2025年度 新歓ブログリレー #5

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映研三年目の中嶋です。僕は今回のブログリレーで今村昌平監督と監督作品について紹介していきます。

 

まず、今村昌平監督について軽く説明しましょう。(作品紹介だけ読みたい方は*まで飛ばしてください。)

この監督は一言でいうと”嫌な気持ちにさせられる映画を撮る監督”です。その嫌とはどのくらいの嫌なのか。この監督が巨匠小津安二郎監督や名優の丹波哲郎など、多くの映画関係者から「どうしてあんなに嫌な映画を撮るのか。」と言われ、絶縁されたのも納得できるぐらいには嫌です。後述する長谷川和彦監督や原一男監督の師匠で、その系譜は相米慎二監督や黒沢清監督、青山真治監督など様々な”嫌な映画を撮る監督”に繋がっていきます。また、日本人で唯一パルムドールを二度受賞した監督でも知られ(『楢山節考』と『うなぎ』で受賞しています。)、『タクシードライバー』のマーティン・スコセッシ監督や『パラサイト』のポン・ジュノ監督など世界中の”嫌な映画を撮る監督”に大きな影響を与えています。まさに“嫌な邦画の大御所”のような存在です。

「どうして映画観てまで嫌な気持ちにさせられなきゃならないんだ!」と思うかもしれません。しかし、僕は映画に不快にさせられた経験というものは、映画を観て感動したり心地よく心を動かされたり、テンションが上がったりするのと同様(もしくはそれ以上に)非常に重要な映画体験だと思っています。それは、不快になった際、自分は何に対してどう不快に感じたのかを分析し、自分を客観的に見つめなおすことができるからです。その結果として、自分のあり方を反省して改善したり、改善できなくともそんな自分がいる事を受け入れたりといったように、自分という存在が一歩先へと進みます。裏を返せば、映画を観て不快になる体験というものは最も手っ取り早く自己変革できる映画体験だとも言えます。

なぜこんな話をしたかというと、それこそが今村監督が“嫌な気持ちになる映画”を撮り続けてきた狙いの一つだからです。

その話をする前に、今村監督作品の何が“嫌”なのかについて語っておく必要があります。この監督の大きな特徴であり、“嫌な部分”の根底になっているものは、徹底的かつ独特なリアリズム描写です。具体例として今村監督の映画『にあんちゃん』を挙げます。この映画は1959年に公開された映画で、炭鉱が閉鎖され、貧困・スラム化してしまった朝鮮人労働者の集落に暮らす四人の子供たちを描いた映画なのですが、生活環境の不衛生さ(例えば炊事洗濯入浴排泄がすべて同じ空間で行われていることなど)がはっきりと映像として描写されています。こういった目をそむけたくなるような描写を徹底的に映画内に散りばめ、見たくない現実も含めてリアルだとするのが今村監督のリアリズム描写です。

しかし、この監督はそれを露悪的に見せるわけでもなく、かといって悲惨に見せるわけでもなく、日常のごく当たり前のこととしてさりげなく描写します。この映し方がこの監督のポイントです。現に『にあんちゃん』で描写された環境は当時の貧困層にとってはごく当たり前の日常でした。

観客はこういった目をそむけたくなるような描写を観て不快になりますが、それと同時にそれを不快に思った自分自身のことも不快に思います。貧困者たちの当たり前の生活を不快と思った(すなわち差別意識がわいた)ことに罪悪感を覚えるわけです。ここで先ほどの“嫌な映画体験”の話と繋がります。1950年代~60年代の日本は格差が大きく、その是正のため左翼的なムーブメントが国民の中で流行していました。そのため、日本映画も“清貧な弱者が汚い金の亡者と戦う話”などといった勧善懲悪映画が多くなっており、当時の日本の観客もそういった物語に慣れていたのです。そこで現れたのが今村監督や大島渚監督です。観客を“嫌な気持ちにさせる”ことで、彼らの中で無意識に行われていた“弱者に対する過剰な美化”に気づかせ、貧困・格差問題を改めて観客に問い直そうと試みたのです。

現代社会はこういった時代に比べ、格差は是正され、清潔な社会になりましたが、反面違った生きづらさも目立ちます。それは一人ひとりの人間に求められる高潔さのハードルが上がっているためです。そこで今村昌平監督作品を観ることが自分も含めたすべての人間は、滑稽で愚かな動物なんだと思いなおされます。こういった感じで、今村映画に関わらず、昔の映画というものは現代の価値観で見るとより違った楽しみ方もできるのもいいところだと思います。

 

長々と説明してきましたが、こんなものは嫌な映画を紹介するためのただの建前です。それでは、僕が気に入っている湿気が多くて不衛生で生暖かく不快な今村昌平映画を紹介していきましょう!

