皆さま、おはこんばんちわ。北大映画研究会の萱野です。
私が今回紹介する映画は「天気の子」です。説明しなくてもわかる人も多いと思うんですが、一応概要だけ。
『天気の子』(てんきのこ、英: Weathering With You)は、新海誠が監督・脚本を務める、2019年の日本のアニメーション映画。
(Wikipediaより)
昨年公開されて話題になった「すずめの戸締り」の前作にあたる新海誠監督の作品です。「今から晴れるよ!」に聞き覚えのある方も多いのではないでしょうか。
さて、この映画なのですが、よく比較されるのが、前作「君の名は」と次回作「すずめの戸締り」です。これらはいずれも、新海誠監督が、自身の作風を大衆向けに「魔改造」して生み出した作品であり、どれも男女を主人公とした「世界モノ」という点で共通しているものがあります。
そんな三作の中から、今回私が天気の子を選んだ理由、それは天気の子のもったメッセージが、他の二作と比較しても特異なものだからです。
(以下ネタバレ注意)
天気の子のラストで、主人公の帆高は東京を水没させる代わりにヒロインの陽菜を人柱から解放する選択をします。この、ヒロインを助けて世界を救わないという「世界モノ」としてはアンバランスな選択が天気の子のキモとなっています。
私の尊敬する岡田斗司夫先生は、このラストに対して、「そんなことでは世界はダメにならない」という新海誠監督のメッセージだと解釈しておられましたが、私は少し異なる解釈をしてみたいと思います。
劇中で、「東京は昔海だった」と語られるシーンがあり、最後、水没した東京に帰ってきた帆高の目には、水没したなりに適応して生きていく人々の姿が映ります。そして、帆高には「世界がこうなったのは、お前のせいじゃない」という言葉がかけられます。しかし、ラストシーンで陽菜と再開した帆高は、やはり自分たちこそが世界を変えたのだと確信します。
どうして帆高は、世界の変革の責任を自ら背負うような考えに至ったのでしょうか?
私は、それは帆高が、自分の持つ「愛」の力を確信したからだと考えます。陽菜への確かな「愛」。その力の大きさを表現するものとして、世界は変化したのだと帆高は確信したのではないでしょうか。
つまり、天気の子は周りを巻き込み、とんでもないスケールに拡大した帆高の恋路を描いた作品だと思うのです。
これと対極にあるのが、同じく新海誠監督の「秒速5センチメートル」です。こちらの映画でも男の主人公の壮絶な恋愛感情が描かれますが、ラストは、何も変わらない世界でひっそりと生きていくという落ち着いたものとなっています。
「秒速5センチメートル」から12年の時を経て、新海誠監督の中で変化した「愛の力」への認識が、世界の変革という形で現れているのが、天気の子の興味深いところではないでしょうか。