私が最初に「露草色の回顧録」の脚本を書いたのは、高校二年生の夏でした。私の高校時代は、丸ごとコロナ禍。学園祭も、映像作品を作り、上映するといったスタイルで行われました。準備に熱中して、汗を拭くことも忘れて友達と額をつつき合わせる休み時間。校門から続く道に看板を持ってずらりと並ぶ生徒。浮足立つ学外のお客さん。そんな光景は見られない、いわゆる「学園祭」とは程遠いものでした。それでも私たちは青春を追い求めて、与えられた枠組みの中でなにか素晴らしいものを作ろうと、一本の映画の撮影を始めました。それが「露草色の回顧録」です。結局、この映画の制作は、時間も予算も足りず、自分たちの力量を越えた理想だけ残して頓挫しました。不自由なりに充実した高校生活でしたが、「露草色の回顧録」が世に出なかったことは、ずっと私の中で心残りでした。
そして私は大学に進学し、北大映画研究会に入会しました。このサークルで、映画は作れるのだろうか。そもそも、私の脚本は、求心力を持つ作品なのだろうか。なかなかに不安は大きかったですが、初めて行った新歓、映研の部室で、隣に座った男の子に声をかけてみました。それが「露草色の回顧録」で編集監督・撮影助手を務めてくれた奥田君です。奥田君の「僕、編集できますよ」の一言で調子に乗った私は、他の一年生に次々に声をかけ、脚本を一度小説に書き直したものを送り付け、人を集めました。ほとんどの班員が映画制作未経験。私も脚本一辺倒の人間だったため、カメラも音声も照明もわからない。班の皆で手探りしながら、毎回の撮影で少しずつ成長し、舞台を東京、関東圏から北海道に移し、札幌近郊や、小樽ロケを敢行しました。結果小樽には13回行き、軽くトラウマになっていますが(笑)、撮影を行った七月から十一月は、私の人生で、かなり上位に入る充実した五か月間でした。撮影を通して、撮影班の班員はかけがえのない友達になりましたし、映画研究会は知っている人が誰もいない北海道で、私の居場所になりました。
「露草色の回顧録」は企画、立案、撮影、編集を経て、私が奥田君に声をかけてから約一年たったこの四月、ついに完成します。今私がこのブログを書いている時点では、まだ班員での試写会を終えておらず、完パケまであと半歩くらいの状態です。今から完成記念飲み会を楽しみにしています(笑)北大映画研究会は、映画を見ることはもちろん、映画の制作も可能です。今年、映研から分離独立する形で、映像制作サークルもできました。映研と協力しながら、映像制作の自由度を高めるべく、新入部員募集中です。「露草色の回顧録」は映研の新歓で、4/18か4/25のいずれかに、自主制作映画として上映しますので、ぜひ、見にいらしてください。
2年 成澤南波