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個人的な今村昌平監督作品ベストテンを下位から順に紹介していきます。

 

⑩『楢山節考』(1983年)

気候のせいで作物があまり育たず食糧が枯渇している山村が舞台です。厳しい環境の中でコミュニティが生き延びるため、様々な風習があります。その一つが70歳を過ぎた老人は山に捨てなければならないという事。主人公一家の母も70歳を迎えることになりますが…。

今村監督が一度目のパルムドールを受賞した作品で、今までの全ての監督作品の要素がバランスよく含まれています。今村監督作品がどういうものなのか知りたい方におすすめです。この作品の舞台となる田舎は映画制作班が山を切り開いて作ったものらしく、監督の異常なまでのリアルへの執着が見て取れます。

 

⑨『黒い雨』(1989年)

広島の被爆者たちの体験とその後の生活を描いた映画です。特に原爆投下直後の描写は徹底したリアリズムによってその悲惨さが鮮明に伝わってきます。しかし、扱っているものが広島原爆という非常に重いテーマであるため、いつもの喜劇要素が非常に抑えられ、全体的にシリアスな映画になっています。そういった点では今村作品の中で一番観やすく、万人におすすめしやすい映画です。

ただし、重喜劇という点でのいつものイマヘイ節はあまり楽しめません。弟子の長谷川和彦監督など、今村支持者からの評判は良くないそうです。(長谷川監督は被爆者であり、理科教師が原爆を作って東京中を人質にとる『太陽を盗んだ男』というとんでもない映画を撮っています。)

 

⑧『豚と軍艦』(1961年)

横須賀の米軍基地に沿うように形成されたスラム街。そこに暮らす恋人同士の男女が主人公です。男はやくざの下っ端をやっており、女もスラムで一生懸命稼いでいます。二人の夢は衛生的にも精神的にも汚いスラムから抜け出し、豊かで幸せな生活を送ることです。その夢は叶うのでしょうか?

今村監督が“嫌な映画”路線へ進むきっかけになったのがこの作品です。社会風刺やブラックジョークが多く、シリアスさが控えめで比較的ライトな作品で、先二作同様、監督作品の中では初期に観る映画としておすすめできます。また、やくざ映画でもありますが、任侠映画ブームのこの時代にしては珍しく、全くと言っていいほど美化されていません。それどころか外道として容赦なく描写されています。“裏社会の人間も実はいい人たちが多い”という昨今の創作物にありがちな展開が大いに嫌いな身としては非常に評価できるポイントです。

 

『赤い殺意』(1964年)

宮城の農村、妾の子として生まれた主人公貞子は伝統的な家族制度の底辺として差別的な扱いを受けています。大学教員に嫁入りしますが、そこでも除け者。家族旅行まで彼女抜きです。しかし、彼女はそんな待遇と戦うどころか、それを甘んじて受け入れていました。家族旅行の留守番中に強盗が入って来るまでは。

ここだけで判断するとシリアスで嫌な感じの映画に思えますがこの映画は終始コメディタッチで展開されていくのでそこまで悲惨な映画になっていません。

今村監督が自身の制作した映画で一番気に入っているのがこの作品だそうです。監督が常に描き続ける“除け者の根底にある力強さ”が一番濃く表現されている作品だからでしょうか?個人的な話ですが、舞台が僕の地元なのでより鮮明に楽しめました。地元では未だにこういう家族制度の話を聞くことがあります。

 

⑥『うなぎ』(1997年)

真面目なサラリーマンの主人公は妻の浮気を知り、うっかり包丁で刺し殺してしまいました。彼は自首し、収監されます。刑務官からは模範的な囚人として高く評価されているものの、大きな問題がありました。自分の犯行は正しかったと全く反省していないのです。そんな彼が8年の刑期を終え、出所し、刑務所内で一番の話し相手だったうなぎとともに新しい生活を始めます。

二度目のパルムドールを受賞した作品です。非常に面白い作品ですが、この作品から重喜劇がメインになり、リアリズム的表現が減った気がします。そういった意味では前作『黒い雨』とは対照的な作品です。

 

⑤『「エロ事師たち」より人類学入門』(1966年)

主人公は主人公は猥褻物を非合法に製造、販売することで生計を立てる通称”エロ事師”の男。彼は「町中の人々を幸せにする。」という大義を達成しつつ、血の繋がらない子供たちもしっかり育てていきます。それは、厳格な宗教観の下でエロを否定し、にも関わらず家庭も蔑ろにして幼少期の自身を苦しめた義父との戦いでもありました。そんな精神的闘争は今のところ主人公の圧倒的優勢です。しかし、そこに政府の表現規制が…。

タイトルの癖が強いですが今村監督作品の中で最もエンタメに振り切っている作品だと思います。笑えるボケの癖が非常に強く、普段あまり体験しない不思議なお笑い体験が楽しめます。

