某大学映画研究会の2011年映画ランキングに触発されたので書きます。東京事変が解散したことだし、そろそろブログを更新しないといけないですよね。
映画研究会の部員のくせに映画館で映画を観ないという悲しい若者なので、DVDなんかで観た映画を中心にランキングを組んでみました。まぁそう怒らないでください、まだ若いので質より量を重視しているのです。
第10位『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(大森立嗣、2010年)
ランキングを作ってみたら1本も2011年の映画が入らなかったので、せめてもと思って焦って入れた感はある。けれどもやっぱりこの映画は素晴らしいと思う。超イケメンスターが2人も出ていて、観る前はちょっと不安だったんだけれど、ファーストシーンの壁を砕くところで不安は吹っ飛んだ。あのイメージがいかに「現代」と共鳴するかとかそういうのを抜きにしても、あのカットだけでこの映画に通底するイメージが確定するのだ。
第9位『上海特急』(ジョセフ・フォン・スタンバーグ、1931年)
映画の全盛期は1930年代らしいということが段々うっすら分かりかけてきたけど、『上海特急』はそのような傑作30年代映画の中でも「不思議な」一本だ。いわゆる話の筋というものは途中でぐにゃりとねじ曲げられて、文字通り「脱線」する。それでもなお映画は突き進んでいく。なんてじゃじゃ馬な映画だろう。
第8位『タンポポ』(伊丹十三、1985年)
これはとても恐ろしい映画だ。食べ物にとりつかれた人々が食べ物で殺し合いをしている。これは比喩で、実際には死ぬのはたった1人であるし、その人の死は最初から予告されている。とてもエンターテインメント性のある映画なんだけど、それだけに食べ物に襲われるという感覚がより一層強くなる。恐ろしい映画だ。
第7位『グロリア』(ジョン・カサヴェテス、1980年)
映画を簡単に「映画的」にしない、思考し続ける監督がジョン・カサヴェテスだ。自分が最も好きな映画監督だ。『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』をここに入れたかったんだけど、どうやら観たのは2010年らしい。何か自分には分からない力で動かされているような、そんな運命を感じる瞬間は誰にでも一度はあると思うが、この監督の映画はそのような瞬間を極めて「非映画的」に処理してしまうのが素晴らしい。
第6位『ミツバチのささやき』(ビクトル・エリセ、1973年)
なぜにあんなフランケンシュタインに感動してしまうのだろうか。自分の中で未だにまったく整理がついていない映画だ。言葉にするにはあまりに曖昧で、あまりに多くのイメージが画面を横切っていき、『ミツバチのささやき』という一つのとてつもない神話を創り上げてしまったような印象。
第5位『七人の侍』(黒澤明、1954年)
お恥ずかしながらまだ観ていなかったので。これまで多くの人が大絶賛してきたとかそういうのはどうでもいい。菊千代が「こいつは俺だ…!」と漏らす瞬間、あの圧倒的な瞬間だけで本当に素晴らしい映画だと思う。
第4位『8 1/2』(フェデリコ・フェリーニ、1963年)
映画はすべての出来事、すべての生き物を祝福するものだと思っているが、これはそれをストーリーでやってみせた映画と言える。人生のすべてが一つの音楽を奏でる瞬間は、生きていて良かったとストレートに思わせてくれる。
第3位『黒猫・白猫』(エミール・クストリッツァ、1998年)
「なんだこれは」というのが正直な感想だった。こんなに圧倒的な力で流れていくような映画にはなかなか出会えない。クストリッツァはまだこの1本しか観ていないのだけど、イバヤシ曰くこんなもんではないらしい。まだまだ素晴らしい映画に出会えるというだけで嬉しい。
第2位『ヤンヤン 夏の想い出』(エドワード・ヤン、2000年)
「人生っていろいろあって難しいよね」と一言で嘆くのは簡単だが、映画でそれをやるのは単純ではない。この映画が達成したのは複数の視点から「世界」をありのまま描いてしまったところだろう。この映画にはすべてのジャンルの素晴らしい瞬間が凝縮されている、と言うのは言い過ぎか。台湾映画の超傑作。
第1位 『丹下左膳餘話 百萬両の壺』(山中貞雄、1935年)
お恥ずかしながらまだ観ていなかったので。圧倒的に面白い映画。ただ身を委ねればいいという単純な面白さ。映画を作るものは、観るものを座席に縛りつけているという責任を感じながら「面白い」映画を作らねばなるまい。
おまけでランキングとは無関係に、印象的だった映画を3本。
・『イブの総て』(ジョセフ・L・マンキーウィッツ、1950年)
まず女たちがネチネチと裏で画策する周到さが見た目の美しさとかけ離れているのが素晴らしい。なんといってもラストカットだろう。鏡を用いた映画というのは古今東西山ほどあるけど、その中でも『上海から来た女』に次ぐくらいの美しさじゃないだろうか。とにかく美しい。ラストカットだけでも生き続けていける映画だと思う。
・『ラルジャン』(ロベール・ブレッソン、1986年)
恐ろしいほど淡々と全てが進んでいく。偽札が主人公と言ってもよいと思うが、そのような視点で観ると人間たちが機械的な単調さで罪を犯し、人を殺す。感情とかそういったものとは違うものがこの映画のエンジンになっている。なんだかよく分からないが恐ろしくて巨大で不気味で、とてつもなく素晴らしい映画だ。
・『緑の光線』(エリック・ロメール、1986年)
つまるところこの映画がどういうことかというと、緑の光線を観ただけである。いやたったそれだけの些細なことがどれほど素晴らしいか!この映画はどんな些細なことも無駄にはしない。大事な人、大事なもの、大事な出来事だけで作られた映画だ。
質より量と言っときながら、結局2011年は140本弱くらいしか映画を観ていない。まだまだ観たい映画を観ていないし、本当は年間365本は観たい。
2011年はいろんなことがありました。個人的には映画を作ることの難しさを痛感した1年間だったと思います。それでも映画を作ることは諦めませんが。
2012年も北大映研をよろしくお願いします!
ホントブログ書くの疲れる。モノを残す苦労とモノを使う苦労はほんとに比例しないよねとつくづく思う。