2024年度春新歓ブログリレー#3

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映研2年会計の中嶋です。今回のブログリレーで私が紹介するのは深作欣二監督と「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」です。深作監督はこの映画の監督ではないのですが、今回この映画を紹介するのにあたって語る部分に共通する点が多く、互いを絡めながら紹介したいと感じたので、今回まとめて紹介させていただきます。

まずは深作欣二監督について軽く説明します。

深作欣二監督は1930年生まれで、子ども時代のほとんどを第二次大戦下で過ごしました。15歳の頃戦争が終わり、それまで戦争を全面的に肯定していた大人たちが一斉に手のひらを返し、反戦を唱えるようになったのを見て、大人に対する呆れと疑心を感じ、また自分たちの青春を奪った戦争への憎しみを感じながら生きてきたそうで、その思想は彼の多くの作品に反映されています。

戦争への怒りと新秩序の誕生への不信を描いた「軍旗はためく下に」や戦時中と戦後で態度を変え何喰わぬ顔で生活している当時の上層部への怒りをやくざ抗争に反映させた「仁義なき戦いシリーズ」をはじめとする実録やくざ映画、暴力というものを知らずに育ってきた若者が、秩序によって理不尽に消費されていく社会の恐ろしさを描いた「バトル・ロワイアル」など、代表作の多くはバイオレンス映画ですが、そのほとんどはコメディタッチに描かれています。暴力を美しく描かず、ダサく汚く可笑しく描くことで暴力を否定し、暴力を美化する作品に対するアンチテーゼになると考えたのです。こういったこだわりから深作監督作品の多くは邦画史に残る大傑作となりました。

特に、「仁義なき戦い」をはじめとする実録やくざ映画は1970年代当時、老若男女問わず圧倒的な人気を得ており、その需要に答えるように深作監督の1970年代作品のほとんどは実録やくざ映画が占めていました。ファンの中には実際にやくざ稼業に就いている人など、いわゆるアウトロー系の人も多かったといわれています。赤軍派のような左翼集団も例外ではありませんでした。深作監督の実録やくざ映画に共通する「主人公たちが仁義を貫き通そうとするものの、ずるがしこい親玉や腑抜けたかつての仲間に裏切られて失敗してしまう様子」を自分たちの理想的な革命運動が、打倒すべき日本政府や穏健化して腑抜けになった日本共産党に邪魔されている現状と重ねていたのです。

深作監督も当時の左翼運動をヒントにすることが多く、例えば「仁義なき戦い-代理戦争」では冒頭で「安保闘争などの左翼活動で見られるような代理戦争の構図がやくざ組織でも見られた。」といったことが述べられます。また、「実録・共産党」と題した映画の構想もありました。自身の伝えたいメッセージを左翼活動を描くことでも反映できると考えたからです。しかし、深作監督と実際の左翼団体との意見の相違や、共産党員が過去に体制から受けた拷問・虐殺や逆に彼らが体制に向けて引き起こしたテロ事件など背景として描くべき歴史の陰惨さなどからこの企画は流れてしまいました。

その後、「青春の殺人者」と「太陽を盗んだ男」でカルト的人気を得た長谷川和彦監督が三本目の映画として「仁義なき戦い」のようなタッチで戦後学生運動史を描く「連合赤軍/夢見る力」、「連合赤軍/迷い鳩どもの凱旋」を企画し、実際の浅間山荘を買い取ろうとしてまで撮影に熱を入れましたが、制作会社の経営不振や脚本の未完などが原因となり、これも流れてしまいます。

そして2008年、ついにこの二人と交流のあった若松孝二監督が、長谷川監督の企画を基に撮影した「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」が公開されます。2002年にもあさま山荘事件を題材とした「突入せよ! あさま山荘事件」が公開されていましたが、この映画に若松監督は大きな憤りを感じていました。何の背景説明もなしに「警察が正しい。」という前提で話が進められていたことに大きな不満を感じていたのです。これは、若松監督が学生運動を支持していたというわけではなく、映画が秩序・体制側の視点で描かれていたこと(すなわちただの体制称賛プロパガンダ映画にすぎなくなること)に対する怒りからきています。

そのため、「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」は「仁義なき戦い」以上に当時の情勢や組織の分裂や統合、出来事などを詳しく分析・解説しています。また、あさま山荘事件のシーンよりもそこに至るまでの過程に重きが置かれており、特に印象的なのは「山岳ベース」での出来事です。連合赤軍の若者たちは、警察をはじめとした権力への逃亡と日本共産党をはじめとする穏健左派との決別のために、群馬県の山中に「山岳ベース」というアジトを築き、共同生活を始めます。何一つ邪魔のない若者だけの世界は、一見すると深作監督の実録やくざ映画に登場する主人公たちが目指している正しくて理想の世界のように見えます。しかし、彼らのいう打倒すべき敵や腑抜けた穏健派(深作作品でいえば山守や打本)の不在は、理想を求め続ける若者の暴走を抑えることができないことを意味し内部分裂やリンチが頻発、結果として12人が死亡する「山岳ベース事件」につながるのです。

この映画はこの「山岳ベース事件」の描写が非常に生々しく猟奇的に描かれていおり、当時小学五年だった私は一種のトラウマを植え付けられました。(当時刑事ドラマにはまっており、この映画もそういったアクションエンタメ作品の一つだと思った私は「実録」の意味も知らず図書館でこの映画を借りてしまったのです…。)しかし、今考えるとこの凄惨さは当時すでに亡くなっていた深作監督の作品に対する若松監督からのメッセージのように感じられます。映画を撮ることで大人や秩序と戦い続けた深作監督の理想(彼の遺作である「バトル・ロワイアルⅡ」でその理想が詳しく描かれています。正直言ってかなりの駄作です(笑))も、結局は次の世代にとって打倒すべき秩序になってしまうという事です。実際、若松監督と深作監督は意気投合することが多かったらしく、そういったことを話していたかもしれません。

「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」は3時間以上ありますし、猟奇的な描写が多く、正直言って興味のない方にはおすすめできません。興味があるならぜひ観てください。北図書にもあります。

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