 

④『人間蒸発』(1967年)

ある女性の婚約者が何の音沙汰もなく突然消えてしまいました。その謎を解き明かし、行方を突き止めるために企画されたドキュメンタリーです。しかし、手がかりが非常に少なく徐々に行き詰まり、捜査陣のいらだちが募っていきます。そしていつの間にかタイトルである“人間蒸発”の意味も変わっていってしまうのです。

個人的に一番評価が難しい作品です。パンチが効きすぎています。そもそもこの映画が好きなのか嫌いなのかもよくわからなくなってしまいました。非常に面白い作品であることは間違いないのですが…。

 

③『にっぽん昆虫記』(1963年)

貧しく狭苦しい旧態依然な東北の寒村の複雑な家族制度の下、過酷な環境で育った女性が、主人公です。地元の田舎ではいじめられ、出稼ぎに出た工場では恋人に出世の踏み台にされ…といったさんざんな境遇を乗り越え、やっとの思いで東京に出てきます。しかしそこでも騙されます。売春業をやらされてしまうのです。しかし、東京の売春業界は歴史が浅く、今まで受けてきた不遇と比べるとまだマシな方です。それどころか今までの不遇で培われてきた様々な能力を使い、あっという間に業界を乗っ取ってしまいました。彼女は怪獣のごとく東京の性産業を荒らし始めます。

単純にエンタメ映画として非常に面白いです。その上今村映画の中でもトップクラスに嫌な映画です。

 

①『神々の深き欲望』(1968年)、『復讐するは我にあり』(1979年)

個人的に同率一位の、この二作ですが、紹介するうえで非常に情報量が多く、今回は紹介するのをあきらめました。別のブログ記事として紹介しようと思います。

 

代わりに今村監督作品ではありませんが、彼が企画した非常に面白い二作品を紹介しておきます。

『青春の殺人者』(1976年)

主人公、順は恋人のケイ子とスナックを経営しています。彼の両親は彼女のことをよく思っていません。ある日、父親が順を呼び出し、「彼女と別れなければスナックを辞めさせる。」と行ってきます。やり取りの中で順は今まで自分の人生がいかに両親によって縛られてきたかを思い出します。両親の高い理想を押し付けられ、受験に失敗した事やスナックの経営を押し付けられた事、そしてせっかく経営が軌道に乗っても口を出され続ける事など…。でもそんな苦悩とももうおさらば!彼は両親を殺します !これからケイ子と自由な生活の始まりです!しかし、大きな問題が、彼のスナックや趣味・道楽もまた、彼の両親の金でやっていたものだったのです…。

この映画は今まで観てきた映画の中でもトップレベルで嫌な気持ちにさせられた映画です。そのため、観る前に結構な覚悟がいります。

監督は『黒い雨』でも紹介した長谷川和彦監督です。この作品の他に『太陽を盗んだ男』という大傑作も監督しています。こちらも非常に面白い映画なのでおすすめです。(個人的にはこちらの方が好きですが。)

 

『ゆきゆきて、神軍』(1987年)

ニューギニア戦線に出兵したおじいさんが当時共に戦線にいた人たちのもとを訪れ、当時の悲惨な戦争を振り返るロードムービー的構成のドキュメンタリー映画です。こう聞くと真面目なドキュメンタリーのように思えますが、このおじいさんは過去に昭和天皇にパチンコ玉を発射し、傷害致死などで前科三犯のとんでもないアナーキスト。「田中角栄を殺す」と書かれた車に乗って移動し、訪問もノーアポ、話を聞きだすためには平気で暴力を振るう怪物です。観ている側としてはドキュメンタリーの企画よりも彼の行く末のほうが気になってしまいます。もはやドキュメンタリー映画というよりPOV人間怪獣映画といった方が正しいかもしれません。

同じニューギニア戦線を描いた映画『軍旗はためく下に』を観た後だと、彼が正義の怪獣に見えてしまうのも怖いところです。

監督は日本のドキュメンタリー映画界の巨匠原一男監督です。他に『水俣曼荼羅』や『全身小説家』などを撮っています。どれも非常に面白い作品です。先述した『人間蒸発』を観ると、原監督が今村監督からどういった影響を受けているかがよくわかります。

 

 

今回のブログですが正直ここまで長くなると思いませんでした…。こんな長々とした退屈な文章をここまで読んでいるという事は、紹介してきた映画のうち何本かには興味が持てていますよね?そんなあなたに朗報です。実は今まで紹介してきた映画はほぼすべて北図書にあります!是非観てください!たまには映画を観て嫌な気分になりましょう!

