どうも、絶望感です。
最近ブログリレーも途切れ気味ですし、そろそろ最終回でいいんじゃないかと思い始めています。
さて、今回はタイトルも適当ではありません。いや適当かも。まあ今まで映研のブログリレーとは思えないような記事しか書いてませんでしたし、せめて最終回ぐらい(勝手に決めるな)真面目なのを書こうかと思ったのです。
タイトルにもあります通り、今回はフィクション、まあノンフィクションでもいいんですが、何か話を表現しようとするときに、どんな媒体を用いるとどういう特徴があるのか、ということについて自分なりに意見をまとめてみました。
記事の最後にも書きましたが、私自身整理しきれていない部分もあるため、疑問に思うようなところも多くあると思います。何か意見等ございましたら、一番下のメールアドレスまでどうぞ。
長文注意です。
前提
まず媒体の種類は大きく分けて書籍、映像、音声の三つがあります。さらに細かく分けると書籍は主に小説・詩・漫画・絵本、映像は映画・テレビ・動画、音声はラジオ・音楽と分けられます。もうちょっと種類はあると思いますが、主にこんなところでしょう。
そして書籍の中に所属している漫画についてですが、これは書籍の中でも特殊ですので、個別に書きたいと思います。また、絵本も結構異質な位置にいますが、これは自分の中で個別に記せるほど考えがまとまっていないので特に別記しないことにします。
では以下にまとめます。
文章(小説・詩・絵本)
文章によって表現される場合、文字だけで物語を描くため、言語というものの性質上表現には限界が存在する。例えば、イタリアにはグラスをテーブルから離した時にできる水の輪を表す単語があるらしいが、イタリア文学なら簡単に表現できても日本語でそれを表現するのは難しい。これは言語学的な問題で、どの言語を選択したとしても、どうしても簡潔に表現できないものは存在する。
また、受け取り手の語彙が作者のそれより低い場合、内容を正確に読み取れない可能性がある。
さらに、文章を読むのにはある程度時間がかかるため、例えばアクションシーンなど疾走感の求められる描写は映像や漫画の方が優れていると言える。
文章中に目を引く文言があった場合、読者は現在の自分の読み進めている場所に関わらずその場所を見ることがある。逆に、一度読んで理解できなかった時や読書を中断したあと再開する時に、読み進めている所から少し戻ってもう一度読むことができる。これは映像では容易に行われることではない(巻き戻せばいいかもしれないが、例えば番組や映画館ではそれもできない)。このことは長所にも短所にもなりうる。違和感のある文によって前に埋められた伏線を読者に再確認させることもできるが、逆に先を読まれて読者にネタバレさせることを許容する危険もある。
映像(映画・テレビ・アニメ)
視覚に訴えるため、製作者の意図がそのまま伝わりやすく、その分受け手の解釈の幅は他の媒体と比べて若干狭い。この特徴は画によって視聴者の視線を狙った位置に固定しやすいということからも言える。視聴者の想像できる余地はやや狭く、例えば、文章で「綺麗な女の人がいる」と書かれていれば読者は例外なく綺麗な女の人を思い浮かべるだろう(天邪鬼は除く)。しかし、映像で大多数が綺麗だと感じるような女の人を移しても、全員がそれを見て「綺麗な女の人だ」と思うとは限らない。
映像だけで場面がある程度分かり、言葉による説明を省けるため受け取り手の時間当たりに得られる情報量が多く、また言葉の通じない国にも内容を伝えることができる。
実写映像の場合、表現の幅には技術的な制約がかかることになるため、ハイファンタジーなどでは他の媒体にやや劣る。
撮影にはカメラの操作などある程度の技術が必要で、特に規模が大きくなると制作に関わる人数は他の媒体とは比べ物にならないほど多くなり、また機材も多く使用するため制作費用もとても高額になる。
漫画
小説と映像の折衷といった所だろうか。元々が大衆的であるのもあってか最も「遊び」のある媒体で、映像的な運び方も小説的な運び方も可能。枠や柱を用いたメタなギミックも容易で、表現の幅はかなり広い。また、同じ時間に起こった別の出来事をコマの並べ方で完全に並列して進められるのも漫画の特徴と言える。製品としての制作にかかる費用は小説よりは高いが映像ほどはかからない程度で、可能ならば漫画が最も色々な物語を描けるが、思い描いた物語を正確に描こうとすると作者に求められる技術と負担はとても大きくなる。絵によってある程度表現が出来るため、趣味で作るだけであるならば小説ほどの語彙を必要とせず、費用も安価であるため小学生がよく作っている(断っておくとこれは侮蔑ではない。手軽さや身近さと言う点で漫画は優れているということだ)。余談だが私も小学生の時漫画を描いていたことがあった。
音声(ラジオ・音楽)
主に活版、又は映像が現代ほど普及していなかった時代の主流で、本質的には小説に近いと言えるだろう。小説との違いは文字を使用しないことで、盲目だったり読字障害の方でも内容を知ることができる。これは当然と言えば当然だが、逆に聾者には前述した三つの方が内容の把握に適していると言える。音楽は特に受け取り手の解釈に依る所が大きいが、これは文章で言うと詩にも同じことが言える。
現代においては運転中や雑事など、何らかの作業をしつつ聞くといったことも多く、この「ながら」が出来るのも特徴といえるだろう。
また、アクセントや発声主の読み方の癖などが聴取者のスムーズな聴取を阻害する可能性もある。
概ね文章を朗読すれば音声媒体となるため、音声特有の特徴は若干乏しい気がする。
以上が私の持論です。
ここで断っておくことがあります。恐らくここまで読んで(読み飛ばしている人もいるかもしれませんが)疑問に思うところがいくつかあった人もいるかと思います。例えば映像媒体でハイファンタジーを描くのは難しいと言いましたが、「何言ってるんだ!スターウォーズは素晴らしいSF映画だろうが!」と思う方もいるはずでしょう。確かにターウォーズをはじめとして映像にも様々な素晴らしいファンタジーがあります。しかしそれらの映画を作るのにどれだけのコストがかかったのかを考えてみるとどうでしょう、資金や技術の度合いが同じ土台の人間同士ならば、小説や漫画、音声の方が映画よりもはるかに簡単に同じ話を描けるのではないでしょうか。私はそういう意味で映像の苦手な所と言っているのです。
しかし、私の文章力が不足しているのも事実です。冒頭の方でも書きました通り、恐らく突っ込まれると返事に詰まるような、自分の中で詰めが甘かったり上手く整理できていない所も多くあると思います。
ですが言い訳をさせてもらうと、私は今回のコラムを書いているうちにこう思うようになってきました。
「果たしてこの考察を説明するのに文章は相応しかったのか?」
そうです。物語の展開は各媒体においてそれぞれ得手不得手が存在するのだという話なのですから、文章はその説明という役割をうまく果たせる媒体であるとは限りません。どうも私が考えてみたところ、この記事は多分パワーポイントで説明するのが最も適していると思います。
今回の考察に関して、何か疑問に感じるところや異議など御座いましたら、コメントするか、又は下に記載してあります私個人宛のメールアドレスの方にご連絡していただければと思います。
ここまで読んで下さってありがとうございました。
【4/14 11:47 変更】タイトル変えました。
zetsuboukan626@yahoo.co.jp