世界を殴れない(ツシマ)

映画を作る能力は、映画を創造する能力だけでは足りないなと。頭の中でイメージが出来上がっていても、それを形にするのは人を動かす力、つまり統率力があって初めて映画は出来るのではないかと。
僕はこの統率力が致命的なまでに欠けている。
自分が主役の映画が多いのも、最低限のスタッフしか使ってこなかったのも、統率力に自信が無かっただけなのかも知れない。
僕は人に嫌われるのを極端に恐れる傾向がある。悪口を叩かれると心臓が痛むほど気にするし、うっかり人を傷つければ自己嫌悪に浸る。
監督は嫌われるのが仕事だ。大勢のキャストやスタッフを拘束して、面白いかどうかも分からない自分の(或いは誰かの)妄想を形にしていく仕事だ。
知っている人もいるだろうが、僕は今回家族を使って映画を撮ろうと実家に帰って来た。でもほとんど進んでいない。少なくとも今は。
毎晩重いため息をしながら帰って来て、発泡酒を数本飲み、居間で眠り込む父。家事をこなしながら、不定期な勤務に追われている母。その母の硬い肩を揉んでいる時、ふと自分がやろうとしていることが恐ろしいものに思えてきた。
この日常を壊してしまうのが怖いと思った。思ってしまった。
自分一人に負荷がかかるならいい。喜んでやる。ただ仕事で疲れている父と母に僕のこのシナリオの負荷は重すぎる。大切なものを奪うし、心も傷つける。それを経て得るものもあるだろうが、有益である可能性は保証出来ない。
正直に言うと、映画を撮るのが怖い。実家では一度も出たことが無かった幻覚や幻聴が、この頃毎晩続いている。
もう構想段階の勢いはない。熱は冷めつつある。変な義務感や惰性で撮る作品が面白いとは思えない。
怖くて怖くて仕方がない。

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