2025年度 新歓ブログリレー #4

「映画撮影の経験から」
 法学部3年の阿部です。今年は、映画の撮影について書きたいと思います。
 映画研究会では、日常的に自主制作映画を作っています。撮影機材や編集ソフトもある程度そろっているため、脚本から撮影、そして編集まで全て自分たちで進めます。いくつかの撮影班があり、複数の作品の撮影が同時に進行していることもあります。監督やカメラマン、音声、役者など様々な役割を割り振り、みんなで協力して作品を作り上げています。どのような形でも、映画制作にかかわってみたいと少しでも感じたら、ぜひ先輩の撮影班に入ってみてください。新鮮で楽しい経験になると思います。
 私は、1年生の秋に2本の短編映画を撮りました。自分で脚本を書き、監督として撮影をしたのは初めてでした。先輩方にたくさん手伝っていただいて、何とか完成までもっていくことができました。どちらも5分程度と短く、出来も映画と呼んでいいのか分からないものでしたが、脚本から編集まで自分で作り上げたことが自信につながりました。
 そこから間は空きましたが、先月から新しい映画の撮影を始めました。今回は映画研究会では少し特殊な撮影となっています。私は映画館でアルバイトをしているのですが、映画館が舞台の映画を撮ってみたかったため、バイト先に交渉して営業終了後に撮影する許可をいただきました。また、そこのバイト仲間には脚本学校に通っている人や、役者として活動している人などがいます。その人脈を生かして、脚本を書いていただいたり、映画に出演していただいたりしました。
 映画研究会だけではなく、外部の人とこんなにかかわる撮影は初めてで、戸惑いもありました。まず、他人が書いた脚本で撮影するというのはすごく難しいものがあります。何度も脚本を読み直し、イメージがつかめない部分や意図が読み取れない部分は何度も確認しました。また、実際の映画館を借りたり、役者さんに出演してもらったりすることは、時間の制約が大きくなるためスケジュール調整が大変でした。
 しかし、もちろん大変なことばかりではく、やりがいや楽しさを感じる部分も大きいです。たくさんの人と関わりながら撮影することで、新しい出会いがあり、人脈がさらに広がりました。また、撮影が期限内にひと段落すると、撮影メンバーと達成感を共有できます。
 まだもう少し撮影は続きますが、本当にいい経験ができているなと実感しています。このまま完成まで気を抜かずに、楽しく続けていきたいです。新入生の方で興味を持ってくれた方がいれば、ぜひ私の撮影班に参加してみてくださいね。

2025年度 新歓ブログリレー #3

映画「ブレットトレイン」映研副部長の佐藤です。今回のブログリレーでは、『ブレット・トレイン』という映画を紹介させていただきます。2022年公開のアクション映画で、主演はブラッド・ピット、監督は『ジョン・ウィック』『デッドプール2』のデビッド・リーチです。

 

舞台は日本の新幹線(=bullet train)。主人公の「レディバグ」は悪運を呼び寄せる体質で、何の依頼をこなすにしてもどこかうまくいかない。とある人物の代理として依頼を引き受け、東京発京都行の新幹線に乗り込むのですが、そこで複数の殺し屋と遭遇してしまい、大きな陰謀に巻き込まれていきます。日本の新幹線は、定刻通りに駅に到着して客が乗り降りしますが、その時以外は下車できない、いわば半密室。また前後に車両が連なっているため逃げ隠れも困難。そこで繰り広げられる、コメディ要素たっぷりな殺し屋たちの駆け引きから目が離せません。

 

以下ネタバレを含む可能性があるのでご留意ください。レディバグが遭遇する殺し屋も個性豊かです。あらゆる人間をきかんしゃトーマスに喩える「レモン」と、それを諌める「タンジェリン」の二人組の殺し屋の掛け合いはクスッとします。とある目的で新幹線に乗り込んでいる性悪少女の「プリンス」と、彼女を狙う「木村」など、彼らの起こした行動が意外なところでつながり、衝突を起こし、時に呉越同舟し、クライマックス・京都駅に向かって収束していきます。物語序盤から登場していたとある物が、紆余曲折を経て最後にスポットライトを浴びるのは「えーっ!? それが!?」となること間違いなし。

 

アクションシーンも魅力の一つ。レディバグは平和的解決を望むため銃は使わないのですが、殺し屋は容赦なく襲い掛かってくる。その場にある道具を使ったり相手の武器を利用したり、あるいは乗客・乗務員に目立たぬよう戦闘をごまかしたりと、緩急のきいた小気味のいいアクションが楽しめます。また、真田広之演じる「長老」の刀を使った殺陣も見られます。

 

前述したように舞台は日本なのですが、その日本の描写が突っ込みどころ満載で、逆に面白みになっています。例を挙げるとすれば、日本のアニメかあるいはゆるキャラを意識したであろう「モモもん」というキャラクターや、挿入歌として流れる「ヒーロー」「上を向いて歩こう」、夜に東京を発って朝に京都に着く新幹線、名古屋駅を過ぎたころに見えてくる富士山、謎に再現度の高い米原駅、やたら歴史的な京都、いかにもなヤクザなど、枚挙にいとまがありません。このような”トンチキ日本”が好きな方、これを読んでいる方にもいるのではないでしょうか。

