“そこ”

こんにちは、寒さにもだいぶ慣れてきたわたくし3年の社本ですが、みなさんはいかがでしょうか。ちなみに数時間前うっかり21歳になってしまった。みなさん祝ってくれ。

今ユナイテッドシネマでカルシネ(アナウンサーの軽部さんセレクトの映画を映画館でやろうという企画 映画が始まる前に軽部さんの語りが入るから初見の人はそれ聞いて欲しくないから耳塞いでて欲しい)として『そこのみにて光輝く』をやってます。私の人生で今のところ一番好きと言っても過言ではない映画。

以下『そこのみにて光輝く』について

そこのみにて光輝く』(そこのみにてひかりかがやく)は佐藤泰志による日本の小説。1989年に河出書房新社より刊行され、第2回三島由紀夫賞候補となった。また本作を原作とした映画2014年に公開された。

監督は呉美保、主演は綾野剛。配給は東京テアトル函館シネマアイリス北海道地区のみ)。レイティングはR15+。英題はTHE LIGHT SHINES ONLY THERE[1]第87回アカデミー賞外国語映画賞部門に日本代表作品として出品されたほか、第38回モントリオール世界映画祭最優秀監督賞、キネマ旬報ベスト・テン1位のほか個人賞3部門を獲得した。

同じく佐藤泰志原作による『海炭市叙景』(2010年公開、熊切和嘉監督)、『オーバー・フェンス』(2016年公開予定、山下敦弘監督)とともに「函館3部作」と位置づけられる[2]

(Wikipediaより)

と、いう感じなんですね、『そこのみにて光輝く』

今年公開して映研の話題をさらった『君はいい子』の監督です、呉美保。

でね、まだどちらも観てない人は、ぜひ劇場で『そこのみにて光輝く』を観てから『君はいい子』を見て欲しいなーと思って

以下私の『そこのみにて光輝く』『君はいい子』についてのこと

呉美保監督が描くのはいつも生々しい悲しみや痛みだ、私たちが手触りを知っているそれだ。でも、そんな“そこ”の人々を輝かせることで肯定するのが『そこのみにて光輝く』だとしたら、そんな愛する人々に希望を託すのが『君はいい子』だと私は思う。

呉美保監督の作品はいつもいい意味でとても女性らしい。彼女は彼女の映画の母みたいだ。ケア倫理のことばかり考える、呉美保監督の作品を観ると。監督の子であるキャラクターに対するとてつもない愛が感じられる。

私は愛を絶対の肯定としていいと考えている(なんて言ったら先生にも数多の先人たちにも怒られそうだけど)(でも肯定という側面を持たせることによってイデア的な 正しさへの志向性についての説明も始められはすると思う という余談)

つまり相手のあり方を絶対的に肯定すること、あなたに、何も望むことなく、そのままあって欲しいと望むこと、そしてこれは多分女性的な、母的な情動であって、それを愛と名付けていいと思う。

以前キルケゴール読んでたら、「女は献身的だ」って書いてあってムカついたけど、あながち間違ってないのかもしれない

それが『そこのみにて光輝く』だなあ、と思う。彼らは“そこ”のみにて光輝くのだ。そして呉美保は彼らがそうあることへの肯定によって彼らを光輝かせる。

でも、矛盾しているようだけど、可愛い子らにはできれば幸せになって欲しくて そのあり方の肯定と同時に希望をもつ。映研で、というか小竹くんと話題になった『君はいい子』のラストは希望だと私は思う。あのドアの向こうで何が起きているのか、絶望があるから希望がある、私たちは望む。

『そこのみにて光輝く』『君はいい子』どちらにも出演する池脇千鶴や高橋和也に象徴されるように、『そこのみにて光輝く』があるからこそ『君はいい子』がいきてくる、“そこ”という痛々しい彼らの姿を肯定する、すなわち愛するというプロセスを経て私たちは彼らに幸福を望む。

なので、皆さんユナイテッドシネマに走り『そこのみにて光輝く』を観てくるんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!というブログでした。みんな観てくれ。後悔はしない。面白いよ。菅田将暉キュートだよ。

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