毎度楽しませてくれるのも好印象です。脚本も非常に無茶苦茶ですがその中には家族愛という一貫したテーマがあり、最後は一作目からの伏線を回収して非常に綺麗に収まるため、シリーズを通してみると思いのほか感動できます。

以上のように、荒唐無稽なサメ映画ながらも悪くないクオリティとコメディ・センスで笑いを取りに来る本シリーズは、サメ映画の入門としてはこの上なく最適な選択肢であります。名作映画を見ることはもちろん何にも代えがたい楽しみではありますが、たまにはそうした真っ当な評価から外れた、奇想天外な世界を覗いてみるのはいかがでしょう。サメ、B級、カルト。それらは決して一般受けはしませんし、文学的映像的評価に値するものでもありません。ですがそれもまた映画であり、そこには少なからぬファンがいます。そうした世界に触れてみるというのも、存外悪いものではないかもしれません。これを読んでいただいている皆さまの心の中で、少しでもサメ映画の世界への興味が芽生えておりましたら、私は大変光栄に存じます。余談ですが、「シャークネード」の一作目は色目抜きにシンプルにつまらないので、まずは二作目の「シャークネード カテゴリー2」からの視聴をお勧めします。その後にもっとサメを求める心が出てきたなら、どうぞ一作目からご覧ください。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

2024年度春新歓ブログリレー#1

o0800115612774406218
ブログを見ていただきありがとうございます。
今日から、映研恒例の「ブログリレー」をやっていきたいと思います。部員の人たちが、映画を1人一本ずつ紹介していくという試みです。初回は映研部長の文章です。

こんにちは、北大映画研究会部長、工学部三年の中西です。私が紹介する映画は『ウォールフラワー』です。この映画、ジャンルは学園モノで王道といってもいいような学校のエモい雰囲気が味わえます。

 主人公のチャーリー(ローガン・マーラン)は小説家志望の16歳で、同級生や上級生からきつく当たられ、孤立していた。高校生活お先真っ暗かと思われたその時、陽気でクレイジーなパトリック(エズラ・ミラー)と美しくて奔放なサム(エマ・ワトソン)という兄妹と出会ってから物語が回りだす。
パトリックはいい意味でクレイジーという言葉がピッタリな人で、笑顔がとても謎めいている印象を僕は受けました。エズラミラ―という俳優を今まで知らなかったのですが、素人目にも分かる演技力でパトリックをとても魅力的なキャラクターに仕上げていました。彼はゲイで、チャーリーは彼が他の男子生徒とキスをしている場面を目撃してしまうことでそれを知るわけですが、パトリックは慌てることなく冷静に対応します。さらに、チャーリーが親友を自殺で亡くしたことをサムに告白すると、それを知ったパトリックはパーティー中の皆でチャーリーに祝杯を上げるように促します。そう、彼はクレイジーな振る舞いをしつつもかなり大人なのです。この人たらしな感じが僕は好きでたまりませんでした。
サムはひたすら可愛いです。
印象的なシーンをいくつか紹介したいと思います。

まず、チャーリーとパトリックとサムが軽トラで夜道を走っているシーンです。車内では洋楽が流れていて、サムは名も知らない音楽をひどく気に入り、テンションが上がります。パトリックにトンネルに入るように懇願して、パトリックはこれを了承。軽トラはオレンジ色のライトが鈍く光るトンネルの中に入ります。サムは荷台にスッと移り、全身で風を感じるように両手を広げてタイタニックのあのシーンのようなポーズをとって気持ちよさそうに夜を味わいます。その様子が今を全力で楽しんでいるように感じられて自分もいつかやってみたいと思わずには居られませんでした。そんなサムの様子と楽しそうにドライブするパトリックを見て、チャーリーが言った「無限を感じる(I feel infinite)」という台詞は完璧にその状況を捉えており、これもまた印象的でした。
もう一つ印象的なシーンを紹介します。パトリックと彼の仲良し、「ルーザーズ・クラブ」の面々とのパーティーでの一シーンです。パトリックはゲイであることを公言しており、仲間のうちでは皆知っています。そんな状況と彼の信用ありきのジョークをかますシーンが印象的でした。場を盛り上げるために彼は、仲間内の女の子のひとりとキスをするというのです。そして本当にキスをすると、周りからはうわぁ…みたいな盛り上がりがありました。ここではやすような感じにならなかったのは周りからパトリックが男が好きであることを十分に理解されているからで、そういうのが反応で分かるのが面白いシーンだと思ったので紹介しました。ここでもパトリックの人望がみてとれますね。
ここまで紹介してきました『ウォールフラワー』、106分とちょうどいい長さで観られるとてもオススメの作品となっております。

機会がありましたら是非観てみて下さい!