 

この作品、実は伊坂幸太郎の『マリアビートル』という小説が原作となっています。この映画は東京から京都に向かうのですが、小説では盛岡に向かう新幹線が舞台となっています。またこの映画は、終盤にかけて脚色が強くなり、とても”ハリウッド的”といったようなスケールの大きい事件に発展していきます。新幹線という密室での殺し屋たちの物語を組み立てた伊坂幸太郎の巧さと、それをトンチキに仕上げた映画スタッフの違いも面白いところ。「この映画が気に入った!」という方は、こちらの本も読んでみてこの映画と比較すると楽しいかもしれません。

 

以上、映画『ブレット・トレイン』について紹介しました。私はトンチキな映画が大好きなので、そんな映画を知っているという方がいましたらぜひともこのサークルに入っていただき、紹介してほしいなと思います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

2025年度 新歓ブログリレー #2

映画撮影イメージ

映画撮影イメージ

 こんにちは。映画研究会2年の奥田です。
 突然ですが、皆さんは「好きな映画は」と聞かれたらどのような映画を思い浮かべますか?
 ヒーローもの?SF?はたまた恋愛ものでしょうか。
 私は何も考えずに見れるような超ド派手を売りにしたアクション映画が大好きでした。今でももちろん好きなのですが、かつてはむしろ自分の中での映画とはそういった類のものであり、他の映画については観測外でした。
 去年に映画研究会に入って、本当に色々な映画に触れました。先輩方が勧める映画はそれこそこれまで全く触れなかったようなものばかり。私は本当に幸せ者です。見る映画が全て新鮮で、全く新しい世界の扉を開くような感覚でした。これまでただの娯楽品として映画を消費していたのが、まるで小説のページを繰るような、芸術鑑賞と同義の行為へと昇華されていくのです。
 特に、一度見て全部スッキリ理解できる映画よりも、2度3度咀嚼して自分なりの解釈を作り上げていくような映画の見方が好きだと気づきました。これが当てはまるのは今年見た映画の中でも様々あったのですが、直近に見た映画では今回紹介する「アフターサン」もこれに当たると思います。一回目は謎な雰囲気が残りますが、次からが面白くなる映画でした。印象的なショットがいくつかあって未だに頭に残っています。個人的には解説を見るのは賛成派なので、一度見て他の方の解説を踏まえ、もう一度鑑賞するのも良いと思います。

 他にもおすすめしたい映画はあるのですが、私の映画の含蓄がまだまだであることは十二分に承知していますので、また来年の自分に期待しようと思います。

映画のことを全く知らなくとも、これまで触れてこなかった新しい映画体験をしてみたい方はぜひ一度、新歓に足を運んでみてください。お待ちしております。

2025年度 新歓ブログリレー #1

NOMADLANDTHE RIDER

法学部三年の田仲です。

恒例のブログリレーが今年も始まります。これは部員が一人一本ずつ、映画に関する記事を書いていくという企画です。慣習に則り、初回は当代の部長である私の記事から始めていこうと思います。今回は私が敬愛する監督、クロエ・ジャオについてです。

 

クロエ・ジャオは、二〇一五年に長編デビューを果たした、比較的若い監督です。現在の監督作品は日本未公開の「Songs My Brother Taught Me」、「ザ・ライダー」、「ノマドランド」、そして「エターナルズ」の四作品で、そのうち「ノマドランド」は金獅子賞とアカデミー作品賞を受賞しています。私は「ノマドランド」でクロエ・ジャオを知り、以来彼女のファンなのですが、今回は彼女の映画の特色と魅力について私見を述べさせていただこうと思います。

 

クロエ・ジャオの色というのは、彼女独自のリアリズムにあると私は考えます。これはストーリー面と映像面の二つに大別できます。まずはストーリー面についてですが、彼女の描く物語には極めて大きな特徴があります。それはキャラクターの多くが実在の人物であるというものです。「ノマドランド」を例にとると、作中にはノマド(車上生活者)としてリンダとスワンキーという二人のキャラクターが登場しますが、これはどちらもリンダ、スワンキーという実在の人物が本人役として演じています。また「ザ・ライダー」では落馬負傷したカウボーイのブレイディ・ブラックバーンというキャラクターが主人公として描かれますが、これを演じているのはブレイディ・ジャンドローという実在のカウボーイであり、作品自体がブレイディ自身のエピソードに基づいて作られています。ブレイディ・ブラックバーンの家族として登場する父と妹も、ブレイディ・ジャンドローの本当の家族です。このように、クロエ・ジャオは実在の人物をそのまま俳優として起用し、人物そのままのキャラクターとして登場させるという非常に珍しい手法を用いています。ここではこの手法を、仮に「クロエ・ジャオ方式」と呼称しますが、これは本人が本人役で出るという点でドキュメンタリーに近いものであると言えるでしょう。

