こんにちは。文学部の山口です。
さっそく新入生の方へアドバイスを差し上げるなら、結局のところ「早寝早起き」に尽きるのではないでしょうか。
なんとも手応えのない助言に思えるかもしれませんが、侮ることなかれ。そこには新生活を楽しむための糸口があるのです。
新生活を迎えると、一般に生活リズムが乱れやすくなると言われています。たしかに生活環境や、一日いちにちの区割りが大きく変化すると、時間の流れ方は全く違う様相を見せます。時に緩やかになり、また時にはつんのめるような速度を見せもするでしょう。そうした時間のぶれが私たちを混乱させ、長く床につかせてしまうのかもしれません。
しかしその新しい時間感覚の獲得は、時に美しい感慨をあらわしもします。はじめての宴会の帰り、ふと降り仰いだ月の異様に巨きかったこと。外へ出ると一面銀世界になっていて、平衡感覚が麻痺してしまうような冬の朝。そういった場面で日常的な時間とは異なる流れをふと体感するということが、この札幌という街でひとり暮らしを始めてからというもの、とても増えたような気がしています。それはまるで幼少期や少年期の、永遠に触れるような時間感覚とも似ています。それこそ新しい環境で生活していくことは、生まれ変わることと同義であるのかもしれません。
ある哲学者はそうした異質な時間の流れ方を、日常的時間に対して「神話的時間」と言い表わしました。子供のころに体感したような、計量することのできない不思議な時間。成長するにつれ出くわすことは少なくなりましたが、決してそうした時間は死んだわけではなく、たしかにわれわれの中にいまだ息づいているはずです。札幌に降り立ったばかりの私が現にそうであったように。
小説や絵画もまた、神話的時間を獲得すべく日々生み出されているのかもしれません。そして時間の流れを自在に変質させる装置として、映画はこの上ないものであるように思われます。
というわけで今回は、計量不可能な、不思議な時間の流れを感じさせてくれる映画を4本ご紹介します。
1.『アガタ』(1981年)
もともとは戯曲だったものを、映画に再構成したものです。
ホテルの一室や、おだやかな波打際、曇天、開け放たれた窓。そうした景色を背景に、過去のとある一日をめぐって、兄妹二人の対話劇がしめやかに行われます。登場人物が映るシーンもありますが、所詮それは映画らしく見せるための配慮であって、本質的には無人のまま進行しても差し支えないとさえ思います。
映し出された景色をずっと眺め、声に耳をすませていると、普段の映画体験とはまた違った没入感を味わうことができます。
対話がどこかぎこちないのも含めて、物語はきわめてゆっくりと進んでいく印象がありますが、一方で言葉というエネルギーがため置かれるわずかな時間、そこに生じる緊張のようなものもまたこの作品には満ちていて、実に不思議な感慨をもたらします。
2.『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)
とりわけ印象的なシーンがあります。夫婦が入院している身内を案じている。お互いがふと口をつぐんだ瞬間、もう駄目だよ、と何処からともなく声がして、思わず顔を見合わせる。声の所在が分からず、もしかしたら自分が気を抜いた拍子に呟いたのかもしれないなんて思う。なにやら薄気味悪いと思いながらふと目を落とすと、手元の皿が割れている……
なにやらよくわからない、けれど不穏な気配を感じる。原作の内田百閒というひとは、そうした「気配の怖さ」を描くことに大変秀でた書き手でした。正直どんな映画だったのか、さっぱり覚えていません。ただ断片的なシーンや、気配といえるものが、思い出そうとするとふいに蘇ってくるのです。悪夢とも形容できそうな幻想的な世界観のある作品ですが、なによりひと昔まえの日本の呼吸が感じられます。
3.『風立ちぬ』(2013年)
言わずと知れた宮﨑駿監督作品。なるほど宮﨑監督は神話的時間の名手と言えるでしょう。それは児童向けアニメーションを作っていることから火を見るよりも明らかですが、今作はテーマが大人向きで登場人物も大人ばかり、なのに神話的時間は通底しているので、妙な「ねじれ」とも「狂気」とも呼べそうなものがそこにはあります。
とりわけイタリアの設計家カプローニが夢に現れるシーンは白眉だと言えます。彼は主人公に飛行機の設計士という夢へ誘う聖的な役柄であると同時に、大変デモーニッシュな危うさも秘めています。戦争へとひた走っていく現実世界から、青空をかける夢想の世界がシームレスに展開されるその手腕は見事なものです。昭和日本を舞台にした神話だと称しても、決して大仰な表現にはならないと思います。
4.『8 1/2』(1963)
死んだ人というのは、一度過ぎ去っては戻らないという点で、過去そのものの姿であるのかもしれません。
うだつの上がらない色男の映画監督が、療養のため温泉地にやってきます。そこで妻や愛人、女優、母親、少年時代の記憶にまで遡り、さまざまな女性たちが現れては彼を翻弄していきます。
後半に、すでに死んでしまった人も含めた作中全員が一堂に会する大団円のシーンがあるのですが、僕はそこで妙に泣きたくなってしまいます。たぶんそれは、時間の流れや死、運命といった不可避なものにさえ逆らって、巨大な「赦し」のようなものが作品全体に降りそそぐ瞬間だからだと思います。
白黒映画ですが、その二色のコントラストを絶妙に活かした映像美にも要注目です。
……つまるところ、時間というものにしっかり目を向けてみようという話です。単なる乱れと捉えず、その混沌とした、神話的な時間をむしろ積極的に引き受け、楽しんでみるべきだと私は思います。まあなにはともあれゆっくり寝てください。歯も欠かさず磨きましょう。
お付き合いいただきありがとうございました。次回は鵜飼くんです。