 

しかしながら、ここで一つ注意しなければならない点があります。それは、彼女の作品にはれっきとした虚構の脚本が存在するという点です。「ノマドランド」のスワンキーは作中で死亡しますが、実在のスワンキーは死んでいません。ここがクロエ・ジャオ方式の面白い点です。クロエ・ジャオ方式がドキュメンタリーと呼べるかについては意見の分かれるところであり、私自身も明確な答えを出せているわけではありませんが、彼女がこの手法を用いる理由は、やはり徹底的にリアリズムを追求しているからだと考えます。ある対象、あるテーマを強い説得力を持って描く。そのためには、やはりリアリズム、すなわち現実味が必要です。であるならば、作中に現実をぶち込んでしまえば手っ取り早く済むわけです。「デューン 砂の惑星」の撮影をワディ・ラム砂漠で行うように、落馬負傷したカウボーイ役には落馬負傷したカウボーイを起用すればいいし、それを心配する家族の役には本人の家族を使えばいいと、そういう理屈ですね。しかし現実に頼ってばかりではテーマに最適化された筋道は作りづらいと思われます。そこで虚構の出番です。脚本と撮影と編集によって、現実という素材を配置・加工・成形し、テーマを体現した一つの作品を作り上げる。それこそがクロエ・ジャオ方式の用いる意味であると思います。私は彼女の作品を、リアルよりもリアリティがあるという風に評価しているのですが、それは現実と虚構を巧みな配合で掛け合わせることによって極度に純化されたテーマの結晶に触れることができるからだと考えます。

 

ではそこで描かれるテーマとは何か、ということですが、私は「ある個人の抱える痛みや喪失」、及び「それに対する向き合い方」であると解釈しています。「ザ・ライダー」は前述のとおり落馬負傷したカウボーイの物語ですが、そこでは「カウボーイなのに馬に乗ることができない」という大きな絶望が描かれています。また「ノマドランド」では、リーマンショックによって車上生活を余儀なくされたノマドたちという社会問題よりも、そのノマドとして生きる中での別れや喪失の悲しみといった個人的な問題が強く押し出されているように感じました。日本語字幕未対応のためまだ見てはいないのですが、長編一作目の「Songs My Brother Taught Me」もあらすじを読む限りそういった類の話ではないかと思われます。このように、クロエ・ジャオが描いている問題やテーマというのは個人の内面に関するものであり、それをその悩みを抱える本人が演じているため、そりゃあもうとんでもなく個人的で内省的な物語になるわけです。しかしながら、その問題というのは「夢を諦めるかどうか」や、「別れや喪失をどう受け入れるか」といった人類に普遍的なものであり、それを極限のリアリティで描き切る彼女の作品は、確かな説得力を持って我々の心を揺さぶります。私は「ノマドランド」には人生の答えが詰まっている作品だと思っていますが、その理由は以上の通りです。余談ですが、現在最新作にあたる「エターナルズ」はマーベルのアクション映画であり、クロエ・ジャオ方式はとられていません。さらには前三作にあった個人的問題と向き合うというテーマ性もないため、彼女のフィルモグラフィーの中では異質な感じがします。ぶっちゃけたことを言うと、私はこの作品を凡作だと評価しています。クロエ・ジャオ自身はアメコミ好きのようですが、どうもエンタメ路線では成功しなかったようです。

 

さて、次に映像面でのリアリティについて述べていこうと思います。といっても私はそこまで映像関係に明るくはないので専門的な解説ができるわけではありませんが、そこについてはご容赦ください。クロエ・ジャオの映像の特徴は、圧倒的な風景描写とアメリカらしさの二点であると考えます。まず風景描写についてですが、これに関しては見た方が早いとしか言えません。「ノマドランド」を見たことのある方は分かるかと思いますが、クロエ・ジャオ作品にはとにかく風景がよく出ます。多くは自然のど真ん中で、マジックアワーの感傷的な空が雄大に映し出されていて、さらにやたらとアメリカ西部です。ちょっと風景入れすぎなところはあるのですが、毎度毎度息を呑むような美しいショットになっているため飽きることはまずないです。動画的なショットの上手さかと言われると微妙ですが、少なくとも写真家の才能が抜群なのは間違いありません。

 

続いてはアメリカらしさについてですが、こちらの方が本題です。クロエ・ジャオの映像に、私は恐ろしいほどにアメリカらしさを感じます。アメリカらしさを煮詰めて結晶化させたものをぎゅっと固めておにぎりにしたような、そんな映像です。アメリカという国は広いですから、一概にアメリカらしさといっても色々あるわけですが、彼女の映像にはアメリカという国に普遍的な特徴がこれでもかというほど詰まっているように感じます。それは例えば西部の荒野やだだっ広い駐車場だったり、巨大なアマゾン配送センターや何の変哲もないスーパーだったりと様々ですが、フィルムの至る所から形容しがたいアメリカらしさを感じるのです。思うに、クロエ・ジャオはそうしたアメリカという国独特の空気感に対する嗅覚が非常に鋭敏なのでしょう。というのも、彼女は十五歳までを北京で過ごした紛れもない中国人であり、アメリカの文化に焦がれて国を出た、いわばアメリカかぶれなのです。よく外国人の方が日本人より日本らしさを理解している、という表現が使われますが、これも同じことなのでしょう。対象の価値や特徴は異なる対象との比較によって見えてくるものです。クロエ・ジャオについても、アメリカという国の外に立った視点を持っていたことで、下手なアメリカ人が撮るよりもいっそうアメリカらしさの詰まった映像を作れたのではないかと思われます。

 

かのポン・ジュノ監督は二〇二〇年代に注目すべき監督の一人としてクロエ・ジャオを挙げています。これは「ノマドランド」が公開される前の発言であり、実際その後アカデミー作品賞と金獅子賞を受賞したわけですから、その慧眼には驚かされます。また「ノマドランド」の主演であるフランシス・マクドーマンドは「ザ・ライダー」を見てクロエ・ジャオを監督に起用することを決めたようです。ポン・ジュノにしろマクドーマンドにしろ、やはりクロエ・ジャオ方式の持つリアリズムに早くから才能と価値を見出していたわけですね。最新作の「エターナルズ」は残念ながら失敗作と言える出来になってしまいましたが、彼女のキャリアはまだ始まったばかりですから、次回作が楽しみな監督であることに変わりはありません。この記事を読んでクロエ・ジャオに興味を持っていただけた方は、どうぞ「ノマドランド」から鑑賞することをお勧めします。北大映研の部室でも見ることができますので、どうぞお気軽にお立ち寄りください。ここまで長々と付き合っていただきありがとうございました。次の記事も是非お楽しみください。

北海道大学新入生の皆さま、ご入学おめでとうございます!

北海道大学2025年度入学の皆さま、ご入学おめでとうございます。

さてもうすぐ部活・サークル選びが始まりますね。

映画が好き、映画を撮りたい!という方、大歓迎です!ぜひ一度新入生歓迎上映会にお越しください。詳しい日時は公式X(旧Twitter)(@hucinema  /  北大映画研究会(北大映研))で発信していますので、確認してみてください。DM等での質問も随時受け付けています!

来週からは本HPで現役映画研究会部員による「映画ブログリレー」も始まります!

おすすめの映画や撮影の裏話などを更新していく予定ですので、こちらもチェックして入部をご検討ください。

【春新歓ブログリレー】時間割

もう木曜日ですね。水曜担当高島です。

早寝の私がどうして遅くまで起きてるかと申しますと、時間割制作にうんうん唸っているからです。
他大学の時間割事情には詳しくないですが、新入生の皆さん、少しでも興味がある授業は1年生の内に絶対取っておいたほうがいいですよ。
私は去年、「大学生活初めてだから無理して詰め込まないでおこうっと」とか、「来年取ればいいしー」とか、ぶっ飛ばしたくなるほどゆるゆるおつむの1年生でした。誰か私を殴ってくれ。

2年生になると、演習が始まるのです。ゼミですゼミ。で、この演習を担当する教授が、後に皆さんの卒論の面倒を見て下さる教授になるのです。
ということは、2年生で受けてない演習の担当教授には卒論を見てもらうことが出来ない。例外もありますが。

私は教職の授業を受けてまして、これが2年生から牙をむく。かなり演習と被ってしまう。更に、頭ゆるゆる1年生の時に単位をいくつか落としてるので再履修でまた被る。よって、好きなゼミ取れなくて泣いています。
今年は哲学やら心理学やら受けたかったのに、その辺も教職と被る。つらい。つらい。

だから、皆さん!ぜひ!
早めに好きな授業受けまくっといてください。
こんな馬鹿は私一人で十分です。

明日の仮時間割だけかろうじて出来たので寝ます。

【春新歓ブログリレー】一週間で見た映画の適当な感想

水曜担当高島です。結構後半までブログ書けてたのに、消えてしまいました。もういやだ…。でも仕方ないので、二周目の世界でのブログ、行きます。ほむらちゃんって大変だなあ。

この一週間は、映画を三本見ました。ちょっとだけ映研部員っぽくて自己満足しています。せっかくなので、雑に感想とか書きます。

一本目『人間の証明』
松田優作演じる刑事が、黒人青年殺害の事件を調べます。ニューヨークにも行っちゃいます。軽くカーチェイスもしてます。お金がかかっていそうでした。
泣ける映画を見たくて、紹介してもらったのですが、泣けませんでした。謳い文句も「泣ける」なのに。ジェネレーションギャップなのか、感受性が鈍ったのか、どちらもかな。悲しいです。
戦後においてのしがらみがテーマなので、やりきれない気持ちになりたい人におすすめします。

二本目『ソロモンの偽証 前篇・事件』
映研新二年の佐々木に誘ってもらって見ました。
ご存知学校裁判です。面白かった。もうすぐ後篇も公開しますね。楽しみです。
余談ですが、主演の中学生藤野涼子(ふじのりょうこ)さんが、映研部員の藤田諒子(ふじたりょうこ)と名前の印象丸かぶりで、無性に応援したくなりました。あと松子が泣くほどいい子。

三本目『イントゥ・ザ・ウッズ』
母に誘ってもらって見ました。
ジョニー・デップが好きなので楽しみにしていたのですが、出番がものすごく少ない。悲しかった。
メリル・ストリープ演じる魔女がやはり迫力ありました。
内容は、色んなキャラクターのストーリーが詰め込んであって、テーマがあんまり…分からなかった(小声)。誰か見た人いらっしゃいましたら、話しましょう。教えてください。

以上適当な感想でした。ループ、抜けられたかな?

【春新歓ブログリレー】『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の話

水曜担当の高島です。
一日ずれたから木曜日に書くんだろうなーと思っていたら、水曜日の23時頃に番場さんから「今日書いてね(はーと)」と連絡が来たので眠い目をこすりながら書いてます。
高島は早寝なのです。ねむいよ。

この間『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を借りて見ました。
歌手であるビョークが主人公セルマを演じています。
あらすじは、遺伝性の目の病気を持つセルマが、同じ病気の息子のため、手術費を苦労して稼ぎつつも、優しい隣人たちに囲まれて楽しく過ごしていたが……というところですね。
ウィキによるとカメラワークが革新的らしいんですが、いかんせん知識がないので、その辺は他の先輩方に語っていただきましょう。すみません。
私は気分が暗くなる映画が好きでして、正直この映画にもそれを求めて借りてきました。趣味悪いですね。結論から言うと、気分は暗くなりました。目標達成。
しかし私の心を一番に捕らえたのは、ビョークの目の輝きでした。
主人公セルマはミュージカルを愛しているので、働いている工場の音、列車の車輪の音などでミュージカルを空想するシーンがいくつも出てきます。
空想のシーンに入った時の目の色の変わり方、すごいです。目があまり見えない主人公なので、普段は虚ろな目で演じています。でも空想の中ではセルマは自由。思い切りミュージカルを楽しむセルマを演じるビョークの目はこぼれ落ちるくらい光にあふれていました。
演技力、というよりも、役であるセルマのミュージカルに対する愛と同じくらい、ビョーク自身に音楽への愛があるんだなあと思いました。好きってすごい。
私は無趣味な人間なので、目の色が変わるくらい愛せる対象に出会いたいです。

よし、書いた。もう木曜日だ。
高島は寝ます。おやすみなさい。

【春新歓ブログリレー】ショートフィルムプロジェクトの打ち合わせに行きました。

こんばんは。新大学生の方は初めまして。今年から2年生になります高島と申します。所属大学は藤女子です。
昨年度はろくすっぽ撮影に関する活動をしませんでした。今年度から頑張ろうと思います。

というわけで、今日の18時半からショートフィルムプロジェクトの打ち合わせにまぎれこんできました。
「高島(どうして)来たの??」とか言われました。かっこの中は脳内補完です。ネガティブなんです。ガラスのハートにひびが入りましたが、おうちに帰らないで踏みとどまりました。
ショートフィルムプロジェクトとは、『いつもの撮影よりも気合いが入った、他大学のみなさんも巻き込んでのプロジェクト』(新2年藤田談)だそうです。
半年くらい前から企画してたそうですが、知りませんでした。例会サボり倒してたせいです。ごめんなさい。
大きく分けると企画組と技術組があって、企画組は出演交渉とか、資金集めとか、プロジェクトの大枠を進める係のようです。
技術組は撮影の器具は何をどこで借りるか決めたり、具体的に撮影練習したりと実動部隊のようです。
みなさん真剣な表情で打ち合わせしていまして、「撮影したことないからノウハウを経験したいなー」とぼけっと考えていた私は少々気後れしてしまうほどでした。
私も技術組としてなんとか食らいついていこうと思います。

打ち合わせ中はぼけらーとした表情してましたけど、ちゃんと見てたのですよ!
以上、映研の活動に潜入の巻でした!

高島千聖